117 カサンドラ家の噂
時間を見計らうかのように、ベストタイミングでブロスフェルト伯爵とその息子、そしてダルシアたちがやってきた。
宿の表門で迎えたのはシウとシリルで、応接室まで案内した。
キリクとエラルドは昔馴染みで、応接室では真面目な挨拶もそこそこにすっかり寛いでゆったりとしたものになった。
その後、正餐の間にて食事を摂った。
本当はここで本格的な話をするのはマナー違反なのだが、エラルドも気にするような人ではないらしく、早速シウに話しかけてきた。
「久しぶりだな。随分と立派になったじゃないか」
「ええと、ありがとうございます」
身長が伸びた、という意味だったらいいのだけど。
シウは苦笑しつつエラルドとその息子ファヴィオにお礼を言った。
「いつも立派な服をいただきまして、ありがとうございます」
「ああ、やめてくれ。ただのお下がりなのだ。使わなくなったものを下げ渡しただけで、お礼を言われる筋合いではない」
「お、父上が照れてる」
「やめんか、ファヴィオ」
親子の会話に、キリクがにこやかに口を挟んだ。
「お返しも要らないと、突っ返すほどだからなあ」
「元々、どこかへ回すものだ。……だから、シウ殿も着ないのならどこぞへ渡して構わんのだからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
「だからもう礼は要らん」
すこおし赤くなった顔で返すから、ファヴィオもキリクも楽しげに笑っていた。
アマリアは淑女らしく、控え目に微笑むだけだった。
食後はシウのことを考えて、男性陣はスモーキングルームではなく遊戯室へ足を運んだ。まだ未成年のシウには早いと言う。キリクは妙なところで律儀だ。
もっとも、意外と頭の固いエラルドや、人として常識的なアマリアの心配する視線を感じたのかもしれなかった。
キリク自身が煙草をやらないことも理由にあったのだろう。
部屋の中ではオスカリウス家の人たちが遊んでいたが、キリクが気にせず遊べと言ったら本当に素直に再開していた。
こういうところがオスカリウス家らしいと思う。
部屋の端にはククールスもいて、騎士のひとりと興奮しながらゲーム対戦をしていた。
横でロトスが応援し、フェレスたちも「にゃっにゃっ」「きゅぃー」「ぎゃぅ!」と叫んでいる。三頭は全く理解していないので、ロトスに言われて応援しているだけのようだ。
「和気藹々としていますね」
ファヴィオがどこか羨ましげに言うので、キリクはそうだろうと自慢げだ。
「締め付けるばかりじゃ、部下は付いてこないからな」
「耳の痛い話をする」
「そっちと、俺のところじゃあ比較にならんよ。同情するね」
「こちらとて、あの辺境の地での領地経営は同情するがね」
エラルドと言い合いのように会話が続くが、軽妙な物言いなので嫌味がない。
お互い言葉遊びのようにポンポンと語っているだけだ。
アマリアは苦笑しながら、自分は席を外しますねと離れていった。フェレスたちのところへ行くので、可愛がりに行くのだろう。ブランカが妙なことをしないよう、ロトスには念話でお願いした。
軽く飲みながら、エラルドがダルシアを呼んで共に礼を口にした。
「騎士が掏摸(すり)にやられるとは全く恥ずかしい限りだが、おかげでカサンドラ領にみっともないお願いをせずにすんだよ」
たかが掏摸で?
というのが顔に出たのか、エラルドが苦笑した。
その理由を口にしたのは息子のファヴィオだった。
「実はダルシアに頼み事をしていてね。財布の中に、メモもあったのだよ」
「ああ、それで」
詳しくは説明しなかったが、正式な伝言ではないものの重要な連絡事項をメモにして、相手に渡す必要があったらしい。
一般人が見ても分からないように細工はしていたようだが、暗号というほどでもなかったようだ。
「今回、国の飛竜隊と騎獣隊の一部からも大会に参加しているのだが、それに乗じて調査を行っていてね」
「調査ですか」
「カサンドラ領のみならず、大会で不穏な動きがあるという噂もあってな」
「俺も夜会で聞いたな。どこかの領所属のチームかと思っていたら、違っていたと」
キリクも話に加わってきた。
予選で見た飛竜チームが、領所属に似せていたというのだ。
「こうした場には滅多に出てこない領主だが、関係者がたまたまいたのでそれとなく聞いてみたら、レースに出せるような飛竜は持っていないというじゃないか。で、大会関係者に話をしたんだが――」
第二次予選で敗退したとかで、そのチームは帰っていった。
しかし飛竜だけを返したのかもしれず、念のため大会側が警戒をするということで落ち着いた。
「各家との情報連携も必要でね。それでやり取りしていたんだ。ダルシアには詳細を話していなかったこともあり、気軽な気持ちだったようだが」
「申し訳ありません!」
「父上。ダルシアはね、父上が気に入った女性への連絡役を仰せつかったのだと思ったようですよ」
「あっ、ファヴィオ様!!」
「ふふふ。踊り子への手紙ですからね。そう思われても仕方ないのかも」
「やめんかね、ファヴィオ。ここにはシウ殿がいるのだぞ」
どうやら、過去に何度か女性への取次を頼まれた部下がいるようだ。それを息子が知っているというのはシュールだが、高位貴族の男性が愛人を囲うことはおかしいことではない。
「あ、大丈夫です」
「……子供に気を遣わせてなんとするか、ファヴィオ」
