172 五香花
土の日はアントレーネと別行動だ。赤子も彼女が連れて行く。
よって、シウはロトスとフェレス、クロ、ブランカでコルディス湖に転移した。
この日は予定通り、一日を費やして五香花の採集を行うことにしている。
「暇だろうから、遊んできても良いよ」
と言うと、フェレスは子分を引き連れて飛んでいってしまった。
遊んでーとシウにべったり張り付いていたのは遠い昔のことで、自立心溢れる子に育って良かったというか、遊ぶのが本当に好きなんだなと思えばいいのか。
なんにしろ、楽しそうなのは良いことだ。
「ロトスは行かないの?」
「俺も採取やる。覚えて、金を稼ぐんだ」
「……えーと、薬師になるってことかな?」
「うんにゃ。冒険者やるの。で、ギルドでこう言われるんだ。『すごい! あんな貴重な五香花を採取してくるなんて、彼SSランクの人じゃない!?』みたいな」
「あ、そうなんだ。ふうん」
一応ちゃんと返事をしたつもりだったのだが、反応がないのでロトスを見ると、唇を尖らせて拗ねた顔で睨まれてしまった。
「え、なに。どうしたの」
「そこはさ、『SSランクってないよ』とか『そんな目立つ採取の仕方はダメだよ』と突っ込むところでない?」
「……あ、そっか。そうだね。ごめんごめん。えーと、ロトス、五香花は扱いが大変すぎて冒険者ギルドでは受け付けてないと思うよ。薬師ギルドの本部にでも持ち込まないと無理だし、現物持っていくよりは処理したものを売りつけないと意外と買い叩かれるよ!」
どうだこれで、と笑顔でロトスを見たのだが、彼はまだ同じ顔のままだ。それに合わせて「ブー」と自分でも不満声を口にしている。
「え、なに」
「そこまでの正論はいらなかった。いらなかったんだ……」
「えーと。ごめんね?」
「いいんだ、シウにツッコミのなんたるかを教えるのは俺の役目さ。ふっ」
ロトスは楽しそうに、何やらこだわりのある演技をして遊んでいた。
朝一番に採取した五香花は青臭い爽やかな香りを放っており、気持ちを落ち着かせる花茶として使える。
これは大量に必要としないので採取後は真空パックにして仕舞った。
実験として、その採取した部分を空間魔法で取り囲んで栄養を与えた後、促進魔法を掛けてみたら同じ花が咲いた。
見ていると、二つ目の匂いにちゃんと移行している。どうやら太陽の位置などが関係するようだ。
五香花はやがて、爽やかだけれど花らしい匂いに移る。これは採取後に乾燥させて粉にするのだが、これを基材のヘルバと共に水と混ぜれば、清拭水として使える。無駄に菌を殺さずに浄化できるちょうど良い具合のものだ。
お昼頃になると、三つ目の匂いに変わった。甘く爽やかな香りで「瑞々しい少女のような」と評される匂いだ。これは精油にする。心が安定し、気分が前向きになると言われていた。
昼ご飯の後も、採取を続けた。実験も行っているが、やはり太陽の傾きによって匂いは変わるらしい。
午後の半ば頃になると、甘やかで深みのあるミルクっぽい匂いに変わった。
ミルクと言っても牛乳臭いというわけではなく、あくまでも上辺から感じる甘ったるい余韻のようなものだ。
これも精油にするが、こちらは深いリラックスを伴うもので、薬師ギルドでは睡眠導入に使われている。眠れない人への処方だ。
シウはここで全部の花を採取した。
もし実験が失敗して五つ目を採取できなくても、これがあれば良い。
しかし予想通りというか、促進魔法でも十分に花は咲いてくれて、匂いも移行した。
最後は、濃厚で華やかな香りとなった。
もう夕方で、太陽の光も山中だから消えかけている。その瞬間を狙ったかのように、一気にぶわっと匂いが変化したのだ。
むせ返るような濃い匂いに、ロトスは耐えきれずに逃げてしまった。
「俺、無理ー。ユリとかも苦手だったから、ダメだー」
花の匂いの好悪は個人差が大きいので、気持ちは分かる。シウも前世ではストックという種類の花が苦手だった。お墓参りで購入すると季節によってそれが入っており、顔を顰めたものだ。しかし、その花の匂いが大好きだという同僚もいて、驚いたことがある。
不思議なことに、転生してから匂いには寛容になった。
もしかすると威圧を受け付けないのと同様に、どこかしらが鈍感になっているのかもしれない。
とにかくもロトスが耐え切れなかった花の匂いには全く動じず、もうそろそろ花が閉じてしまうという一瞬の間に魔法で全部採りきったのだった。
この最後の時間帯の花は、精油にする。
催淫効果があるとされ、とても高値で取引されているのだ。
もちろん、合法である。
