262 必殺フェレスの技と皆の意見
何はともあれ、食事だ。
人間は食べなくてはいけない。
シウは一階で急いで食事の用意をし、その間にアントレーネに頼んでヒルデガルドの着替えを手伝ってもらった。
ドレスなんてものは持っていないが、エミナからのお下がりがあるし、多少男装のようになったところで今の服よりはマシだろう。
下着はアントレーネの新品があるらしいので、それを調節すると言ってくれた。女性の下着についての詳細が分からないので、そのあたりは任せる。
二階へ行くと、テーブルなどをセッティングしてくれており、クッションをたくさん置いたソファへ座らせようとしているところだった。
「大丈夫、介添なら慣れていますから。わたしの体は大きいでしょう? もっと力を抜いても大丈夫です」
「え、ええ」
なんとか座らせることができたので、シウはテーブルの上に皿を並べた。
「じゃあ、レーネ、後を任せても良い?」
「はい」
「え?」
ヒルデガルドが不安そうに見上げてきたので、シウは首を傾げた。
「レーネじゃ、ダメ?」
「あ、いえ、そうではなくて。あなたは、シウは?」
「……同席してもいいの?」
「ええ!」
シウのことを嫌っていたのだから、さすがに一緒の食事は嫌だろうと思っていたのだが、予想以上に喜ばれてしまった。
それも、話をよくよく聞けば、あることが分かってくる。
「わたしのことを、やはり許していないのだと思って……。それで、同席は嫌なのだと思ったの」
あのヒルデガルドが、である。
こんなことを言うなんて、と思わず絶句してしまった。
人に嫌われているかもしれない、なんてことを考えるような人ではなかった。
廃嫡されてからの彼女は、そうとう精神的に追い込まれていたのだろう。
可哀想にと思い、食事を終えたあとにフェレスを部屋へ呼んだ。廊下でごろごろしていたフェレスはヒルデガルドを見ても毛を逆立てることはなかった。
もしかしてだが、覚えていないのだろうか。
「にゃ? にゃにゃにゃー」
やはり、覚えていなかった。この人だれーと呑気なものだ。
彼の記憶のいい加減さに額を押さえたものの、シウはフェレスに、
「悲しんでいるみたい。慰めてあげて」
と頼んでみた。
フェレスは、いいよーとのんびり答えて、尻尾をふりふりさせながらベッドに近付いた。
「にゃ!」
食後すぐなので横にはならず、クッションなどで座らせていたヒルデガルドは少し怯えた顔を見せた。
しかし、フェレスの長いふさふさの尻尾攻撃で、すぐ笑顔になった。
「魅惑の尻尾なので撫でてあげてください」
「まあ」
「僕は片付けを、レーネには食事をさせてきますから少し席を外しますね。とにかくゆっくり休むこと。何も考えずにフェレスと遊んでいてください。疲れたらそのまま寝てていいですよ。用事があったらサイドテーブルの鐘を」
「……ありがとう、シウ」
「どういたしまして。フェレス、ヒルデガルドさんをよろしくね。何かあったら呼ぶこと」
「にゃー」
いいよーとの返事にシウは内心で笑う。そして、気付いた。フェレスは、目の前の相手のことだけを見ている。その相手の心を。彼は今、目の前の彼女の心細さに、寄り添える子なのだ。
シウはヒルデガルドにも分かるようにと翻訳してあげた。
「任せておいて、と言ってます。か弱い人には優しく接することのできる子だから、安心してください。では」
シウが微笑んだからか、あるいはフェレスの尻尾が何度も彼女の手を撫でるからか。
部屋を出た時のヒルデガルドの顔は、柔らかく微笑んでいた。
さて。
いろいろ問題がある。
階下ではアントレーネが、先ほどヒルデガルドに出した料理の三倍ほどある量を急いで食べていた。
「誰も取らないのに」
「あ、いや、これは。ええと、早くお姫様のところへ戻ってあげたくて」
元々早食いの気があるので人の目がないとこうなるのだ。
自分でも言い訳がましいと思ったのか、だんだんと尻尾が項垂れていく。
シウは笑って手を振った。
「冗談だって。それより、少し時間を置いた方がいいかも。フェレスもいるし」
「フェレスが大丈夫そうなら、そりゃ安心だ。お姫様だから騎獣は嫌がるかと思ってたよ」
アントレーネはホッとしたらしく食べる速度を少し遅めた。あくまでも、少し、だ。
シウは勢い良く減っていく皿の上の料理を眺めながら、アントレーネに相談した。
「女性の服が要るけど、買いに行くことできる?」
「そうだね。特に下着は大きさがまるで違うからね。……ううむ。あたしみたいな獣人族がお貴族様のを買いに行けるもんかね?」
「獣人族でも大丈夫だろうとは、うーん、言えないんだよね。貴族街はなあ。平民になったのなら服装はそれなりに我慢も必要だろうけど、下着って、気になるよねえ」
シウ自身の経験である。
前世では綿の肌触りが良い下着を着ていたために、今生ではしっくりこなかった。
ただ、戦後の物資不足で不平不満は言えない経験をしていた。だから仕方ないと受け入れられただけだ。
