052 調教開始、薬師ギルドへ相談持込
火の日になった。
昨夜も、また今朝になってもアントレーネには何度も安心させるよう顔を見せて話をした。スサにもよくよく頼んだので大丈夫だろうが、後ろ髪を引かれる思いで学校に向かった。
朝一番に約束していたスラヴェナの執務室へ訪ねると、待ち受けていたシモネッタにさあさあと中へ迎え入れられた。
「いらっしゃい。さあさ、子供たち、お顔を見せてくれるかしらー?」
朝から元気だ。テンション高い彼女に、同じテンションの高かったブランカが引いている。クロはなんとか持ちこたえていた。
「スラヴェナ先生、それでは今日は一日お願いしても良いですか?」
「もちろんよ。お昼は迎えにいらっしゃい。顔を見ると子供たちも安心するでしょう」
「はい」
「では、そろそろ授業へ行きなさい。あまり長居してもいけないわ」
「あ、そうですね」
こういうのはダラダラしていてもいけない。さっさと離れるに限る。
シウはクロとブランカに頑張ってお勉強してね、と笑顔で手を振り部屋を出て行った。
クロは賢く事態を悟って、無我の境地のごとくに固まっていたけれど、ブランカは置いてかないでーとぎゃうぎゃう大騒ぎだった。いつもは留守番を頼んでもこれほど騒がないので、やはりこれから「お勉強」が始まることを理解しているのだ。そして自分が苦手なことも、分かっている。
苦笑しつつ、シウは研究棟へ向かった。
その間、フェレスは特に何も気にしていなかった。
「心配じゃない?」
「にゃ?」
なんで、と返ってきた。スラヴェナに対して思うところはないようだ。
確かに彼が警戒する相手なら、素直に子分を置いてこないだろう。
「そうだよねえ。それに、フェレスも成獣前は獣舎に預けられていたもんね」
ロワルの魔法学院では授業中、獣舎にいたのだ。この学校と違って騎獣の扱いが違っていたから、それが普通だった。
シウが教室で学んでいる間に、フェレスは他の騎獣の薫陶を受けていたし、調教魔法を持つ教師からも学ぶことは多かった。
クロやブランカにもそうした時間が必要なのだ。
彼等のためにも。
でも、時折、感覚転移で確認してしまうことだけは、止められないのだろう。子離れができていないのは、シウの方だった。
昼休みになると、何があったのかどれだけ大変だったのか、ずーっとぎゃぅぎゃぅ騒いで教えてくれたブランカだが、午後の授業終わりに迎えに行くとおとなしくなっていた。
反対にクロが控え目にだが、報告をしてくれた。
いわく、笑顔で厳しく教えこまれたそうで、逆らうこともできずに追い込まれていたとか。
たとえば、がっついて物を食べるなだとか、目上の獣がいたら姿勢よく従順な態度を示すなど、だ。騎獣のマナーについても今後びしばし教えると言われたらしい。
でも決して叩いたり怒鳴ったりという、追い詰め方はしていなかったようだ。
飴と鞭で、スラヴェナの秘書のシモネッタが慰めてくれたり、マッサージをしてくれたと言っていた。
スラヴェナ本人からの報告では、基礎は悪く無い、性質も良いし物覚えも良いからそれほど時間はかからないだろうとのことだった。
甘噛みを止めさせたり、自分の体の大きさの違いを認識させて、マナーを覚えさせる。それだけのことだと軽い調子で笑って、気軽な様子だった。
その、それだけが大変なのだが、有り難い。
シウは頭を下げてお礼を言った。
調教費用はもちろん支払うが、付け届けとしてお菓子もシモネッタに渡しておくことを忘れない。自作のリンゴ煮のタルトケーキだったが、大変喜ばれたので、また時期を見て贈っておこうと心の中にメモをした。
その日は、薬師ギルドへ顔を出した。
「相談事があるので、できればギルド長に面会の約束を取り付けたいのですが」
「ええと、もしやシウ=アクィラ様でございますか?」
「あ、はい」
「お待ち下さい。アナスタシア、あなたすぐにギルド長へ確認してきて」
ベテランの受付女性が若手に声を掛けて急がせる。なんだか大事になってる気がするが、実際大きな話をしにきたので何とも言えない。
さほど待たずに応接室へ通されたが、とても丁寧な対応だった。
「本日はどのようなご用件でしょうか。ああ、もしお急ぎでなければ例の話を」
先にギルド長の話を聞くことにした。以前、薬の補助を余裕のある上流階級の人に出してもらってはと言っていた件が軌道に乗ってきたので、お礼をということだった。
その話は薬師の人からも聞いていたから、シウは改めて言われることではないと手を振った。
「ですが、おかげさまで、子供への薬用喉飴を庶民や孤児には無料で施すことができました。この寄付制度は他にも利用が可能ではないかと、国でも規則作りに乗り出しております。担当管理官からも何度もお褒めに預かり、手前どもの案ではないので大変困りましたのです」
名前を出さないでと頼んでいたので、人の良いギルド長は右往左往だったようだ。悪いことをした。
