053 臭覚偽装の術式開発と実験




 水の日も午前中の授業の間、スラヴェナにクロとブランカを預けた。

 生産科では自由にしていいと言われているので、相変わらず好きなように作業をする。

「今度は何を作ってるんだ?」

「生産とはちょっと違うかも。匂いの擬装用魔道具です」

「……匂い?」

「そう。ほら、臭覚の鋭い人向けに緩和するようなものや、勘違いさせたりするんです」

「……前に《強力消臭飴》を作ってなかったか?」

「あれ、先生に話しましたっけ?」

「……嫁が、普通のやつを買ってきて、俺に使えというから」

「ああ」

「そんなに俺の足の匂いはひどいのかと、落ち込んだが」

「ええと」

「あまりに良かったんで、俺も《強力消臭飴》を買ったんだ」

「……根本から治した方が」

「薬師にも言われた。今は毎日ちゃんと足を洗ってるし、薬も塗っているぞ?」

 水虫だったようだ。というか、足は毎日洗おうよ、と思った。奥さん、大変だったんだろうなと同情する。

「似ているけど、今回のは偽装用で。実際の匂いに効くわけじゃないんです」

 ふうん、と興味なさげに返事をするが、しっかりとシウの手元を覗き込んでいる。

 魔術式を見て、首を傾げる。

「精神魔法、か?」

「錯覚させるので、手っ取り早くこれが良いかなと」

「へえ」

 偽装魔法では人間の匂いを拡散させる方向にしていたが、今回は錯覚を用いる。

 よほどの達人が相手だと錯覚では無理だろうが、そもそも消臭してしまったり匂いを拡散させるだけで獣人族にはばれてしまうので錯覚の方がましだ。

 獣人族の臭い自体を再現できない以上は、精神魔法による錯覚ぐらいしか思いつかなかった。

 これを指輪やピンチなどに付与してみる。

 試す相手がいないので、午後、アントレーネに頼んでみるつもりだった。



 昼にクロとブランカを迎えに行ったら、昨日みたいな弾丸のごとくに飛び出てぶつかる、ということはなかった。変な歩き方だが、くねくね? 静々と歩いてきて、ぎゃおんとブランカが鳴く。本人は「にゃおん」と鳴いたつもりらしい。

 今日の授業は礼儀作法だったのかな、と笑顔になる。

「頑張ったんだね」

「ぎゃぅ!」

 クロを見ると、こちらはカクカクと歩いてくる。彼は彼であれこれと叩き込まれたようだ。

「きゅぃ……」

「大丈夫?」

「きゅぃきゅぃ。きゅぃぃぃ」

 だいじょうぶ、でもつかれちゃった、と子供らしい返事だった。彼にしては素直だ。

「よしよし。大変だったんだね。お疲れ様」

「きゅぃ」

 えへーと、今度も素直に喜んでいる。スラヴェナはクロのこうしたところも引き出してくれたようだった。

 先生に挨拶を済ませると、二頭を連れてフェレスと共に帰った。



 昼ご飯の後、アントレーネの部屋を訪ねてみた。

「体調はどう?」

「かなり、良い。その、医者も、今日は呼んでくれて」

「あ、そうなんだ。大丈夫だった?」

「ああ。獣人族の出産に立ち会った経験のある女も、連れて来てくれた」

「そっか。ロランドさんや、スサがいるから嫌なことはしないと思うけど、気になったらちゃんと言ってね?」

「ありがとう。大丈夫だ。それにサビーネ殿が、手配を全部やってくれたようで、あたしは何も心配なんて、なかった」

 午前中はずっとスサが付き添ってくれていたようで、今は昼ご飯の後片付けでいないらしい。

「メイドの仕事もあるだろうから、もういいと言ったのだが」

「まあそのうち交代にするか、アントレーネの様子を見ておいおい減らすと思うよ。今はほら、環境が変わって心も体も大変だろうから、みんな心配しているんだ。今のうちだから、思う存分甘えていたらいいんじゃないかな」

「そ、そうか」

 こうした状況に慣れないのか、戸惑いは続いているようだ。

 それはそうと、本題に入る。

 作った魔道具を付けて、匂いを嗅いでもらったのだ。

「……獣人族、狼族の匂いが、する」

「やった!」

 じゃあ、次はと、変えてみる。

「む、これは犬族か」

 念のために、シウが見たことのない獣人族でもやってみたが、精神魔法が元にあるだけあって錯覚はできたようだ。ただし、彼女が知らない種族は無理だった。そこでようやく、これが偽装なのだと悟ったようだ。

