260 ヒルデガルドの変わりよう
とりあえず、アントレーネに見ていてもらい、シウはスタン爺さんのところへ行った。
居間ではロトスが赤子に乗りかかられて息も絶え絶えになっていた。
アシュリーはハイハイしており、シウを見てにぱっと笑う。
「シウ、助けて、俺はもうダメだ」
「あ、うん。まだ元気いっぱいみたいだね」
「こいつら、昼寝の後ずっとこれだぜ。どんだけ元気なんだ。アシュリーまで張り切っちゃって、さっきから廊下をハイハイしっぱなし」
「お疲れ様。ところでさ、今日は僕がご飯作るって言ってたんだけど、出来合いのものかヴルスト食堂でもいいかな?」
スタン爺さんにも視線を向けると、構わんよと答えて、それからどうしたのかと心配そうな顔だ。
彼は感じる力がある。何かあったのだとシウを見て気付いたようだ。
「その、街でヒルデガルドさんが誘拐されそうになってて」
「なんじゃと?」
「えっ、マジ?」
「うん。それで、警邏に引き渡されたくないようだったし、連れて帰ってきたんだ」
「連れて帰った、のか~。シウってば、本当に」
「あ、うん。そうだよね。僕も今、それ、思ったよ」
苦笑したら、スタン爺さんも笑いだして、ツッコミを入れてくれたロトスも呆れたように笑い始めた。
「俺も連れて帰ってもらったから助かったんで、あんま言えないけどさー。ヒルデガルドって人、前に言ってた貴族の子だろー?」
ロトスにはいろいろ話しているので、覚えていたようだ。
「厄介事の匂いプンプンするけど、大丈夫かー?」
「あー、だよね。でも、他に連れて行くところもないし」
「そっかあ。まあ、宿屋に連れ込んだら、そっちのが問題か。妥当な選択かな」
「ロトスの了解が得られて良かったよ」
「俺じゃなくて、スタン爺さんね!」
「わしは、構わんよ。人助けのためじゃ。よう、してやりなさい」
「はい」
「わしらは、勝手に食べに行くでな。シウは付いててやるんじゃぞ」
「うん。ロトスには悪いけど、子供たちを頼んでいいかな?」
「おーう。任せとけ。あ、でも、ブランカにも頼んで? 俺、マジ、大変なの」
今もよじ登られていて、どれだけ獣人族の赤子は身体能力が高いのかと思っていたところだ。
ブランカには帰ってきたよーと挨拶して、顔を思い切り撫で、お仕事として赤子の世話を頼んだ。
「すっごく助かるから、やってくれる?」
「ぎゃぅ!」
「さすが、ブランカ。頼りになるなあ!」
「ぎゃぅん。ぎゃぅぎゃぅ」
「よし。じゃあ、クロはいつものように監督をお願いね」
「きゅぃ」
「シウがひどいなあ。素直なブランカが時々可哀想になるぜ」
「嘘はついてないよ?」
「まあな。これで嘘ついてたら、俺も怒るところよ」
笑いながら、ロトスはブランカに騎乗帯を付けて、そこに赤子たちを乗せていく。
「自分だって、さっさと乗せてるくせに」
「俺はいーんだもーん。な、ブランカ」
「ぎゃぅ?」
「よしよし。お前は素直な子だな。いい女になるぞー」
「ぎゃぅ!」
シウより、ロトスの方がひどい気もしたが、後を任せることもあって無言で聞き流すことにした。
離れ家に戻ると、フェレスが起きていて一緒に二階へ上がった。
「レーネ、彼女まだ寝てる?」
「ああ。でもあんまり良い睡眠じゃなさそうだ」
シウが首を傾げると、アントレーネは部屋の方へ向かって顎で示す。
「魘されているようだ。寝汗もかいてる。起こした方がいいのか悩んだんだけどね。起きた時にあたしを見たら、もっと魘されるかもしれないと思って」
肩を竦め、シウのところへ来た。
「起きるまで待っているのも大変だ。可哀想だけど、一度起こして話をしてから休んでもらった方がいいんじゃないかな」
「分かった。そうする」
アントレーネには戸のところで待っていてもらった。
なにしろ相手は貴族のお嬢様だ。成人したシウと二人きりになってはいけない。
「ヒルデガルドさん、ごめんね、起きてくれる?」
