171 アントレーネの報告




 翌日は学校があるので、夕方には一度転移で戻ったが、アントレーネはまだ屋敷に戻っていなかった。

 神殿にいることは分かっていたので気にしていなかったが、晩ご飯の時間を過ぎる頃に神官が手紙を持ってきた。

 泊まりになるという連絡だった。

「今日はそちらへ泊まるのですね」

 ロランドも手紙を見て、神官に確認をすると、彼は申し訳なさそうに頷いた。

「昼間、保護しておりました少女がかなり興奮しまして、先ほどようやく落ち着いたところなのです。アントレーネ様もこのまま置いていくのは心配だと申されて、少し様子を見たいと仰っていただけたのです」

「そうですか。シウ様、それでよろしゅうございますか?」

「はい。レーネには、子供たちのことは任せてほしいとだけ、伝言をお願いします」

「子供たち……とは、あの?」

「彼女の産んだ赤子のことです。三人いますが、面倒を見る者は多いので大丈夫ですよ」

 赤子と言いかけたところで神官が真っ青な顔になったので、すぐに大丈夫だと告げたが、彼は何度も頭を下げた。

「赤子から母親の時間を奪うなど、誠に申し訳ないことをしました」

「レーネが望んでいることだし、父親母親代わりはたくさんいますから。今日も元気に水遊びをしたと伝えてください。きっと、それは良かったと笑うだけですよ」

 そう言ったのだが、神官は最後まで恐縮しきっていた。

 今日はアントレーネがかなり頑張ったのだろう。それがよく分かった。


 夜中に、採取のためシウ一人で転移して戻ったが、魔法であっという間に終えて戻った。

 だからだろう、皆ぐっすり寝ており、シウが抜け出したことに誰も気付くことはなかった。



 翌日、学校から帰ってくるとアントレーネが待っていた。

 彼女も先ほど戻ったばかりなのだと言って、腕を振り回していた。日課の基礎訓練をやっていないので、体が気持ち悪いのだろう。

「庭でやってきたら」

「じゃあ、そうしようかな。報告は後でもいいかい?」

 いいよと笑うと、彼女は走って庭に飛び出ていた。訳も分からずブランカも後を追う。ついでフェレスものっそり付いていき、結局一人と二頭で庭を走り回っていた。

「元気だなー」

「ロトスも走ってきたら良いのに」

「朝やったもん」

「昨日は勤勉に森の中を歩いていたのにね」

「おかげで今朝は筋肉痛です。ありがとうございました」

 ロトスの妙な言い回しに、シウは笑った。


 アントレーネの報告は食後、シウの部屋で行われた。

 ロランドが少し気にしていたものの――神殿に呼ばれたのだから気になるのも当然だが――少女らのプライベートな事柄も含まれるため、まずはシウだけに話したいと言った。

 ロトスも気を遣って席を外している。

「実は一人だけ、何故助けたんだと癇癪を起こしてね」

「ああ……」

「やっぱりシウ様は分かってたんだね」

 シウがガス抜き云々と話していたからだ。敏い彼女はうんうんと頷いた。

「冒険者が助けたりしたからだって八つ当たりしてきたんだよ。そう思う者は多いからね。でもあたしが、ほら、女が行ったもんだからさ。怯んだみたいでね」

 それでも暴れていたようだが――ようするにお前にわたしの気持ちなんて分からないだろうと言われたらしいが――アントレーネにも悲惨な経験がある。

 淡々と己の経験を語ったら、言葉に詰まった少女が今度は、お前は冒険者で平気だったからだろうと罵った。

 すると屍のようにただ黙って聞いていた他の少女がいきなり立ち上がって、興奮している少女を叩いたそうだ。

「あなたが無理やり今回の旅を計画したんじゃないの! 自分の責任は放棄して、文句だけ言うの? 助けてくれた相手になんてこと言うのよ!」

 彼女が喋るのは初めてだったらしく、アントレーネは少しホッとしたらしかった。

 実は人形のように黙り込んでいる者の方が怖いそうだ。

 だから、最初の少女もそうだが、怒りを現している方が良いらしい。

「冒険者だから平気だとか関係ない。立場も関係ない。あなたが貴族の実子だから一番苦しいって言いたいの? あなたが一番辛いって言いたいの?」

「ちっ、違う、違うわ! でも――」

「だったら、謝ってよ。この人は助けてくれただけよ。そして、言いたくもないことを言ってくれたんだわ! 誰だってこんなこと、言いたくない。わたしたちのために、あえて教えてくれたのよ」