「スサ殿にも聞いたが、シウ様は変わっている。すごいことを、さらっとこなすのだな」

「そうかな。思いついたら即行動、でやってるだけのせっかちなんだけどね」

 話をしているとスサが戻ってきた。

「あ、シウ様。おかえりなさい。そうだわ、ちょうど良かった。相談したかったのです」

「何?」

「その、リュカのことですけど」

「リュカ?」

 スサが少し言い淀んで、アントレーネを見た。そこまでされてようやく気付いた。

 リュカは獣人族と人族のハーフだ。このハーフというのをラトリシア国の人間や、そこに住む獣人族は忌み嫌う。

 他の地域の獣人族はそうでもないらしいので、地域的なものだと思うのだが、紹介してもいいものか、悩んでいるのだろう。

 というのも、医者の診察を終えた今、アントレーネを部屋に縛り付けておく気はないからだ。

 シウは一つ頷いて、怪訝そうにしているアントレーネへ質問してみた。

「ねえ、アントレーネは獣人族と人族のハーフについて、どう思ってる?」

「どうとは?」

 この返事でおおよそが分かったものの、シウはこの国のハーフに対する差別について説明した。

 すると、正義感が強いのか、アントレーネは怒りを露わにした。

「なんだと!? 何故そんなことで、子供を虐げるのだ!!」

 子は宝、を信じている彼女にとって耐えられない事実だったようだ。スサがホッとしている。

 シウは苦笑しながら、ブラード家がそのハーフであるリュカを引き取って育てていることを話して聞かせた。

「ああ、それで、あたしに聞いたのか。なんだ。……スサ殿、あんたはとても良い人だ。気を遣ったんだね。ありがとう」

「いいえ。試すようなことをしてごめんなさい」

「いや。この国がそうしたことなら、心配なのは分かる。あたしも、怒って悪かった。あんたたちはそんなことないのにな」

 そう言うと、アントレーネは笑顔になって、続けた。

「できたらリュカを紹介してほしい。あたしもこのお屋敷でお世話になるんだ。先輩方への挨拶もしておきたい。その、子供を産むまではろくな働きもできないが」

 そこは気にするなと言い含める。

 しかし、だとすると、そろそろロトスの紹介もしておきたい。

 だが、彼のことを子狐だと言っている手前、悩ましい。

 一応ロランドにも姿を見せていないので、嘘ついてましたーと言っても良いのだが。

「どうしました、シウ様?」

「どうしたんだ、シウ様。何か問題か?」

「あ、ううん。ちょっとね。えっと、部屋に戻ってる。考える事ができちゃった」

「あら。いつもの閃きでしょうか? 頑張ってくださいね!」

 スサはシウが突然スイッチが入る状態に慣れっこなので、笑顔で見送ってくれた。その後ろでアントレーネに説明してくれている。

 彼女のフォローには本当に助かる。今度、お礼の品を渡そうと思いながら、部屋に戻った。



 ロトスに相談してみると、もうちょっと先に見送ろうと言われた。

 もし万が一、屋敷の人に迷惑をかける事になったらと、尻込みしているようだった。

「じゃあ、シュヴィの避難場所を作ってそこで顔合わせすることになってるでしょ? その後にしようか」

「うん。それが、いい」

 シュヴィークザームとの顔合わせもすんなり行かないので、ロトスは少し気にしているようだった。あれこれ手間を掛けさせて悪いな、とまで言うので、子供が気にすることじゃないと慰めた。

「こども、って。シウもこどもだろー」

「転生後だってこっちの方が年上だし、前世合わせても僕の方が年上だよ?」

「あ、そっか。じゃあ、いいかなー」

 笑顔になって、抱きついてきた。

「おじーちゃーん!」

「なんで、お爺ちゃん呼びなんだよ。そこはお兄さんとかでいいよね?」

「あはは!」

 きゃっきゃと笑って、逃げていった。照れくさかったのか、その耳が赤い。

 彼の後ろを、遊びだと思ってるのかブランカが追いかける。

 そのうちまた追いかけっこになるのだ。

 これが気分転換になってくれたらいいなと、思う。



 いっそ、どこかに本格的な隠れ家を作って、そこにロトスを匿っても良いのかもしれない。けれどそうしないのは、やっぱり狭い人間関係だけにしておくことが、怖いからだ。

 シウのような引きこもりにしてはいけない。他者との繋がりがあってこそ、人間的な幸せはあるのだと思いたい。

 自己満足だよなあ、と自嘲する。

 でもやっぱり、シウの前世は、他者を拒否した生き方だった。

 それに、ロトスのような明るい若者を、閉じ込めるのは良くない。彼は外に出てこそ本来の明るさを取り戻すのだと思う。今はやはりどこか無理している笑顔だ。

 本来の彼になってもらうためにも、頑張ろう。早く彼に外の世界を見せてあげたかった。

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