456 嫌々飛び級、蟹料理とご接待




 心機一転で、午後の授業を受けたのだが、終わってからトリスタンより飛び級を提案された。

「わたしもよくよく考えた末のことなんだ。君がこの授業を気に入ってくれていることは知っているが、貴重な研究時間を費やすのは勿体ない。上位クラスの新魔術式開発研究科を受講するのだから、やはり下位クラスを取得するのは良くないだろう」

「そんなあ」

 心底からの駄々だったせいか、トリスタンが笑顔になった。

「君は本当に良い生徒だった。今後も相談ごとがあれば力になるし、秘密厳守で君の研究にも付き合うと約束しよう。これからはわたしの研究室に顔を出しなさい。いつでも歓迎するからね」

「……はい」

 ものすごく残念だが、トリスタンにそこまで言われては仕方ない。

 しかも腹立たしいことに、その代わりに受講するのがあの新魔術式開発研究なのだ。

 ちょっとあくどい顔になってしまったせいか、トリスタンが珍しくシウに触れてきた。眉間の皺を直したようだ。

 パーソナルスペースを侵すような人ではないので、びっくりした。

「いや、君があんまりにも、面白い顔をしたのでね。ははは」

「……ヴァルネリ先生の授業を想像して、嫌な気分になっただけです」

「うーん、それはまあ、そうだねえ。あんな性格だから、ついていくのは大変だろうが、才能はすごいんだよ」

 トリスタンなりのフォローだろうが、シウには効かない。

「先生、昔から言うでしょう? 才能のある人が教えるのが上手いとは限らないって」

「……どうも、洗礼を受けたようだね。ま、これも人生経験だと思って、諦めなさい」

「えー」

「話の通じない相手に、延々と研究成果を理解してもらう苦行を思えば、まだマシだろうと思うよ。うん。まだ、マシだ」

 遠い目をしたので、トリスタンにも悩みがあるようだ。

 シウは駄々をこねるのを止めて、トリスタンに改めて礼を言った。

「今までご指導いただいてありがとうございました。これからも、相談に乗ってください。よろしくお願いします」

「……うむ。承知した」

 先生の目が少し潤んでいたが、武士の情けで(?)見ないふりをした。

 アロンドラが「あ、泣いてる?」とぶちまけてしまったけれど。


 空気を読めないアロンドラは彼女の従者ユリと一緒になって注意した。

 ごめんなさい、と必死になって謝れば謝るほどドツボにはまるので、もう放っておこうと無言の会話でユリと決めた。

 いきなり黙ったせいか、アロンドラは更に何か言い出していたが、その頃にはもうシウも先生も教室を出ていたので関係ない。

 彼女ともお別れなのだなあと思うと、不思議に寂しい気がするから面白いものである。



 屋敷に戻ると、料理人達と一緒にペルグランデカンケルの料理を作った。

 朝からずっと考えていたらしい料理長がわくわくした顔で待っており、レシピも沢山出来上がっていた。

 手の込んだものから順番に作っていったが、シンプルな焼きや茹でといったものも用意された。

 なにしろ5~10m級の大きさの蟹の魔獣だ。食べる箇所が多すぎて沢山ある。

 今回も1匹まるごと提供してもその保管場所がないので、美味しいと言われている鋏足の部分を分けた。

 それさえ、食べきれない量で、残ったものが保管庫を占領していた。


 作っていると、急遽お客様が来るというので多めに増やしたりして晩ご飯にはなんとか間に合った。

 シウはリュカ達と賄い室で食べるつもりだったのだが、ロランドに呼ばれて客間へ行くとカスパルと共にファビアンがいた。他にも数人の貴族の子弟らしき青年達がいる。

「やあ、シウ。今日は君のお土産があると聞いてお邪魔しに来たんだ。よろしくね」

「あ、はい」

「ごめんね、シウ。何気なく話したら、どうしても食べてみたいと言って聞かなくて。ついでに彼等も誘ったんだ」

「ううん、それは別にいいんだけど。もしかして、僕も一緒に?」

 席に着くのかと思ったら、そうだよと当たり前のように頷かれてしまった。

 内心で、うへーと思ったものの顔には出さず、では着替えてきますと断りを入れた。

 しかし、カスパルは構わないよとそのままシウを席に案内させた。

 いいのかしらと何気に周囲をチラッと見たら、全員がにこにこと笑ってどうぞと頷いた。

 なんなんだろうと不思議に思ったが、晩餐用の正装をするのが面倒なのでまあいいかと席に座ったのだった。


 いつもはこうした席には呼ばれないのにと思っていたら、どうやら貴族同士の根回しにシウの蟹が使われたようだ。

 ついでにシウの顔を売っておいて、ヴィンセント王子とも知己だから手を出すなよと言う釘を刺すための布石にしたいようだった。

 呼ばれた青年達はそれぞれ、カスパルがラトリシア国での夜会などで知り合った貴族の子弟で、シーカー魔法学院の生徒はファビアンだけだったが、同じような年齢でかつ繋がりを持ちたい人同士なので縁を深めているところらしい。

