382 蕎麦とワサビと香辛料




 お昼ご飯は御者の男性に教えてもらった店で食べて、また市場を散策した。

 午前中のうちに海の物はほとんど買うことが出来た。

 午後はそれ以外の地元食材などを手に入れたい。

「フェレス、お魚美味しかったねー」

「ぎにゃ」

 念のため、以前キリクから押し付けられていた貴族向けの騎乗帯を付けているせいか、シウに偽装は効かないのだがフェレスが勇ましいティグリスに見えてくる。

「格好良いね、フェレス」

「ぎゃぅ!」

 本獣も嬉しそうで良かった。

 フリとして首輪から伸びる手綱を握りながら、生鮮食品を眺めていると、市場関係者と思しき男性がやってきた。

「先程からお買い物をされている、タロー様ですか?」

「はい」

 午前中、店の人達には坊ちゃんと呼ばれていたが、お昼前に担当者を付けると言われていたので名乗っていたのだ。もちろん、偽名であることはお互い分かっている。

「遅くなって申し訳ありません。午後からはわたくしがお付きします」

「ご面倒掛けてすみません」

 頭を下げると貴族らしくないので、言葉だけで軽く謝ると、それでも非常にびっくりされた。そんなに仰け反って目を見開かなくても良いのにと、苦笑が出そうになって慌てて噛み殺す。

「あ、申し訳ありません。ええ、その、お伺いしていた通りのお方で、はい、わたくしもお仕えするのが有り難く、その」

 何を言っているのか段々分からなくなってきたので、シウは話を変えた。

「地元の新鮮なものが欲しいのですが、じっくり見て回っても良いですか? お勧めのものがあれば教えてください」

「は、はい!」

 ということで、案内人が付いてくれたおかげで午前中よりもスムーズに動けた。

 ようは、彼が店の人と交渉してくれたり話を通してくれるおかげで、いちいち大仰な対応をされてなく済む、ということだ。

 貴族のフリをしたことを後悔したほどだったので、有り難い。

 とはいえ、貴族でないと騎獣を連れたり魔法袋を持っていないものだ。

 王都ならば冒険者として通せるが、地方ではそうもいかない。

 ばれないための苦肉の策だが、あれこれと大変であった。

「あ、これは?」

「こちらはヴィクストレム領から入ってきた果物です。冬に採れますからとても珍しく、貴重なものです」

 味見をすると苺だった。見た目はただの小さな赤い実なので、不思議なものだ。

 鑑定してみるとビタミンも豊富なようだし、毒などもない。

「木になるのかな?」

「こういう、小さな木ですが」

 店員が教えてくれた。低木だから、鳥に食べられないのだろうか。面白いので買えるだけ、もらうことにした。

 他にも珍しい食材や、地元でしか採れない野菜などを中心に購入した。

 嬉しかったのは蕎麦を手に入れたことだ。

「あ、これ」

「おや、蕎麦をご存知ですか? これは東部地方にある地元民しか食べません」

「シアンにもあると聞いたんですが」

「おお、さすが若様は博識ですね。はい、シアン国では主食となっています。種類が違うようですから、あちらは少し苦みがあるのです。小粒で、食べるのには苦労するようですね」

 イメージが湧いてきた。

 となると、一般的な蕎麦はこちらの地元品種になるのだろう。

「これ、粉で売ってますが、実の状態で買うことは可能ですか? あ、この粉挽きのも欲しいですけど」

「実の状態だと、現地の者から直接ということになりますが」

 実を市場で売っていないことは、案内人の彼には分かっていたようだ。彼は話しながら、店の人に視線を向けた。店員さんも会話を聞いていたので、頷いた。

「よござんすよ、紹介しましょう」

「ありがとうございます。紹介料のことなどは、こちらの方にお任せすれば良いのでしょうか」

 案内人を向くと、顔を綻ばせた。

「お若いのに、市場のことをよく分かっていらっしゃる。はい、そうしてくださると、この店のものも助かるでしょう」

 それから、今日は市場があるため案内できないが、明後日ならと言ってもらえたので、朝に市場の事務所で落ち合う約束をした。

 こうなると益々わさびが欲しい。


 気になって、香辛料などを置いている店で聞いてみた。すると。

「ああ、そうしたものなら、これはどうだい?」

 勧めてくれた青い茎を剥いて、口にした。

「……近いけど、ちょっと違うかなあ」

「そうかい。もしかしたら、あれのことかな」

 思案顔で、奥の店員に大声で話しかける。

「おい! お前確かシャイターンで面白いもの見付けたって言ってたよな?」

「へえ」

 年寄りの下男がやってきた。

「昔、隊商で働いていたことがあるらしくて、シャイターンの行き来が多かったそうなんですよ。この辛子青茎に似ていて、もっと鼻にツンとくる面白い香辛料があるって、言ってたもんで」

