015 生産科の成果と同郷人会
水の日はいつも通りの早い時間ではなく、授業時間の予定通り二限目に間に合うよう、屋敷を出た。
そのため、誰よりも遅く生産科の教室へ入ることになった。
生産科の生徒は授業が好きな者が多いので、早めに教室へ来るのだ。
「シウ殿、お久しぶりです」
「アマリアさん、本当に久しぶりだね。今年は年始の授業から出られたんだ?」
「ええ。婚約者がいるというのはとてもありがたいことですわね。年始のパーティーのほとんどをお断りできましたもの」
心底嬉しそうに笑う彼女は、ヴィクストレム公爵の孫娘で――伯爵令嬢でもあるのだが――この国ラトリシアではなく、隣国シュタイバーンの領主キリク=オスカリウス辺境伯と婚約した。そのため、今「時の人」である。
貴族社会からはひっきりなしにパーティーへ参加するよう招待状が舞い込んでいるそうだが、ほぼ断っていると言う。それが可能なのも、婚約者がいるので花嫁修業があります、という断り文句を使えるかららしい。
花嫁修業と言っても、キリクはアマリアにそのようなものは求めていないので、彼女は研究を続けていただろう。
案の定、嬉しそうに休みの間の研究成果を教えてくれた。
「昨年末はシュタイバーンにおりましたから実験はできませんでしたが、年明けから式紙の仕様を変えたもので実験を繰り返してましたのよ」
「動作が増えたんですか?」
「ええ! 細かな動きも可能になりました。キリク様がどうせなら、反動を利用すればどうかと仰ってくださって」
頬に手をやって、ほんのり照れながら教えてくれた。
これってもしかして惚気られてるのかな、と思いつつ、良かったねえと褒めた。
チラッと彼女の後ろを見やると、従者たちが妙な笑顔で頷いていた。
「どうしたの?」
シウが問うと、侍女が答えた。
「お嬢様、キリク様に喜んでもらえたのが嬉しかったらしくて、こればかりなんです」
呆れたような笑顔は、主人への愛も含まれていたが、若干「お腹いっぱい」感が現れていた。どうやら毎日惚気られているようだ。
キリクもどんな顔で年若い婚約者と話をしているのかと思うと、ちょっとからかってみたくなったが、報復されそうな気もしてシウは考えるのを止めた。
その後、授業が始まると教師のレグロから休みの間の成果を見て回られた。時折ゲンコツが落ちたり、褒められているのに強く撫でられすぎて「痛い痛い」と叫ぶ光景が見えたりする。
シウのところでは、特に怒ることも褒めることもなかった。
「通信魔道具の上位版を作ったらしいな? こっちにまで情報が流れてきているぞ」
「あ、そうなんですか? 早いですね」
「商人ギルドの知人が言ってたんだよ。里帰り中に、シュタイバーンで提出されると思ってなかったって悔しがっていたな」
「……どのみち、詳細はこちらでも分かるのに」
「登録数を競ってるんだろ。相変わらず」
はあ、と気のない返事をしていたら、歩きかけていたレグロが振り返った。
「転倒防止ピンチは良いな。近所の妊婦が、あれで助かったそうだぜ」
「あ、それは良かったです」
少し前に《落下用安全球材》の小型劣化版として、落ちるのを防ぐのではなく、転倒防止のために作り直したものだった。妊婦のエミナや、ロワル王都のギルドに勤めるクロエのために作ったものだ。ついでなので登録したのだが、ルシエラ王都でも売られていたらしい。
「年寄りにも良いんじゃないかって話していたから、案外売れるかもな」
「隙間産業ですね」
「すきま? 相変わらずおかしな物言いしやがるぜ。ま、安全な魔道具ってのは、良いもんだ」
そう言って、別の生徒のところへ向かった。
シウは、先生を見送ると早速作りかけのものに目を向けた。
パイプである。
高温にも耐えられるように作らねばならないし、破損しないよう強度も高めねばならない。また、少々のアクにも耐えられるようする。
アクとは、温泉の成分のことだ。
昨年末、シウは竜人族の里へ遊びに行ったのだが、そこは地熱帯があって北の大地の割には比較的雪の積もらない温暖な場所だった。となると当然、温泉水も地下にある。
調べてみたら案の定、飲水用の地下水とは別に、火山方面から流れてくる地下温泉水があった。そこで温泉を引いてお風呂を作ってみたかったのだが、時間もなかったし、そこまでやって受け入れてもらえるかどうか不透明だったので諦めた。
しかし、一度「温泉」があると知ると、入りたくなってしまったのだ。
年が明けてからどこかに良いところはないかと考えていたのだが、ロトスの救出などがあったために、探せなかった。
ただ、ロワイエ山脈の北東に火山があるため、探せば絶対に温泉地下水があるはずだった。コルディス湖からは離れているが、頑張れば引けるはずだと思っているので、そのためのパイプを今から作っていた。
汲み上げ装置や、普段は止めておくための器具も必要だ。
