321 新たな生命の誕生
樹氷の月の終わり頃、アリスの卵石が孵ったと知らせが入った。
「レオン。アリスのところ、もう孵ったんだって」
通信を切り、そわそわしているレオンに伝えたら彼はホッとしたようだった。
卵石は稀に孵らないまま石になってしまうものもいる。そんな本を読んでしまい、シウに毎日「鑑定してくれ」と言ってきた彼だ。アリスの卵石のことも心配だったのだろう。
「彼女も心配だからって、宮廷魔術師に鑑定してもらっていたそうだよ」
アリスは魔法省に勤めている。召喚魔法持ちなので、第三研究室という部署で勉強しながら先輩たちの手伝いをしているそうだ。
魔法省と宮廷魔術師は仲が悪いようなのだが、事務方と違って研究室はそうでもない。それに第一級宮廷魔術師ベルヘルト=アスムスの護衛を、アリスの父ダニエルがやっていた関係で繋がりができたようだ。
ベルヘルトが「ダニエルの娘ならば手を貸してやれ」と言ったらしいが、どんな様子だったか目に見えるようだ。
シウはアリスからそれを聞いて笑ったものだ。
ダニエルは役職はかなり上だが、我が儘で癇癪持ちだったベルヘルト付きとして現場に出ていた。最近は随分とおとなしくなったので外に出ることは減ったそうだが、今でも宮廷魔術師には顔が利く。というよりも、たぶん、猫の首に鈴を付ける役目を負っているのだろう。宮廷魔術師は我が儘な人が多い。能力の高い者が多いので、そうなるのも仕方ないと、いつだったかダニエルが語っていた。
そうした関係で繋がるというのも面白い話だ。
「生まれたのはコルニクスの雌だって。グラーティアと名付けたそうだよ」
「グラーティア? 確か古代語だったか……」
レオンが首を傾げる。思い出せないらしいので、シウが答えた。
「『感謝』って意味だよ。生まれてきてくれたことに、感謝なんだって。そして、拾ってくれた者へ感謝の気持ちを持ってほしい。そんなつもりで名付けたと言ってたよ」
「……感謝か」
コルという存在がいたからこそ生まれたのだと、いつか知ってほしい。その願いを込めたそうだ。コル自身は、そんな大袈裟な名前を付けるのかと鼻で笑っていたようだけれど。
もしかしたら羨ましかったのかな、と思わないでもない。彼の名前はシウが付けた。安直に、コルニクスだから「コル」と名付けてしまった。
ちょっぴり、いや大いに悪いと思ったシウである。
レオンはアリスが名付けた「グラーティア」の意味を知って悩み始めた。
彼の卵石もそろそろ孵るはずだ。
良い名を贈ろうと考えていたようだが、古代語というのも良いと気付いたらしい。
「シウ、何か良い名前はないか?」
「古代語で?」
うーんと考えていると、ロトスが間に入ってきた。
「やめとけやめとけ。レオン、シウの名付けのセンスの悪さ、知ってるだろ?」
どっかり座り込むと、指を振る。
「フェーレースにフェレスと名付けるセンスだぞ。コルニクスにコル。分かる? 最初俺にコンとかフォックスとか言ってたんだからな」
「コンは鳴き声のことか? そりゃあ絵本の世界だろ。フォックスも古い言葉だった――」
言い掛けてレオンはぱくっと口を閉じた。
ジワリと汗が流れたようだ。そっと、ロトスを見ると、彼はレオンを見てニヤニヤ笑っていた。
「……人が悪い」
「人じゃねーもん」
「ばっ、言うなよ! 誰が聞いてるか」
「ここはシウの部屋でーす。誰が盗聴すんだよ。大丈夫だって」
ロトスは、レオンが知っているかどうかをカマに掛けたようだ。レオンは、はあっと大きな溜息を吐いて、それからシウを見た。睨まれている気がする。
「大体、シウが悪い」
「えっ、僕?」
「おー、そうだそうだー。シウが悪いー」
「ええっ。なんで」
「なんでもだよ」
「そうだそうだー」
二人が結託するので、名付けの手伝いはボイコットした。
その後、レオンとロトスで延々と名前リストを書いていたようだが、結局決まらないまま彼の卵石は孵るのだった。
樹氷の月の最後の日。
レオンの卵石が孵った。
残念ながら、光の日だったのでシウもロトスも居合わせなかった。可哀想なレオンはあたふたして、メイドたちを巻き込んで大慌てだったそうだ。
シウたちが知ったのは数時間後で、カスパルが冷静に指示したロランドの通信でだった。
ちょうど、スウェイを連れ帰ることが決まった時だったので、二重に嬉しい出来事となった。
スウェイはククールスと過ごすうちに、人と共にいる生活がそれほど悪くないと知った。また、採掘現場をそろそろギルドに報告すべきと話していたのを聞き、ここから離れるという現実を考えた。
離れてしまえば、もう会えない気がしたようだ。
希少獣は人と過ごすことで幸せを感じるところがある。
それは彼等が賢いからだ。考え、話をする。その喜びに彼は気付いた。
シウが、おいでよと気軽に告げたらスウェイはククールスを見た。
ククールスは、間違えなかった。
「俺はさ、いい加減で、働いたり働かなかったりの適当さだ。でもな、パートナーになった奴をいい加減に適当に扱うほど落ちぶれちゃいない。信じてくれるか?」