声を掛けて、布団の上から腕を軽く叩いた。
彼女は薄く目を開けて、天井をぼんやり眺めた後、もう一度声を掛けたシウの方に頭を傾げた。
「あなたは――」
「シウです。覚えているかな?」
「ええ」
いつもの彼女らしくなく、声に覇気がない。
どこかぼんやりした視線でシウを見ている。
「起きられる? 少しだけお話をしたいんだけど」
「ええ……」
「介添のために、女性を部屋に入れたいんだけどいいかな? そこで監視目的で立っているんだけど」
と視線で示したら、ヒルデガルドも頭を少しだけ上げて入口を見た。少しだけ目を見開いたものの、すぐにまたぼんやりとした様子で頷いた。
これは本当にどうしたものか。
自然と眉が寄るのを感じながら、なるべく平坦に平然としようと、シウは努力した。
アントレーネが名乗って、失礼しますと声を掛けてヒルデガルドを起こした。背にクッションを置く際にもだが、アントレーネは侍女らしい仕草をしている。
スサやサビーネに教わって身に付いたのだろう。
マナーの講義も受けていたが、それはこうした時にも役立つのだ。
シウは目で「ありがとう」とアントレーネに伝え、傍で待っていてもらった。
「彼女は僕の騎士だから、秘密は漏らしません。あなたの身の安全のためにも部屋にいてもらうけど、どうか安心してください」
「……ええ。あなたが、わたしに何かするとは、思ってない、わ」
信じてくれるのは有り難いが、やっぱり返答の仕方がおかしい。
「あの、ヒルデガルドさん、大丈夫? さっき何があったのか、聞いてもいいかな? それと、どこに知らせを届ければ良いのかも。でないと――」
「やめて!」
「え?」
ヒルデガルドは初めて感情的になった。
それも、泣きそうな顔でだ。
ベッドの上で座っていたため、シウに掴みかかるよう寄ってきた時に倒れ込んでしまった。
慌てて抱き留めたが、背負った時にも感じたことを、今もまた強く感じた。
とても痩せているのだ。
「どうしたの、ヒルデガルドさん」
「お願い、やめて。お願いよ」
「だから……」
「シウ様、ちょっと――」
縋り付くように頼まれて、唖然としていたらアントレーネがシウの側に回ってきた。シウとヒルデガルドの間に手を入れ、ヒルデガルドを抱き締めるようにして離す。
「お姫様、申し訳ありませんがお体に触れますね。ああ、シウ様、これはちょっと時間がかかるかもしれない」
「あ、うん」
「女は、時々感情に振り回される時があってね。こういう時はシウ様みたいに堅苦しい応じ方は良くないんだ」
それもそうか、と納得する。
「あたしに任せてほしい。シウ様はちょっと離れたところに、ああ、そこの椅子にでも座って見ていてくれるかな。いなくなると、お姫様も嫌だろうからね」
「分かった」
指示されて、壁際に並べて置いていた椅子を少しベッド側に近づけて、座った。
ヒルデガルドはアントレーネにあやされるように背中をぽんぽんと優しく叩かれ、落ち着いたようだ。
はあはあ、と息を吐いているのは、興奮しただけではない。
息が上がっているのだ。
彼女の体力はそれほどまで落ちている。痩せ方を見れば、それもそのはずだ。
しばらくして、ヒルデガルドが落ち着いてきた。
「落ち着きましたか? お姫様、詳しい話をお聞かせ願えますか? わたしも主のシウ様も、決してお姫様に悪いようにはしません」
「……シウ。シウよね? ええ、シウだったら、安心できる」
「そうですよ。シウ様は、あたしを助けてくれたお人だ。すごい人なんです。とても優しくて強い人。ね、だから大丈夫です。……お姫様は誰にも知らせたくないんですよね?」
ヒルデガルドはこくんと頷いた。まるで子供に戻ったかのように、素直にアントレーネへ体を預けていた。
心も、だ。
彼女はアントレーネの問うままに、語り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます