345 黒の森にあるもの




 翌日、封印魔法を使った境界線の向こう側、黒の森へ入ることになった。

 ロトスにも来てほしかったため一緒に行くが、ブランカとクロは置いていく。何故ならジルヴァーを連れて行きたくなかったからだ。

「いい? ブランカにしか頼めないんだからね。この子を絶対に守って」

「ぎゃぅぅ」

 ブランカはフェレスが付いていって自分が置いていかれることに不満のようだった。けれど、きりりとした顔付きのフェレスが、ごねるブランカを叱った。

「にゃっ。にゃにゃにゃ」

「ぎゃぅん……」

「にゃにゃにゃ!」

「ぎゃぅぅぅ」

 叱ったといってもまあ、相変わらず軽い感じだったが。

 だめ、シウの言うことは大事。だってー。留守番もお仕事だよ。わかってるもんー。

 シウは笑いを堪えて、ジルヴァーを背中から下ろしてブランカの背に載せた。この場にはクロも残していく。

「クロが一番、念話が上手だからね。何かあったら知らせてくれる?」

「きゅぃ!」

「うん。任せた。ブランカは魔獣が出てきても突破されない限りはジッと我慢すること。いいね?」

「ぎゃぅ!」

「よし、偉い偉い。じゃ、みんなで留守番よろしく。僕の張った『結界』の外へは出ないこと。分かったね」

「ぎゃぅ!」

「きゅぃ!」

 賢い返事に、シウは満足げに頷いた。



 シウは飛行板に乗り、ロトスとバルバルスがフェレスへ乗った。

 黒の森を抜ける時にシウが魔法を使ったのを、バルバルスは目を凝らして見ていた。けれど何の魔法かは分からなかったようだ。

 無詠唱であり、彼の知らない魔法だからだ。

 シウには無害化魔法という固有魔法がある。それを使って通り抜ける際に道を《固定》し、全員が通り抜けた後に《解除》した。以前は《転移》していたが今回はこの形を取った。

 練習用として張られた封印魔法の境界線だ。これぐらいシウでも突破できる。

 けれどもバルバルスにしてみれば「封印魔法を突破できる人間がいる」ことになる。彼はシウのことを化け物でも見るかのような視線でずっと追っていた。


 息は、浄化魔法が常に発動する術式を付与した魔石を持たせた。ペンダント型にしたのでちょうど胸を中心に頭まですっぽりと守る形になっている。

 フェレスにも施した。空間魔法で空気の循環を行う方法は取っていない。目に見えて分かるようにした。

「ここまでしなければ黒の森へは入れない。そんな場所で生きている魔獣がいるんだ」

 まず、それを知ってほしかった。

 ロトスは厳しい顔をしていたものの、バルバルスの手前文句を言うことはなかった。フェレスはちょっぴりムッとした顔で辺りを見回し、それからハアッと人間のような溜息を吐いていた。上空の清浄な空気で囲んでいないため、辺りの匂いのようなものが感じ取れるらしかった。

 バルバルスは青褪めている。浄化した空気が魔石より流れ来るが、匂いや肌に感じる気配のようなものが濃厚すぎて気持ち悪いのだろう。

 黒の森とは魔素が濁って煮詰められたような場所だ。それに伴い、森の様子も普通とは違う。木はまともに立たず、無理やり矯正されたかのように曲がりくねっている。葉は黒いものが多い。かろうじて上部にある葉が光合成に成功しているかのようだ。

 濃厚な気配は地面から立ち上り、魔素の流れが見えるものならば余計に気分が悪くなっただろう。

 目眩も感じるらしい。ロトスがしばらくそうした文句を念話で送ってきていた。


 やがて目的の場所に着いた。

 相手からは見えないような崖の上に立つ。

「あれがトイフェルアッフェの巣。ヒュブリーデアッフェより狡猾で悪魔と呼ばれている魔獣だ」

「あれが……」

「あそこ、見て。岩場の影にある木の柵が覆う場所」

 バルバルスが自然と目を細める。眉を寄せて、じいっと見つめ――。

 息を呑んだ。

 ロトスもまた衝撃だったようだ。身を仰け反らせて、慌てて唇を引き結んだ。何か叫ぼうとしたらしかった。

「な、なに」

「なんだよ、あれ……」

 二人が絞り出した言葉にならない言葉へ、シウが真実を教えた。

「オーガとヒュブリーデアッフェを飼っているんだ。いや、家畜とさえ呼べないね。あれはもはや奴隷でもなんでもない。それ未満だ」

 二人には言わなかったが別の場所には雌だけが集められていた。そこも似たようなものだが、こちらはもっと気味が悪い。

 何故なら木の柵の中は実験場になっていたのだ。それも意味があるのかどうか分からないような拷問じみた暴力を振るう場所。

 たとえ魔獣といえども、見るに堪えない。

 これはまともな生き物の所業ではない。

 魔獣が悪辣である、醜悪であると言われているものの本髄を見たような気さえする。

「あれを殲滅してくる。その時に結界を張って防御をしてみせるから、目を逸らすことなく見るんだ。分かった?」

 バルバルスに告げると、彼は青褪めた顔でゆっくりと頷いた。

「……ああ、分かった」

「色を付けるよ。そこで、結界がどれほど脆いものか見てるといい。封印魔法がどれだけすごいものかが、分かるはずだ」

 ロトスには彼を任せると頼んで、シウは崖を飛び降りた。


 普段、防御には空間魔法を使うシウだったが今回は結界魔法を用いた。複合魔法を使っているうちに、いつの間にか増えた固有魔法だ。これをレベルを下げて使ってみる。シウの場合はレベルが高いので破られない可能性もあるからだ。

