181 シアン国の不思議な風習
クイマスには引き止められたが――妻のイヴァナにも引き止められたが――シウは丁寧に辞退して屋敷を出た。
途中までマクシムが馬車を出してくれたため、それを使った。
降りたのは寄木細工の工房だ。
バルボラの紹介状があったためにすんなり話が通り、良い品を手に入れることができた。
シウがうっとりしているので、ロトスはおじいちゃんヤバいと言い出すし、ククールスとアントレーネは時間を持て余してボーっと突っ立っていた。彼等にこの良さは理解できないらしい。残念なことだ。
その後も、組子の工房へ寄り、職人と話をして大いに盛り上がったが、同行者たちはつまらなさそうだった。
最終的に、別行動にすれば良かったのだと気付いたが、そこまで遅くなるとは思ってなかったのだ。
すみませんと、皆には謝った。
この日は遅くなったので、街にもう一泊することになった。
察したらしいマクシムが探しに来て、是非泊まっていってくれと言うからお邪魔することにした。
すると、彼の娘がまたレンカに伝えたらしく、宿泊先が二転三転した後、結局フェルトホフ伯爵家になってしまった。
仕方なく受け入れたが、早めに出れば良かったと少し後悔したシウである。
部屋は、シウだけが最上級の客間へ通されて困ってしまった。
同行者を蔑ろにしているわけではないが、シウだけ特別扱いされても嬉しくない。
イヴァナが妙に張り切っているので、困惑を隠さずにいたら、さすがに執事がすっ飛んできて止めてくれた。
それでも聞いてもらえないため、とうとうクイマスが出てくることになった。
「イヴァナ、彼には仲間がいるんだよ。同じ部屋が良いと仰っておられるものを、何故離すのかね」
「ですが、シウ殿はパーティーリーダーだと伺いましたわ。リーダーとは特別ではありませんの? 他の方々にも相応のお部屋を用意しております。わたくし、この家の夫人として相応しくあろうとしているのですが間違っていますでしょうか?」
そう言うと、クイマスの手を握って胸に当てる。
夫に対してもぐいぐい迫るのは良いのだが、人前で少しはしたない姿だなあとは思った。
でも、どうやらこれがシアン国の女性の常識らしい。
人前で夫と仲良くすることは恥ずかしいことではないようだ。
工房で、チラッとそうしたことを聞いてみたら、笑われてしまった。
ただ、イヴァナのパーソナルスペースが狭いことは有名らしく、坊っちゃん迫られたのかいとからかわれた。
「しかし、シウ殿は他国の方だ。我々の習慣を押し付けてはいけないと、言ったはずだね?」
「……郷に入っては郷に従えと申しますわ。彼も立派な冒険者ならば、シアンという国のことを学ぶ意味でも、良いことのように思えますの。どうかしら、シウ殿?」
クイマスが何か言う前に、すぐさまシウへと話を振った。彼女はどうしてもシウを一人にさせたいようだ。
シウは苦笑したまま、返した。
「あの、そういうことでしたら、別に宿を取ります」
「え?」
「本当はマクシムさんの家に呼ばれていたんです。それが何故か急にここへ来ることになってしまって」
決して自分たちから来たわけではないのだと告げた。
すると、クイマスの顔から笑みが消えた。もちろんシウに対して怒っているのではない。彼は妻を見下ろすと、眉間に皺を寄せた。
「イヴァナ、お前――」
「お待ちくださいませ、旦那様。これは、レンカからの提案ですの。そもそもセラフィマがレンカを唆しましたのよ」
「……たとえそうだったとしても、恩人であるシウ殿を使おうと考えたのは良くない」
「旦那様」
しなだれ掛かるイヴァナの肩を抱いたものの、クイマスはシウに視線を向けて目だけで謝意を表した。
シウが大丈夫ですよと頷いたら、彼は笑み顔に戻った。
年若い妻を可愛がってはいるが、仕事とはしっかり分けているようだ。
シウは彼にとって良い取引相手であり、こんなことで失いたくない人脈のはずである。だからか、ホッとしたような顔になった。
ククールスたちの案内された部屋へ行く間、執事がシアン国の事情をシウに話してくれた。
たぶん、クイマスからそれとなく説明するよう命じられたのだろう。
とても言いづらそうに、かなり遠回しに教えてくれた。
それを、シウがやって来たことでホッとしたらしい皆に教えてあげる。
「へっ、夜這い婚?」
「一夫多妻!?」
男二人は楽しげに声を上げた。
アントレーネは白い目だ。
「そうらしいね。マクシムさんの娘さん、セラフィマって言うらしいんだけど、彼女は既婚者だから無理だと思って、レンカさんに相談したんだって。レンカさんはこれまでも色んな情報をイヴァナさんに渡していたから、今回も話したらしいよ」
シアンは冬が長く厳しい国で、他所からの人が居着かない。
人口も少ないため、子供は産めよ増やせよと推奨している。
だから、独身者は褒められた存在ではなく、クイマスも最初の妻を亡くしてからすぐに後妻としてイヴァナを娶った。
どうかすると、二人目、三人目の妻を持てと勧められるそうだ。もちろん、妾という形になるのだが。
この国では男たちの死亡率が他国より高く、どうしても女が余る。だから、甲斐性のある男に複数の女が集まるというのが元々の真相らしい。