こうしたことを考えながら作るのは楽しい。
シウは傍目には鼻歌を歌っているような機嫌の良さで、物づくりに没頭していた。
レグロが生温かい目で見ていることには気付かないままだった。
昼ご飯は、食堂で摂ることにした。
午後は授業がないので屋敷へ戻ることだし、お昼の時間だけはロトスに我慢してもらおう。
というのも。
「ディーノ、クレールたちも、元気だった?」
シュタイバーン国出身の友人たちと久しぶりに会うからだった。授業が被っていないので、食堂に来ないと彼等に会えないのだ。特に寮組とは顔を合わせる機会がなかった。
「おー。元気元気。ロワルでは疲れたけどなー」
貴族出身者ばかりなので、パーティーに参加させられて気疲れしたようだ。
休みの間の出来事を皆で話していると、ふと思い出したようにクレールが言った。
「エドヴァルド殿が初年度生として入学されたよ」
ロワル王立魔法学院では生徒会長をしていた青年で、グランバリ侯爵家の子息である。
優秀な人だったので、推薦をもらえたらしい。
「屋敷を借りているそうだから、そのうちカスパル殿をお誘いするんじゃないのかな」
「ああ、そうかもね」
カスパルは伯爵家で、クレールも同じ伯爵家なのだが、家格はカスパルのブラード家が高いそうだ。子供に掛けるお金も違うらしく、カスパルは屋敷を借りているが、クレールは寮に入っている。その辺りの仕組みがよく分からないのだが、侯爵家ともなれば高位貴族だし、寮に入るということはしないらしい。
そして、同じ屋敷住まいとして、同郷の者を誘うのは当然のことだというわけだ。
「もしかして、戦略科に入るのかなー?」
「げっ。そうか。奴なら入るはずだ」
「ディーノ……」
「以前ほど、兵站と戦略と指揮の敵対意識はないものだと思っていたけれど」
クレールが呆れたような顔でディーノを見た。
「いや、だって。これは条件反射だって。でもそうなると、クレールのところに行くのかな?」
「初年度生でも入りたいなら、サハルネ先生の方だね。ニルソン先生の方は初年度生をすぐには引き受けてくれないはずだよ」
よほど優秀でもない限りは初年度生を受け入れることもしてくれないそうだ。
どちらにしてもニルソンの授業に出るのはハードルが高い。
なにしろそこには、性格が捻じ曲がったような貴族の子息ベニグド=ニーバリという生徒がいる。
かつてそこにはヒルデガルドもいた。今は退学処分を受けて、もういない。
「そのうち、同郷人同士でパーティーでもって話が出ているから、覚えていて」
「それ、エドヴァルド先輩からの話?」
「そうだよ」
「うわあ……」
「何、その嫌そうな顔は」
パーティーと聞くから嫌なのだ。これは同郷人会だと思えば良い。
「とりあえず、覚えておく」
「ほらな。クレール、言っただろう? シウはそういうの苦手なんだ」
「君もだろ?」
「僕、子爵家の第二子。君らみたいな上位貴族じゃないんだよねー」
「わたしだって、かろうじて伯爵家なだけだよ」
ふうんと、他人事のように聞いていたら、クレールが大きな溜息を吐いていた。いろいろ面倒事があるようだ。
同じ席には、同郷人だけでなく、ラトリシア国出身の生徒もいた。
ソランダリ領出身の伯爵家長子のエドガールや、獣人族のシルトだ。彼等はシウと同じ科で学ぶ友人たちだった。
彼等も冬休みには里帰りしており、どんな休みだったかを話してくれた。
シルトもソランダリ領内の出身と言えるので、行き帰りはエドガールと一緒だったようだ。
最初に戦術戦士科へ来た時のシルトは上から目線の偉そうな性格だったのに、変われば変わるもので、今では普通に仲の良い友人同士のような会話をしている。
「俺、長の特訓がひどくて、王都へ来るのが待ち遠しかった」
「そんなにすごい特訓なんだ? わたしは、パーティー三昧でうんざりだったよ。腕が鈍らないか、それが心配だった」
「そうなのか?」
「君が羨ましいよ。わたしも特訓をして鍛えたかったな」
「そうか」
シルトがなんだか嬉しいのを我慢するかのように、頬をぴくぴくさせていた。つられて彼の耳もピコピコ揺れている。
可愛いなあと、思わずジッと見ていたら視線に気付いたのか、シルトが振り返った。
「……狙っていたな? ダメだぞ?」
「触らないってー。やだなあ」
信用がない。触ったことなど一度もないのに。同じ獣人族のミルトたちと話をしたらしくて、それ以来警戒されているのだ。
「お前の目が、たまに怖い時がある。寮の食堂でも、レーゲンのクラフトがすれ違いざまにこっそり教えてくれたぞ」
止めを刺したのはクラフトだったようだ。ううむ、と唸っていると、エドガールに笑われてしまった。シウはもふもふしたものが好きだものねえとフェレスたちを見ながら、納得顔で頷いていた。
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