261 卑怯なふるまい

えー。

人によっては不快になる内容かもしれません。

お気をつけください。






**********



 知らせたくないのは誰にか。

「誰にも知らせないで、お願い……」

 それは何故なのか。

 何度も言葉を飲んだあとに、小さく小さく、彼女は教えてくれた。

「父上から、家を出て行けと、言われたからよ」

 廃嫡のみならず、家まで追い出されたというのか。

 アントレーネは痛ましそうな顔をして、シウを振り返った。シウも眉間に皺が寄るのを感じながら頷いた。

「その後、どうされたのですか?」

「神殿へ行こうとしたの。わたくしでも生きていける場所は、そこしかないと。でも――」

 でも、それを止めた者がいた。

 彼女の騎士だった男、ユーリア=ライツだ。シウも学校で会ったことがある。私設騎士だったため、カサンドラ家に雇われたわけではなかったのだろう。直接ヒルデガルドに誓いを立てたらしい。

 彼はヒルデガルドに心酔していたようだし、有り得ると思った。

 はたして。

「神殿に仕える道を反対されて、わたくしのために騎士になったのだからと言われて、それで市井で生きていく方法を考えたのだけど。……わたくしたちでは無理だった。ユーリアは冒険者ギルドで働くと言い出して、皆を養うと、それで」

 ヒルデガルドの手が震えだした。

「わ、わたくしを、慕っていた……だから、どうか、妻になってほしいと……」

 どうやら、条件として妻になることを求めたようだった。

 なんてことをするのか。

 アントレーネも、ギリと歯を食い縛っている。騎士としてあるまじき行為だ。そんなことは騎士学校に行かずとも、分かることだった。

 仕える相手に対して、求めるものではない。

 むろん、互いに愛があるのならば構いはしない。

 事実、貴族のお嬢様と騎士の駆け落ちは少女物語の定番だ。そうした過去があるからこそ物語にもなっているのだろう。

 けれど、この場合は違う。

 これは脅しだ。

「わ、わたくしに、ついてきた者たちが期待する目で、み、見ていて、それで」

「受けたのですね?」

 ヒルデガルドは怯えたように震え、それからシウを見ないようにしてアントレーネヘ視線を向けた。彼女がどう思うのか気になったのだろう。

 でもアントレーネは、アントレーネだ。

「あなたは自分のことよりも、守るべき者たちのことを考えて耐えたのですね?」

 そのような言い方でヒルデガルドの決断を肯定した。

 ヒルデガルドは泣きそうな顔のまま、小さく頷いた。

「……でも、それでも、生活は、うまく、いかなくて」

 仕事をしようにもユーリアには猛烈に反対され、付いてきた他の騎士や家僕なども泣いて止めたという。

 彼等は今までと同じ生活を「自分たちのお姫様」にしてほしかった。

 でも、彼等もまた世間知らずだったのだ。ユーリアと同じく。

「ある日、ユーリアが、カミラっ、カミラをっ」

 カミラはヒルデガルドの一番の騎士だったはずだ。信奉者と言えるほど心酔しており、時に苛烈な態度を取ることから、ヒルデガルドの足を引っ張ってしまった。窘めることのできなかったヒルデガルドにも罪はあるだろうが、手綱の捌き方を知らなかったのならば可哀想だと同情できるほど、カミラは直情的な人だった。

 シーカー魔法学院内で重大な規則違反を犯したカミラは本国シュタイバーンに強制送還された。そこで騎士位を剥奪されたはずだ。

 ヒルデガルドはそんなカミラを引き取った。彼女なりの責任の取り方だったのだろう。

「カミラさんという方を、どうされたのですか?」

 アントレーネが優しく問いかけると、ヒルデガルドはアントレーネの手を強く掴んで叫んだ。

「こんなことになったのはアレのせいだから、売ってきましたよ、って! ユーリアは笑ってそう言ったの!」

「え?」

「ど、どういうことって、聞いたら、高貴な方には聞かせられないって」

 それで仕えてくれていた侍女や家僕たちに聞いて回った。彼等は視線を逸しながら、告白したそうだ。

「いっ、色街に、売ったと言ったの!」

 数日後、侍女が消えたそうだ。今度は誰も教えてくれなかった。家僕も消えた。

 騎士の一人は逃げたのだとユーリアは語った。見付け出して成敗してくれる、と笑った顔は、もはやヒルデガルドの知っているユーリアの顔ではなかったようだ。

「怖くなって、逃げようと、わ、わたくしも逃げ出そうと思ったの。でも、でも、こうなったのは全てわたくしのせいだわ。ユーリアにも恨まれてる。彼はわたくしを、な、何度も叩いたから……」