 今はバルバルスに結界の弱さを示したかったので、そうした。

 色を付けて結界を張り、移動する。

 もちろん、トイフェルアッフェはすぐにシウを見付けた。彼等は単独で行動すると言われていたが、やはり二匹で組んで攻撃に入った。

「っていうか、人間は殺すんじゃなくて捕らえる方が先か」

 彼等の持つ攻撃スキルを鑑定して知っていたが、即死になるような攻撃は繰り出してこなかった。あくまでも足止め、なんとか生け捕りにしようとしているのが分かる。

 それを躱しながらオーガたちが拷問されている実験場へ着いた。

 着くやいなや、シウは一気に殲滅した。《転移》で魔核を奪ったのだ。そのまま死んだ体を空間庫へと仕舞う。

 トイフェルアッフェたちには何が起こったのか分からなかったようだ。

 顔を見合わせ何かを言い合っている。これはまずい、と言い合っているような感覚が伝わってくる。

 一匹がボスを呼びに行った。その間に、シウは近くにいたトイフェルアッフェから倒していく。

 自分たちが狩られる立場だと悟った彼等は、急いでシウから距離をとった。それでも攻撃態勢に入らないのは、ボスが生け捕りを命じているからだろう。

 彼等は賢い。統率の取れた群れだ。こんなものが黒の森にはいる。

 以前もシウは黒の森へやって来て巣を潰した。だというのに、まだ群れは残っている。どこからか現れ、この黒の森の端へと住み着いた。

 脅威の存在が、境界線から一日も離れていないところに住んでいる。

 バルバルスはきっと恐怖におののいているだろう。

 そして知る。

 こんな魔獣を越えさせないために張られた封印魔法について。

 そして、その強化版の「全身全霊をかけて施さなければならない封印」について思いを馳せるはずだ。



 ボスは、色のついた個体だった。

 以前シウが戦った強いトイフェルアッフェも緑色をした異常に魔力の高い個体だった。

 今回も緑がかった茶色をしている。

 鑑定すればスキルが多いことが分かった。彼もまた、以前の緑の個体同様にスキルを奪うことのできる変異種なのかもしれない。

 この茶色の個体は、シウを見るや手にしていた斧を投げ飛ばしてきた。魔法を使ってだ。

 結界はいとも簡単に割れた。斧が当たる前に飛び退ったが、結界はもう張られていない。

 茶色の個体は仲間を使ってシウを追い込もうとした。けれど、もう彼の役目は済んだ。シウが彼等とまともに戦う必要はどこにもない。

「僕にはお前たちのような趣味はない。いたずらに苦しめるような、戦うことで得られる経験値も欲しくはないんだ」

 だから、強い個体以外は魔核を《転移》して倒した。強い個体にも試してみたが、茶色以外は使えた。シウの能力も上がっているようだった。

 茶色を倒すには、以前と同じように何か別の方法が必要だ。

 シウは少し考えて空間庫から、譲り受けたイグの鱗で作った剣を取り出す。びっくりするぐらいの魔力を使って練り込み作り上げた、小さめの剣だ。

 茶色はひくりと喉を鳴らした。これがとんでもないものだと気付いたようだった。

 それでもシウを得たいと、その目が語っている。

 茶色は魔獣の本能に勝てなかった。人間がいる。しかも途轍もないスキルを持った強い人間だ。魔力は感じられなかったろうが、そうした人間がいることを茶色ならば知っていたかもしれない。ここまで伸し上がってきただろうからだ。

 欲しい!

 強い意思がダイレクトにシウへと伝わった。

 魔獣の気持ちなど理解したくなかったが、はっきりと分かる。

 シウは爺様に教えられたことを忠実に守り、静かに待った。相手が攻撃してくる。その一瞬に、身を躱しながら切る。

 旋棍警棒で何度も訓練した。ただ剣に持ち替えただけだ。動きは同じ。

 真っ直ぐに飛んできて、手前でひょいとフェイントをかける茶色だったが、空気の流れや茶色が使う魔素の流れでシウには目を瞑っていても分かった。

 半身になって「ここだ」と思う場所へ剣をすっと刺した。

 するりと入った。

 切った、という感触はまるでなかった。

 イグの鱗の凄さを、シウは「ごとり」と茶色の頭が落ちる音で気付いたのだった。






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