「この判子の案も、業者が喜びましてな。大店からも注文が殺到しているようです。自分たちの商品を区別させるためにも便利だと申しまして。なんでも最近は紙が安くなっているとか。新しい技術で作った紙や、原材料が安く仕入れられるとかで。良い時代になったものです」
「……良かったですねえ」
「ええ、はい。寄付制度のこの喉飴の件でも、貴族様がそれならと養護施設に更なる寄付をしてくださったり。手前どもが橋渡ししたのですが、良い光景でございました……」
そういう話をしたかったようだ。シウは彼の話を黙って聞いた。
途中、秘書が助け舟を出してくれたので何度も繰り返される話が終わったのは助かった。
「それで、今日お越しいただいたのは?」
「実はですね。一冬草を定期的に採取できる穴場を発見しまして」
「な、な、なんですと?」
「穴場なので誰にも言えないんですが」
「も、もちろんですとも。それは絶対に秘して、誰にも、わたしにさえ話してはいけませんぞ!」
「あ、はい」
「そ、そ、それで、まさか、それを、お売りいただけるとか、で?」
「はい」
ギルド長はそのまま固まってしまった。秘書が助けなければずっとそのままだったかもしれない。
「シウ=アクィラ様、わたくし、秘書のカルアと申します。大変申し訳ありません。このような事態、滅多にございませんので驚きすぎてお見苦しい姿を見せてしまいました」
「いえ。そう言えば珍しい薬草ですもんね」
「……そんな簡単な言葉で表せられるほどの、薬草ではないのですが」
「でも、物の本にはよく乗ってますし、街の薬草店でも一冬草あります、って看板が」
「看板は冗談ですよ?」
「えっ?」
「冗談と分かるから、誰も責めないのです。それぐらい、珍しいものということを皆が知っているのです。一冬草があります、と書いている看板は、それだけの高級な薬草も取り扱っていますよ、という意味であって、本当に持っているわけではありませんの」
「……知らなかった」
「学校で教わりませんか?」
「飛び級したんです。ええと、だって、知識としてしか問われないし」
「ああ……。つまり薬草店の実際についてはご存知ないのですねえ」
どこか遠い目で、彼女は溜息を吐いて笑った。そこでギルド長が現実世界に戻ってきた。
「あのう、それで、本当に売っていただけるのですか?」
「はい。今後、定期的に供給できる目安もあるので、あちこちでばらまくつもりです」
「は?」
「これが広がると、上級薬がもう少し買いやすくなると思いません?」
「……もしかして」
「上流階級の人にそちらへ目を向けてもらってですね、上級薬の価格を下げようって魂胆です!」
「しかし、ギルドの会員がなんと言いますか……」
「そこで一冬草です!」
「取引材料にすると? ああ、買い占めさせないのですね? え、まさか、ギルド会員に行き渡るほどばらまかられると仰るのですか?」
「各自が買える程度に切り分けて、ですけど」
将来には、安定供給できれば良いので、栽培方法も教えてあげたいところだ。
「切り分けて……ああ、そういう考えも……」
ギルド長は何度も口中で呟きながら思案し、数分後にはキリッとした顔を上げた。
「分かりました。このネストリ=ミュールハウゼンが、しかと承りました。これからすぐに、対策に入りたいと思います」
「あ、はあ」
「一大計画となりますので、残りの人生を掛けて、頑張らせていただきます!」
「いえ、あの、そこまでは」
どうかなーと思ったのだが、本人がやる気なので、まあいいかと諦めた。
先に話を突き詰めるというが、ものは必要だろうと真空パックに入れていた一冬草を渡した。
「たかが一枚だけのことだから、もし盗まれでもしても気に病まないでくださいね? まだ大量にあるので」
「え、あ、はい」
「それから封を開けちゃうと、あっという間に効能が下がっていきます。そういう薬草ですから。地面を離れると、鮮度が悪くなるんです。それを真空パックにしているので、くれぐれも取り扱いには注意してください」
「承知いたしました。それでこれは如何ほどでお売りいただけるのでしょうか」
「あ、それサンプルなのでいいです。見本がないと、説明だってできないでしょう? いいですよ別に。今後の取り引きでお願いします。あと、なるべく価格は下げてくださいね。買い占めをさせない方向で、頑張ってくれたら良いので」
「わ、分かりました……」
これで第一歩だ。
シウが最上級薬を使っても目立たないようにするには、これらの薬が普通に流通することが大事だった。
よしよしと、シウ一人満足して、薬師ギルドを後にした。
残されたギルド長がどんな顔をしていたのかは、シウは知らない。
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