「ぎゃうう」
「んじゃ、来い。俺は大したことはしてやれないだろう。でも、俺にはシウっていう仲間がいる。こいつは俺が一番信頼してるやつだ。何かあったら全力で頼れって言えるやつなんだ。お前は、おれとパートナーになるんだろう。でもな、シウのことも仲間だと思うんだぜ?」
「ぎゃう!」
「よっしゃ。じゃあ、よろしくな」
ふたりのやり取りをロトスはニヤニヤ見ていた。人の悪い笑みだ。けれど、シウは微笑ましかった。照れ隠しのようなククールスの物言いに、彼らしいなとも思った。なのでロトスには念話で、
(あまりからかわないように)
と釘を差しておいた。悪ノリするロトスを止めないと、ククールスが可哀想だ。
しかし落ち着いて考えると、そのまますぐ連れ帰るのはいろいろと困ることがある。
まずは場所の問題だ。スウェイはシアン国にいた野良希少獣である。そして、イェーダーという鉱山の場所はシアーナ街道から見れば北東でかなり遠い。
転移で来ている手前、シウには誤魔化したいことが多々あるのだ。
ククールスには申し訳ないが、地道で時間を掛けて帰ってくれるよう頼んだ。ククールスもその方がいいと納得していた。
念のため、道中何かあってはいけないのでスウェイには首輪をつけた。そしてククールスとの間に主従契約を結ぶ。
彼等はフース街を通ってシアーナ街道から帰る予定となる。遠回りになるが安全な平地を行く。森を突っ切るのは危険だ。いくらエルフとはいえ、ククールスは一人。それに初歩的な訓練しか行っていない元野良の騎獣。それだけでは厳しい。
「フース街だと冒険者ギルドも大きいだろうから、そこで正式な契約をしてね」
「おう。ま、それまではゆっくり物見遊山で行くよ」
「大丈夫だろうけど、危険があったら《転移指定石》使って」
「分かってる。ま、いざとなればコルディス湖へ飛んで時間潰しをしてもいいんだ」
それをしないのは、スウェイに生まれ育ったシアンという国を見せてやりたい気持ちもあるのだろう。人とパートナーになった騎獣は堂々と麓を歩ける。山の中で隠れ住まなくてもいいのだ。盗賊に狙われることも減る。
旅を通してスウェイを慣れさせる。その後、ルシエラ王都へ連れて行く。これがククールスの考えたスウェイの育て方だった。
イェーダーには新たな鉱山を発見したと報告し、権利は放棄した。
十分に採掘は済ませたし、これ以上は取りすぎというものだ。
ロトスも満足そうだった。
プルプァで採掘したものもカットしてみたが、いい出来になった。イェーダーで取れた宝石もカットしていくつもりだ。
フェレスたちは原石も好きだがカットしたものも好きらしいので、シウは忙しくなる。
ククールスにも路銀代わりに採掘したものを渡した。もちろん食事もだ。
「楽な旅すぎるんだけど」
「いいんじゃない?」
「まあ、いいっちゃいいんだけど。スウェイの勉強にならないんじゃねえの」
「兄貴ー、それ言い出したら、俺らも勉強になってない」
(きりっ)
念話はシウだけでなくククールスにも届いた。彼はぶはっと笑って、まあいっか、と受け入れることにしたようだ。
シウたちだけ《転移》で戻ると、ブラード家ではてんやわんやの騒ぎが落ち着いた頃だった。
レオンはシウを見て泣きそうな、それでいて嬉しそうに笑った。
「生まれたぞ……」
「うん。可愛い子だね。良かった」
「ああ……本当に……」
本当に。
レオンは、ようやく涙を零した。
初乳を与えたり体を拭いたり。生まれたことに感動する時間はなかったのだろう。
ようやくホッとしたのだ。
シウはフェレスが生まれた時のことを思い出した。あの時の感動が今頃になって染みてくる。
まだどこか他人事のように生きていた、あの頃。
フェレスもまた、シウをこの世界に繋げてくれた。
「生まれてきてくれてありがとうね」
思わず、そう言っていた。
レオンが驚いたようにシウを見る。そして自身の手の中にいる小さな小さなフェンリルに、目をやった。
「生まれて、きてくれて、ありがとう……か……」
「うん」
シウと同じ孤児のレオンは、たぶん誰よりも思っているはずだ。
「生まれてきてくれて、ありがとうな、エアスト」
エアストとは、一番という意味だ。一番目、最初という。
レオンのパートナーのフェンリルは、エアストという名前で絆を得た。
**********
書き忘れてましたが、拙作「魔法使いで引きこもり?」三巻の重版が決まりました。
これもお買い上げくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
この「本文に情報を入れる」のを毎回忘れがちで申し訳ないです。いや、近況ノートにも入れ忘れること多いんですが。
……がんばります!(反省って書こうとして、反省は猿でもできるネタが出てしまい、紆余曲折を経て最後にゴリラバケーションという思考の流れは自分でも意味不明)
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