「それにしても、これほど美味しい蟹をわたしは知りません。素晴らしいですね」

「冒険者と言うのはこのような珍味を味わえるのですか。羨ましい」

 言葉だけ聞いているとおべっかに聞こえるが、この食事会に呼ばれたことが本心から嬉しいらしく、しきりに美味しいと言っていた。貴族がこうして食事の感想を声高に口にするのはあまり良いことではないらしいので、本音だろうし、また「わたしはこうして感想を言いますよ」とすり寄るアピールでもあるので、ファビアンなどは好意的に受け止めていた。

 にこにこ笑って、シウに感謝しなきゃね、などと恐ろしいことも言っている。

 ロランドがカスパルに小声で告げた内容も、彼等を喜ばせた。

「もしよろしければ、料理人が大変多く作ってしまったと申しておりますので、お持ち帰りいただけないでしょうか。我が家でも消費しきれないのです。お恥ずかしい限りですが」

「良いのかい? とても嬉しい提案だね」

「それは嬉しいなあ。ぜひ、喜んで」

 それを見込んでのあの量だったのかとシウは内心で納得した。

 食後のデザートにはお菓子の家が出てきて、また皆の度肝を抜いたようだ。

「すごい! なんて繊細な」

「これは、以前カッシーラ男爵が自慢していたお菓子では?」

「僕も聞いたよ。羨ましいと思っていたんだ」

 元は下拵え担当だったリランが1人で作ったお菓子の家は、今ではもはや芸術の域に達していて、素晴らしい出来栄えだった。カスパルも満足そうに笑顔で自慢していた。

「うちの料理人が頑張って作ったんだ。ぜひ、食べてみてほしい」

 ファビアンなどは真っ先に煙突が欲しいと我儘を言っていた。こういうところは子供なんだなと苦笑した。

 青年達も、意外とこうしたものに感動しているあたり、まだまだ子供なのかもしれない。お目付け役の秘書や従者が呆れていたものの、さすがに口は挟んで来なかった。仲良くなっておくことが先決だからだろう。

 彼等と共に来た御者や下男達にも料理は振る舞われていたようで、帰り際には青年たちもしきりにお礼を言っていた。

 お見送りをして、完全に姿が消えて扉を閉めてから、全員で溜息を吐いた。

「あー、疲れた。まあ、皆の方が大変だったろうけど」

 カスパルが苦笑しつつ、皆を労った。

 シウにも、

「君のお土産を勝手に横流しして悪かったね」

 と謝られた。

「僕のためでもあるのは分かっているし、お土産をどう使ってくれても別に気にしないよ。それより、皆の分が足りないんじゃない? まだあるけど、今日食べられないのは可哀想だね」

 作っている間、良い匂いを撒き散らかしていたので、食べられなかったのだとしたら可哀想だった。が、そういうことはなかった。

「ロランド、ちゃんと除けてあるよね?」

「もちろんでございます。なければ、坊ちゃまが我慢すると仰ったぐらいですので」

 ふふふと楽しげに笑ってロランドがウィンクした。

「あの後も材料が沢山あるというので追加で作らせました。それらは今頃、皆の腹に収まっているでしょう。わたくしも後で沢山いただくつもりです」

「給仕していたメイドさん達もお腹すいただろうね。お疲れ様ー」

「いえいえ。それより、シウ様も突然で大変でしたでしょう。本日はもうお休みくださいませ。後のことは我々がしますので」

 リュカも待っております、と言われて、カスパルにおやすみを言って別れた。


 部屋に戻るとフェレスがもう寝ており、ソファではリュカがぽつんと待っていた。

「ごめんね、遅くなって」

「シウ! ううん、あのね、大事なお客様だから、しようがないの」

「そうなんだよねー。突然のお客さんだったから。でももう帰ったし、疲れたから一緒に寝ようか」

「うん!」

「チビ達は寝てる?」

 長いことフェレスに預けていたので大丈夫かなと覗いたが、ちゃんと潰されずにフェレスの尻尾に包まれていた。口を開けてすかーと寝息を立てている。

「ちゃんと寝てたよ。フェレスも良い子にしてた。途中でブランカがベッドの下に入ろうとしたから、僕が捕まえたの。すぐにフェレスに渡したけど、大丈夫だよね?」

「うん。そこまで気にしなくても良いよ。もう大分しっかりしてきたしね」

 よしよしと頭を撫でて、ベッドに入った。

 シウがいない間、最初のうちは1人で寝ていたそうだが、後半寂しくなったのかソロルに添い寝してもらっていたようだ。

 昨夜も甘えていたし、もうしばらくは添い寝が必要かもしれない。

 夏休みにも連れて行けたら良いなあと考えつつ、いつもよりも早い時間に眠りについた。

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