 頬を押さえて震えながら言う。アントレーネが鋭い顔になった。

「なんてことを」

「いいの、仕方ないもの。殺されても、わたくしには、何も言えない」

「そっ――」

 そんなことはない、と叫びそうになったアントレーネに、ヒルデガルドは被せるように早口で続けた。

「でもっ! カミラだけは助けなくてはいけないの!」

 本人がそれを望んだのだと皆は言ったそうだ。お嬢様のために身を売ってきますと。

 だが、それは本当にそうだったのか。

 ユーリアたちの視線に耐えられなかったのではないか。

 ヒルデガルドは今、自分が精神的におかしくなっていることを棚に上げて、カミラが追い詰められたのだと心配したようだった。

 そして、逃げ出した。


 家僕が店の名を漏らしていたので、ヒルデガルドは慣れない下町を歩き回って探し、ようやく辿り着いた。

 生活が大変でも手放せなかった母親の遺品を手に、どうかカミラを開放してほしいと頼んだようだ。

 しかし、そこにはいなかった。

 教えてほしければ店で働けと言われて逃げたところを、シウが見付けたということらしい。

 色を売る宿では用心棒として、ろくでもない男たちを雇うものだ。

 彼等はおんなが逃げたと言われてヒルデガルドを捕まえようとしたのだろうが、あわよくば、上手い話があればそちらに乗り換えようとでも思っていたのだろう。

 ヒルデガルドの様子から、どこかの貴族のお嬢様だと気付いたに違いない。

 そしてシウの服装から、シウも誘拐してしまえば身代金を、と考えた。

 ゴロツキの考えそうなことだ。

「勘当されているからカサンドラ家の名で訴えることもできないんだね」

 シウが声を掛けると彼女は小さく頷いた。

「父上からは、次に顔を見たら追い出すだけではすまないと言われたの」

 貴族家では、特に上位であれば考えられることだ。

 病死として届け出をし、一生を幽閉で過ごさせることも多い。実際に殺してしまうこともあるとは、物語で読んだ。

 ヒルデガルドの父にはまだ少しだけ情があったのかもしれなかった。

 もっとも、公爵家の娘が市井に降りて暮らすことは、幽閉よりも過酷であるということには思い至らなかったようだが。


 答えづらいだろうと思ったが、シウは肝心なことを口にした。

「その、ユーリアという騎士とは正式な夫婦に?」

 ヒルデガルドはのろのろと顔を上げ、何を言っているのか分からないという風に首を傾げた。

「神殿に届けを出した? お父上からは知られないように暮らしていたんだよね? 身を隠していたなら神殿にも顔を出すことはなかったのかなと思って」

「え、ええ。届けというのは出していないわ。だって、神殿で誓うのは貴族だからでしょう?」

 ああ、そういう知識なのかと、シウは内心で安堵した。

 大神殿にしか行ったことがなく、豪華絢爛な貴族用の礼拝室だけが彼女の知っている世界なのだ。

 あそこで平民の姿を見かけないのだから、彼等の結婚の契約についても知らないのは当然だった。

「庶民でも、結婚の誓いは神殿で立てるんですよ」

「そう、なの……」

「契約魔法も用いてませんね?」

「え、ええ。持っていないもの」

「でしたら、正式に抗議されることも探されることもないか」

「え?」

 まだ分からないらしいヒルデガルドに、シウは大事なことを告げた。

「もしも、ヒルデガルドさんがユーリアと正式に婚姻関係を結んでいたら、彼が届け出を出して堂々と探してくることもあった。見付かれば、僕は誘拐罪に問われていたかもしれないってことです」

「そんな!」

「でも、どうやら、彼もカサンドラ公に見付かるのを恐れていたみたいだね。【灯台下暗し】で王都で暮らそうとしたことは良かったのかもしれないけど。やり口の汚い、嫌な男だ」

「シウ様」

 アントレーネが窘めてきた。

「あ、ごめんなさい。言葉が悪かったね」

 ヒルデガルドに謝ったが、彼女はぽかんとしたままシウを見て、それから焦点が合ってきたかのようにじいっとシウを見つめた。

 今、初めてシウを見たのだというような、顔をする。

「……シウ。あなたは、もしかして、あの」

「何?」

「わたくしを……。わたしを、助けようとして、いるの?」

 何を今更。

 アントレーネも少し呆れたような顔をして、ヒルデガルドを見た。それから、そっと彼女の手を取ってぽんぽんと叩いている。まるで母親のように、優しい姉のように、接していた。

「当たり前でしょう?」

「……当たり前? でも、わたしは」

「ヒルデガルドさん。あなたが過去にやったことは覆せない。でも、悪かったと思っていたからこそ、ユーリアの甘言を受け入れてしまった。そうだよね?」

 泣き出しそうな、困ったような複雑な顔色で布団を握った彼女は、よく見れば侍女などが着るよりも劣る、ドレスを着ていた。何度も水を通したような古い生地だ。ほつれたところを直した跡さえある。

 痩せ細り、色白というよりは顔色の悪い様子だ。精神的にも追い込まれていたのだろう、不自然な目の動きをしている。

 ここまでの罰を受ける必要はなかった。彼女はここでも選択を間違ってしまったのだ。

「もう、いいんだよ。あなたは逃げていい。助かっていい。分かった?」

 そう言うと、ヒルデガルドは大きな琥珀色の瞳から涙を溢れさせた。

 わあわあと声を上げて泣くのを、アントレーネがどこまでも優しく穏やかに抱き締め慰める。

 アントレーネがいて良かったな、と思った。

 シウではダメだった。


 いろいろな助けが世の中にはあるのだと、ヒルデガルドもいつか知ってくれたらいい。

 そう願う。

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