「へい。確か、古代種だとか言って、ウィ、カ、なんとかリスと言ってやした」

 シウは脳内でパパッと予想を組み立てた。

「それ、ウィリデカウリスと言いませんか?」

「おお、それだ! そうだった!」

「ご存知だったんですか?」

 聞かれたが、想像が当たっただけだ。

「いえ、さっきこれを辛子青茎と仰ったから、その流れだと、緑の茎という意味の古代語かと思ったんです。だとしたら、ウィリデカウリスかな、と」

「すごいもんだ。いや、貴族の若様というのは、色んなことを学ばれるのですね」

「あー、どうでしょう。僕は食いしん坊なので食材関係にばかり詳しいだけで」

「おお、そりゃあいいや。坊ちゃん、ぜひ世界の香辛料を勉強してくだせえ。おっと、じゃあ、これもどうですかい」

 店主はここぞとばかりに、珍しい物やとっておきの物を見せてくれた。

 最初は隠していたあたり、人を見て売っているようだ。

「あれ、これ」

「さすがは坊ちゃんだ。気が付きやしたかい?」

「ターメリックだ……」

 他のスパイスのほとんどは薬にもなるため意外と見つかっていたのだが、ターメリックだけは薬草全集にも乗っていなかった。

 他にナツメグも植物全集になかったが、こちらは南部で採れると聞いたことがある。

 ハンバーグに入れるのには良いのだが、臭み消しは生姜やニンニクもあるし魔法で充分取れるので気にしていなかった。

「最初は色を付けるのに良いと思ってやしたが、薬草臭いってなもんで、敬遠されちまって。薬草師も肝には良いのにとぼやいておりまして。相談を受けたはいいが、どうしようもねえんで、香辛料を組み合わせて実験している最中なんでさ」

 面白い素材でしょう、と自慢げだ。

「……これはねえ、すごいんだよ。二日酔いの人なんかはもちろん、鉄分もあるからね。でも摂り過ぎはダメなんだ」

「へえ、そうですかい」

「これってこのへんでしか採れないの?」

「そうでやす」

「……これも、欲しいなあ。あと栽培できないかな?」

「へっ? そんなに欲しいんですかい?」

「配合は僕に考えがあるんだけど、薬としても優秀だし、食べ物としてもお勧めなんだよね」

「へえっ、そりゃまた」

 店主の目が光ったので、シウは笑った。

「もし、流通に乗らなくても、僕が買うから。手伝ってもらえると有り難いです」

「商売の話とあっちゃあ、乗りますよ! へい、それじゃあ、詳しくは――」

 案内人を見る。彼はひとつ頷いて答えた。

「若様は明後日また市場へ来られるから、お前もそれまでに段取りを考えて事務所へ来るといい」

「へい、了解しやした」

 新しい発見もあって、来てよかった。

 ワサビについても手に入れられる。ぜひとも蕎麦と一緒に食べてみたい。次はシャイターンへ行ってみよう。考えながら、案内人に連れられて市場を廻った。


 案内人の男性はよくよく聞けば、役人だった。

「市場って、領の運営だったんですか」

「そうでございますよ?」

 当たり前のことを、といった顔をされてしまった。そしてふふふと小さく笑われた。

「申し訳ありません。博識な若様でもご存知ないことがあるのかと思ったら」

「はあ」

「あ、いや、普通ここで貴族の若様でしたらお怒りになるところですのに」

 貴族じゃないので、と脳内で返しておく。

 疑っていないのか、それとも客ならどういう相手でもいいのか、サロモネと名乗った案内人はにこやかに続けた。

「こうした大きな市場は運営するのが大変ですからね。領として管理しておかないと大変です。問題が起こった時に対処するのも、早いですし」

「……そうか、商人だと手に余ることもあるんですね」

「その通りです。もっともここまで大きくなるとは、我が領主様も思っていなかったでしょうが」

「以前は小さい市場だったんですか?」

「さようでございます。今の領主様になってから、商売が上手くなりましてね。というのも奥方が大商人の家の跡取り娘だったんでございますよ」

「へえ、珍しいですね」

「そりゃあもう、有名な大ロマンスでして。若様がご存知ないのも無理はありませんが」

 歩きながらサロモネは面白おかしく、時にお涙ちょうだいといった感じで過去の大ロマンスについて話してくれた。こんな子供相手にも気を遣ってくれて、良い人だ。

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