王侯貴族に気に入られているため、あればあるだけ売れるという代物だった。
採取後、ロトスにそれを説明したら。
「えー。売れるのかあ。でもなあ。やっぱ俺、五香花の採取はやめるわ。あの匂いを我慢しながら採取とか、有り得ん。無理。酔いそう」
「そんなに無理なんだ? ああ、でも、ロトスは聖獣だから鼻が良すぎるのかもね。だから花の匂いだけでも催淫効果があったのかも」
「うげ」
「大丈夫だよ。体に悪いものじゃないし、残るものでもないから。後で自分を鑑定してみたらいいよ」
「分かったー」
それから、ロトスは宣言した。
「やっぱ、冒険者は採取より討伐だよな! よし、俺はドラゴンキラーになるぜ!」
「ああ、うん。いいんじゃない? でも、ドラゴン、古代竜って本当にびっくりするぐらい強いからね。あと、悪いことしてないんだったら、いきなり殺すのは止めた方がいいよ。ドラゴンは魔獣じゃないし」
人間を大量殺戮するような生き物ならともかく、古代竜は知性ある生き物で、かつ聖獣よりも上とされる存在だ。
念のため、そう注意したのだが。
「だからー、冗談に真面目に返すの禁止! 俺だってドラゴン倒すとか嫌だよー、もう。クロが延々怖かったって話をしてきたんだぜ。絶対無理だってーの」
そうだったのか。
クロはそんなに怖かったのだ。可哀想なことをしてしまった。
シウはそちらに気を取られて、ロトスの話を聞き逃した。
「大体シウはそんなの相手にして呑気すぎんだよ、鈍感、バカ、アホ、間抜けー」
その為、ロトスはシウが無視した、イコール悪口を言われて気分を害したのだと勘違いし、晩ご飯までの間凹んでいたらしかった。
晩ご飯の後、ロトスがブランカに一生懸命話しかけていた。
「いいか、お前はもっと賢くなるんだぞ。飼い主がアレだからな」
誤解も解けたはずなのに、シウへ仕返しをしているらしい。苦笑しながら放っていたら、彼等の話がいつしか変遷していた。
「だからー、ブランカの名前は『ブランカ』だって言ってるだろ。よし、ブーたんまでは許す。でも『子分』と『はむしっぽ』はもはや愛称でもねえ。バカ、やめろ、俺は子分じゃねえ。あ? あのなあ、ひげもじゃの奴等はただの冒険者。先生じゃないってば」
「ぎゃぅぎゃぅぎゃぅー」
「あー! もう分かんない奴だな! クロ、交代だ!」
「あ、ダメ。クロは今、リラックスタイムだから」
シウが断ると、ロトスがこちらに視線を向けた。
彼の目には、シウの両手に包まれるクロが見えたことだろう。力を抜きまくって鳥らしからぬ格好になっている。
「……クロ、お前、なんつう顔してるんだ」
咎められてもクロは全く気にせず、堂々とシウにスリスリしている。
クロも甘える時は甘えるのだ。
ちなみに、シウの安楽椅子の足元ではぴっとり張り付いたフェレスが座り込んでいる。
朝から遊び回っていたフェレスだが、やっぱり戻ってくるのはシウの下らしい。
可愛いので足で一生懸命モミモミしている。
「シウ、足でやるのはいくらなんでもひどくね?」
「でも手が空いてないし」
「それは見たら分かる。つうか、フェレスよ、お前もそれでいいのか? いいのか。いいんだな。そっか」
すると、ロトスに掴まって話しこまれていたブランカが、ハッと我に返ったらしく突進してきた。
ぶつかる前に急ブレーキで止まるのもいつものことだ。慣れてしまった。
彼女はフェレスの尻尾の端を踏みながらもなんとか留まり、彼の体のない場所、椅子の後ろ側にぐるりと回って横たわった。
「ぎゃぅ!」
あいてして、と鳴いてくるが、シウもそちらには手も足も出ない。
「ブランカ、尻尾を回してみて」
「ぎゃぅぎゃぅ」
「そうそう。よし、腕で押さえたよ。ほら、これで良いでしょ」
「ぎゃぅん!」
「えっ、それでいいのか?」
子供騙しじゃん、とロトスが突っ込むけれど、シウは笑って首を横に振った。
ロトスは「ひでえ」と言いながらもシウに釣られて笑いだし、やがて転変して自分も獣姿になるや椅子の近くの空いてる場所に捩じ込んできた。
彼ももうすぐ成獣となる。体も大きくなっていて、フェレスを追い越す勢いだ。
けれどももちろんフェレスたちを追いやったりはしなかった。
フェレスもそうだが、ブランカも、ちゃんと少しだけ避けてあげていた。
隙間を用意してあげたのだ。
子分だなんだと言い合っているが、彼等はちゃんと仲間で、ロトスのことも尊敬すれば大事にも思っているのだった。
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