で、血が濃くなりすぎないようにと、旅人などから種をもらうのだそうだ。
しかし、当然ながら既婚者は許されない。
寡婦などを優先的に忍ばせるのが昔ながらの習わしということだった。
そう言えば、そうした昔話を読んだことがある。
日本の大昔にもあった。閉鎖的な村社会だと、外からの血が大事になるのだ。
「それでね、魔法袋の複数所持者で騎獣の持ち主も僕、持ってる資産はかなりのものだろうという皮算用があったらしいよ。執事さんははっきりとは言わなかったけど。昔と違って今は夜這いが成立したら、強引に結婚まで持っていくんだってー」
「ひえー」
「シウに夜這い婚!!」
ククールスは若干引いているが、ロトスは自分には関係ないと思っているのかゲラゲラ笑っている。
「あたしはそういうのは嫌いだね」
アントレーネがようやく会話に交ざってきた。彼女はずっと白い目で見ていたのだ。シウが夜這い婚をOKと言ったわけではないのに。
「なんで? レーネは、気が合えば付き合うって言ってたじゃん。そういうの良いんじゃねえの」
ククールスが聞くと、アントレーネは肩を竦めた。
「好きだったらいいんだよ? 気が合うってことは、まあ相性が良いってことだからね。お互いの気持ちが合えば、それはそれでいいのさ。でも、夜這いってのは、相手の気持ちを考えてないじゃないか。いや、そもそも、女の方だってどうなんだい?」
「おお。そりゃそうだ」
「俺もそういうの反対ー」
ロトスは青年姿になったというのに、子供みたいに拳を振り上げてカワイコぶりっ子風に言う。もしや、自分が大人になったことを忘れているのだろうか。
シウはロトスを見て苦笑しながら返した。
「僕だってそういうの嫌だよ」
「でも、将来性を見込まれたんだろ? さっすが。俺なんて夜這いのひとつもされたことねえぜ」
言い切ってから、ククールスは少し首を傾げた。ないよな、ないない、とブツブツ言いながら納得している。
「とにかく、クイマスさんに納得してもらったから、こっちに来たんだ」
「良かったなー。シウの貞操は守られた!」
「本当だよ。あたしがついていながら、もう少しでシウ様が穢されていたところだ。まったく!」
それはそれでどうかと思うのだが、アントレーネは怒ったら怖いので黙っておく。
ロトスはやっぱりゲラゲラ笑っていたが、彼にだっていつ降りかかるか分からない。後で脅しておこうと、シウはにんまり笑った。
翌朝、出立の際に、イヴァナの姿はなかった。
クイマスが当主自ら見送ってくれたので、怒られて拗ねてるのかなと思ったら、やりすぎたせいで部屋から出るなと命じられたようだ。
代わりに女主人としてバルボラが挨拶してくれる。
「昨夜は大変失礼致しました。義母に悪気はなかったようなのですが、恩人であるシウ様にするようなことではありませんでした。今時このようなやり方は通じないと申し上げているのですが、なかなか――」
「大変ですね」
バルボラは困ったような顔をして小さく笑った。
「ええ、その、本当に申し訳ありません」
含みのある言葉に、シウも合点がいった。
イヴァナはシウの部屋へ彼女を送ろうとしていたのだ。昼食会のことを考えると、イヴァナはエイダでも良いと思っていただろうが、子供を作るつもりならまだ未成年の彼女では無理だ。
「苦労されてるんですね。ご無理されませんように」
「まあ。……ありがとうございます」
シウとのやり取りを、クイマスは微笑ましそうに見ていたが、最後にもう一度謝ってくれた。
それから、シウの前でバルボラに言った。
「イヴァナは勘違いしているようだが、お前もそうだったとは思わなかった。次期当主はバルボラ、お前だ。夫を得ても良いが、子ができぬとしても構わぬよ。その時は弟妹がいるのだから任せれば良い。分かったね?」
「お父様……」
「シウ殿。そうしたことですので、今後のお取引についてはバルボラを当主代行としますから、わたしが不在の場合は彼女にお願い致します」
言外に、妻の言うことは聞かなくていいと言ったわけだ。
フェルトホフ家を取り仕切るのはどうやらバルボラになりそうだった。
フース街を出る時にはマクシムもやって来た。
ゼーハーと息せき切っており、いつかの景色を見ているようだ。
「シウ様、本っ当に、申し訳ありませんでしたっ!!」
「ええと?」
「娘、我が娘の、セラフィマの失態をっ、先ほど聞かされましてっ」
クイマスが伝えたのだろうかと思ったら、ククールスが口笛を吹いている。どうやら彼が伝えたらしい。
「そのー、セラフィマ自身も夫をそうしたやり方で掴まえまして」
あら。
「何度も失敗した末のことで、こう、周りにも発破をかけていたようでして」
やっぱりセラフィマが唆したのかと、全員で顔を見合わせて笑った。
何度も謝るマクシムには、何もなかったのだからもういいよと許し、また今度と挨拶して別れた。
それにしても、シアンという国は不思議なところがある。
鉱石とチーズだけではない。組子も寄木細工もある。そして夜這い婚。
もっと面白い話も出てくるだろう。少し楽しみなシウだった。
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