「……っ。……ごっ、ごめんなさい」

 そんなやり取りをして、それから「貴族の実子」と呼ばれた少女は、他の少女らに謝ったそうだ。

 自分の我が儘で旅を計画して、こんなことになったと。

「それは、死んでいった皆に謝って。わたしたちは、生き残ったんだもの……」

 他の子たちも呆然としていたのだが、ようやく涙を流すまでになったらしい。

 その後は、神官たちも総出で少女らの話を聞くことに時間を割いたようだ。

 話すというのは大事なことで、それで苦しみの最初のひとつが弾け飛ぶと言っていた。ひとつ弾け飛べば、次もすぐ飛んでいく。

 後は時間が解決するしかない。

 少女の中には神殿に入りたいと望む者もいたそうだが、神官は否定もしない代わりに、肯定もしなかったようだ。

 一時の気持ちで決めて良いことではない。

 どうしようもなくなったら門を叩いてほしいと何度も伝えたようだった。


 アントレーネは辛抱強く彼女らに寄り添い、話を聞いたり、また逆に自分の話をしたりしたそうだ。

 心が落ち着いてくると次に気になるのは体のことだが、それらは光の日の夜、彼女らが到着してすぐに神官による処置で浄化されている。

「何の憂いもないと神官が告げたら、ホッとしていたよ」

「そっか。良かったね」

「ああ。だけど、今朝になってちょっとね」

「うん?」

 昨夜、アントレーネが泊まると連絡してくれた神官がつい漏らしたそうだ。

「子供たちのことを言われてね」

「うん。あ、そうかあ」

「最初は、子供がいるなら今は幸せに暮らしているんだ良かったねって雰囲気だったのに、敏い子がいて気付かれてしまってね」

 アントレーネの子供たちは、彼女が欲しくてできた子ではない。

 仲間の裏切りにあって敵国に掴まり、望まぬ妊娠をした結果だ。捕虜交換もしてもらえず、彼女は奴隷に落とされて遠いラトリシア国まで売られた。

 問われたアントレーネは、彼女たちに嘘偽りは告げたくないと正直に教えた。すると。

「最初の子がね、ほら、主家の貴族の子だよ。彼女が土下座せんばかりに謝ってきて」

 暴言を吐いて申し訳ないと謝られたそうだ。

 貴族の娘にそんなことをされて、アントレーネはどうしていいか分からなくてオロオロしたらしい。

 それを止めたのも、やはり最初に娘へ啖呵を切った少女だったそうだ。

「庶子ってやつらしくて、実は最初に取り乱していた子の姉に当たるんだって。自分は貴族じゃないって言っていたから、そういう意味だよね?」

「うん、そういうことだと思う。じゃあ、妹に、腹違いの姉が仕えていたってことか」

 複雑な話だ。

「そうなるのかな。だから、気安い空気もあったんだね。他の女の子らは侍女だって言ってたよ。正気に戻っても、あんまり自分の意見は言ってなかったね」

「一山は超えたのかな」

「ああ、そうだね」

「お疲れ様、レーネ」

「いや。あたしは全然。それよりシウ様、あたしの勝手を許してくれてありがとう」

「勝手なことじゃないって。レーネは自由にやっていいって言ってるのになあ、もう」

 シウがメッと睨むと、アントレーネは笑って手を振った。

「騎士だからね、あたしは。だからちゃんと許可を取るのさ。それに、主がいるってのは良いもんだ。シウ様みたいな主を見付けることができて良かったよ」

 命があったから、今がある。

 アントレーネはシウには言わなかったが、そうしたことも告げたのかもしれない。

 生きていたからこそ、幸せな今がある。

 きっと良いことがあるなんて無責任なことは言えないが、それでもアントレーネ自身の例はあるのだと、教えたに違いない。

 赤子三人のことも、含む気持ちは一切ないのだと。

「明日、子供たちを連れて行ってあげようと思うんだけど、いいかな?」

「いいよ。でも三人まとめて面倒見られる?」

 未だに赤ん坊の世話にあたふたするアントレーネだ。心配で問うと、彼女はウインクした。

「だって、あそこには年頃の女の子が五人もいるんだ。それに、神官だっているんだよ? 他に一体何がいるっていうんだい」

「それもそうだね」

 シウが肩を竦めると、アントレーネは楽しそうに言った。

「赤ん坊は良いよ。場を明るくしてくれる。里でもそうだった。誰の赤子だろうと皆が勝手に面倒見てね。赤子が泣いてたって楽しいもんさ。そうやって接しているうちに、喧嘩していた男共も、あれなんで喧嘩していたんだっけ、ってことになるんだ。そんなもんさ」

 だからちょうど良いと、豪快に笑ったのだった。



 カスパルとロランドには、こうしたことがあったようだと簡単に経緯を説明した。

 彼等もクセルセス街道で起こったことは情報として知っていたので、痛ましい顔をしたものの、少女らが前向きになったのなら良かったと胸を撫で下ろしていた。

 連絡はしてくれるなと言い張っていた貴族の娘も、神官の説得を受けて今朝、手紙を書いたそうだ。

 これらは飛竜便で届けられるだろう。

 それまでは神殿で静かに暮らすことが決まった。

「……それとなく、彼女たちの助けになるような寄進をしておこうか。ロランド――」

「はい。かしこまりました。早速お届けいたしましょう」

「ブラード家だとは知らせないようにね」

 事情を知られているというのは、嫌に思うだろう。そう気遣ってのことだ。

「はい。そのように」

 ロランドは早速思いついたらしく、静かに遊戯室から去っていった。

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