ロトスも庶民の着る生地はごわごわしていて嫌だと言っていたので、貴族の女性として生まれ育ったヒルデガルドに庶民の下着は嫌だろう。
「他に頼める人というと、エミナかな。でも、エミナに貴族街の店、大丈夫だと思う?」
「……ええと」
何とも言えない顔をするので、笑ってしまった。アントレーネも苦笑して、それから、ハッとした顔でシウを見た。
「ダメだよ、シウ様」
「え?」
「自分で作るとか言わないように!」
「あ、うん。なんで?」
なんで、というのは、突然どうしたのだという意味だったのだが。
「なんでって、当たり前だ。男が女の下着を作ったりするのはダメだ。シウ様は紳士なんだから絶対やっちゃいけない。いいね? 絶対だよ?」
「あ、はい。分かりました」
作る気なんて毛頭なかったのに――そもそも仕組みが分からないのだが――厳命されてしまったので素直に、はいと答えたのだった。
少しして、スタン爺さんたちが帰ってきた。
アントレーネにヒルデガルドのことは任せて、シウは本宅へ行って報告だ。
スタン爺さんはヒルデガルドの不遇な様子に同情して、いつまででもいていいと言ってくれた。ユーリアとのことはぼかして伝えたが、スタン爺さんには分かったようだ。
エミナはシウが匿うことに関して、最初は複雑そうだった。
皆には客観的に話したつもりだが、どうしてもシウ側に立って考えるので思うところがあるのだろう。それでも追い出せなどと言わないところが優しい。
寝てしまったアシュリーを揺らしながら、しんみりしている。
「……あたしが死んで、旦那が後妻との間の子を跡継ぎにって考えるだけでも辛いのに、家から追い出すなんて想像できないわ」
「ドミトルはそんなことする人じゃないからね」
「もちろん! ……もちろん、そうよね?」
ドミトルは呆れた顔をしたものの、そんなことは決してないと断言していた。
「反省して罪を悔いているなら、もういいんじゃないのかなぁ。あたしはそう思う。それに、最初に神殿へ入ろうとしたってところも好感持てるもの」
「そうなの? でも安易に出家するものではないみたいだけど」
少女小説が好きなエミナなので釘を差したら――。
「分かってるわよー。現実はもっと厳しいってことも。それに還俗が難しいって話もね。たぶん、彼女だって分かってるんじゃない? いろいろ、つらい現実を知ってしまっただろうから」
シーカー魔法学院を退学になったヒルデガルドには、たくさんのつらい現実が待っていたに違いない。
シウと最後に会った時、彼女は自分が他人から良いように使われていた事実に気付いた。
ヒルデガルドはキリクに片思いをしていたようだし、恋心が嫉妬になって、たぶん付け込まれたのだろう。
まともな思考回路ではなかった。ましてヒルデガルドには思い込みの激しいところがあった。しかもカミラという猪突猛進な騎士もついていた。
相乗効果で悪い方へと突っ走ってしまった。
ところが、シウと会った最後の日、彼女は不意に気付いた。冷静になったのだ。
正常になれば分かるはずだ。
正常になったからこそ、つらい現実を前に押し潰されそうになっただろう。
「悪手ばかりを選んでしまったんだね」
「神殿へ行く道も悪手、騎士の手を取ったのも悪手かぁ。可哀想だと思うわ。あたしも、お爺ちゃんと同じく、ここで滞在してもらうのは良いよ。手伝えることあったら言ってね」
「ありがと」
しかし、ロトスは反対のようだった。
「可哀想だと思うけどさぁ。でも、ヒステリーで思い込み激しいお嬢様だろー? スタン爺さんとかの迷惑にならないかな~」
(第一、シウとの相性すごく悪そうで想像しただけで俺、怖いんだけど!)
それはシウも思ったことだ。なにしろシウのことを目の敵にしていた人だから。
でも。
今のヒルデガルドは違う。彼女は現実を知って、そしていろいろ考えた。考えて考えて、つらい目に遭って、それでも踏ん張った。心は堕ちていない。
ならば希望はある。
「いつまでもここに置いておくわけじゃないよ。大丈夫。なんとかするから。ロトスにも面倒かけないようにする。それじゃ、ダメかな?」
「……ぶう。そういう聞き方したらダメって言えなくなるじゃん!」
「あ、やっぱり嫌なんだ?」
「シウがいいなら、いいんだよ。ったく。なんでもかんでも拾ってきて!」
「ロトスも拾われたんでしょー? 何、もしかして地位を奪われるとか思ってるの? 大きくなったくせに、まだまだ子供ねえ」
「えっ、それ、俺に言ってる? ねえ、エミナ、俺のこと? それって、ブランカと同列に語ってなくない? ねえってば!」
抗議しているのだが、じゃれているようにしか見えない。青年姿になったというのにロトスはやっぱりまだ子供みたいで、だからエミナもロトスが可愛くて仕方ないのだ。
彼女はロトスをからかうだけからかって、アシュリーが起きちゃう! と言って自分たちの部屋へ戻っていった。
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