「そうですねえ。ごめんね、シウ殿」
ファヴィオは見た目はやり手の軍人そのものなのだが、口を開くと優男風で穏やかだ。どこかホストっぽくて面白い。
ロトスだったら何と言うかなと思いつつ、シウは質問した。
「ところで、カサンドラ領の不穏な噂ってなんですか?」
エラルドが眉をひょいと上げた。
やはり聞き漏らしていなかったのか、といった顔だ。
でもあれは、シウに聞かせるためのものだったように思う。因縁があることは、伯爵であるエラルドなら知っているはずだから。
「第一子のヒルデガルド嬢を廃嫡するのでは、という噂だな」
「えっ」
「謹慎処分で自ら蟄居を選んでいたようだが。良くない話というのは広まるものだ」
「シウ殿、ヒルデガルド嬢がお見合いの席で無礼を働いた話は知っているかな?」
「えっ!?」
「あ、やっぱり。知らなかったんだね」
驚かせたことが嬉しいといった様子で笑うが、シウにとってはあんまり笑えない。
ヒルデガルドには色々やられたが、どうしても嫌いになれない人なのだ。好きというわけでもないが。
「サムエル=ホルンガッハ伯爵のことはご存知ないか、ええとねえ――」
「あ、ホルンガッハ伯爵なら名前だけは」
以前キリクが日和見だのなんだのと悪口を言っていたのを覚えている。
「あ、そうなんだね。実は、そのホルンガッハ伯爵の親戚にあたるフベルト=クリーガー子爵とヒルデガルド嬢がお見合いをしたんだよ。カサンドラ公にとってもホルンガッハ伯の関係者ならと思っていたようだから本決まりになるはずだったんだけどね」
「やらかしちゃったんですか」
「噂だよ? どうやら厳しいことを言われたらしくてワインを相手にぶちまけたそうなんだ」
「わあ」
「普通に聞けば、例の噂もあるからヒルデガルド嬢が全面的に悪いと思うでしょう? でも、フベルト殿には良くない噂があってね」
「と言うと?」
シウとファヴィオだけの会話になっているが、キリクもちゃんと聞いていた。ただ、顔には「どうでもいい」と書いてあったが。
「元々、宮廷魔術師を目指していたのに急遽魔法省に入った変わり種なんだけど、その理由が、好き勝手に魔法を人に向けて打てないからだというからね」
キリクが若干、眉を顰めた。シウもちょっとムッとする。
「その後、魔法省で頭角を現してホルンガッハ伯の子飼いとなり、軍の魔法実働部隊に配置された経歴の持ち主なんだ。以前、デルフ国との小競合で、平和条約の締結に時間がかかったことがあってね。その理由は魔法実働部隊が大勢の敵兵士を惨殺したからなんだよ。しかも白旗を上げた者までね」
「それは――」
つまり、フベルトという男は、相手が降伏したのにも拘らず攻撃したということだ。
「そうしたことから、あまり良い噂はない。だからヒルデガルド嬢に同情する声も少しあるぐらいだ」
ところが、なんといってもホルンガッハ伯爵といえば魔法省の大臣だ。
国の中枢で実権を握る魔法省大臣の子飼い、親戚でもある彼に、無礼を働いたというのは良くなかった。
こうなると、親ももう庇いきれない、というのが大半の見立てだった。
でなければヒルデガルドという泥舟と一緒にカサンドラ公まで沈んでしまうからだ。
「しかも、あそこは長く第二子に恵まれなかったが、先日第二妃が待望の男子を出産したからな」
エラルドが最新ネタを出してきた。
キリクは知らなかったらしく、片眉をひょいと上げている。
「血筋も良い。クリスティナ妃も王家の血を引いたお方だ。本来なら後妻として嫁がずとも良かったほどだが、ちょうど良いお歳のめぐり合わせがなかったからカサンドラ公に嫁がれたのだしな」
「なるほど、問題のある第一子を廃嫡し、第二子を嗣子にするか」
「とはいえサムエル殿もはいそうですかと簡単に引き下がったりはしないだろう」
「日和見殿だが、攻める時は攻めるからな」
それが貴族だ、とキリクは笑う。
「そうしたこともあって、カサンドラ領は今、貴族にとっては情報戦の真っ只中のような状態なのだよ」
もっと胡散臭いことも起こるだろうと、エラルドは言外に告げた。
「デルフ国からも諜報員が多く入ってきているようだ。陛下は飛竜大会の自国開催に頭を痛めておったよ」
「情報部隊がなんとかするだろ? 俺の領地経営の方がよほど大変だと思うがね」
「国と領は違うだろうが」
「領地に迷宮二つと、隣国との境界が二ヶ所、黒の森と接した領地の経営が簡単だとでも? 陛下にはたくさんの優秀な経営者がおられるのに」
「分かった分かった。陛下は確かに部下に丸投げだ。痛い痛いと言っても、毎日後宮へ行く元気はおありだしな」
「ほらな」
キリクはいつも以上に不貞腐れているらしい。
自分の方が大変だー、なんて言い方は普段しないのに。
「キリク、お疲れ様」
「……なんかお前に言われると、俺がすっごい我が儘な子供になったみたいじゃないか」
「そう、言われると俺もお前がガキに見えるな」
エラルドが笑って言う。
「止めろ」
キリクが頭を抱えるので、皆が笑いだした。
離れたところで、一体どうしたのかしら、といった様子でアマリアがこちらを見ていたので、シウは笑顔で手を振って応えた。彼女は微笑んでキリクに視線を向けたが、そのキリクは何とも言えない不思議な笑みを返していたのだった。
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