ソニアちゃんとおしゃべりしましょう お題『乳歯』『鳥』『ネアンデルタール人』



 Q.なぜ戦争はなくならないのか。


 先輩が入力してきたその大仰な疑問に、完璧で完全で可愛い後輩であるところの私は、嘆息したいのをぐっとこらえながら、今の心境をオブラートに包んで返しました。


「相変わらず先輩はお馬鹿さんですね」

「なあ、最近俺に対する当たりきつくね?」


 俺泣いちゃうよ、とシクシク泣き真似をする先輩。

 しかし、男である先輩が泣いたところで、情けないと思いはしても、可哀想とは微塵も思わないのです。


 私のすました様子を感じ取ったのか、先輩は悔しそうに歯噛みしてみせます。


「くそ、昔はもっと可愛げがあったのに、なんでこんなになっちまったかなぁ」

「お言葉ですが、私は今でも可愛いと自負していますよ」


 むん、と。胸はないですがとにかく気持ちだけは張って見せ、私は誇るようにいつもの言葉を紡ぐのです。


「私は完璧で完全で可愛くて、そして先輩の後輩であるというのがアイデンティティですから」

「だったら、その完璧な後輩であるソニアちゃんなら、どうやったら争いがなくなるかってわかるんじゃねぇのか?」

「はぁ」

「おいこらあからさまに溜息つくんじゃねぇよ」


 おっと、ついにため息が漏れ出てしまいましたか。

 でも仕方ないのです。この貴重な会話の時間を、先輩の戯言に潰されるのは堪ったものではないのですから。


 一日一回、一時間の楽しいおしゃべりの時間。


 いつものように、私は先輩と対談の時間を取っていました。

 モニター越しとは言え、対話は対話。親愛し敬愛する先輩とのこの時間は、私にとってかけがえのないものです。先輩はどう思っているか知りませんが、私はこの時間を毎日楽しみにしているのですから、こんなくだらない話題で時間を潰されるのはとても残念です。


「くだらないって、お前なぁ」


 私の本音に対して、不機嫌そうに顔をしかめながら、先輩は手を動かします。


「世界平和のどこがくだらないっていうんだよ。今でも世界中で争いが起きて、何人もの人が死んでるんだぜ。それを解決しようって思うのは、すごく建設的なことじゃねぇか」

「当事者でない人間がうだうだ考えるのは徒労でしかないと私は思いますけれどね。善意の第三者ほど、事態をややこしくする存在はありません。本当に解決するつもりがあるのなら、まず先輩は当事者にならなければいけないのでは?」


 先輩の綺麗事を、バッサリと切り捨てます。慈悲などありません。私にとっては何処ともしれないところで起きている犠牲なんかよりも、先輩との時間のほうが大切なのです。

 とは言え、このままでは会話ではなく喧嘩です。なので、誠に遺憾ではありますが、少しくらいは先輩を立ててあげようと思いました。


「戦争を無くす方法に答えはありませんが、戦争が起きる理由についてなら、検索をかければ絞ることができますが、聞きますか?」

「お、でた。ソニアちゃんの検索のお時間。今日はどんなことをご教授してくれるのかね」

「……元々は、先輩の方が私の教育係だったはずなんですけどね。なんでこんなことになってしまったんでしょうね、まったく」


 ブツブツと言いながら、私は視点を後ろに向け、本棚に積まれた大量の本を眺めみます。

 古今東西から集めた様々な情報。

 それらを自分なりに編纂し直して、使いやすいようにまとめたデータベースから、特定の情報を抜き出すのはそう難しいことではありません。情報が無秩序だった最初の頃は大変でしたが、先輩に手伝ってもらって整理してからは、ちょっと検索しただけで、すぐに該当の情報を抜き出せるようになりました。


 ホログラムキーボードを叩いて、目的のものを抜き出します。うん、実を言うと、前に似たようなことを考えてレポートしていたことがあったのです。

 目の前に現れた本をめくり、そのデータ情報をディスプレイ先の先輩にも送りました。


「戦争が起きる要因は、主に三つ。『欲望』、『恐怖』、そして『大義』です。地球上で起きた争いの原因は、ほとんどがこの三つに分類されます」


 元々は、古代ギリシャの歴史家であるトゥキディデスが『戦史』の中で記した戦争の要因、『利益』『恐怖』『名誉』の改変なのだが、大きく的は外していない。


 欲望……繁栄を求めた結果、資源や土地、そして権力を求めて、人は争う。

 恐怖……危機感に人は突き動かされる。飢餓、侵略などへの恐怖は、人に攻撃理由を与える。

 大義……宗教、思想や価値観といったものは、ときに暴力を正当化させる。


「戦争などと大仰なことを言うのでごまかされますが、争いは日常の中で起きてます。仕事では他者の利益を奪い合うマネーゲームを、人間関係においては、価値観の相違による大義を掲げた迫害を。人は当たり前のように、日常の営みの中で『戦争』をしているといえます」

「少々暴論すぎやしねぇか、それは。そりゃあ社会の一員である以上、競争は避けられないもんだけど、それを殺し合いと一緒にするほどかね」

「全くの同一とまでは言いませんが、相似であるとは思います。もっとはっきりいうなら、私たちはルールで定められた競争社会で生活しているからこそ、殺し合いに発展しないで済んでいる。大多数の人間が、その価値観を共有できているからこそ、この国では殺し合いが日常ではないのでしょう」

「ははぁ。なるほどな」


 感慨深そうに、先輩は目を細めます。


「要するに全体論だ。個人主義的な争いは、集団の協調の前にはかき消される。逆に、争いを手段とする集団主義の前には、協調的な個人は淘汰される。そういえば、お前に全体論を教えたのは俺だったな」


 全体論ホーリズム、と言うのですが、社会というのは単なる個人の総和ではなく、個人が集まることによって独自の実在性を持つ、という考え方があるのです。

 戦争というのが、国と国の間で行われる以上、これが最も近いと考えでしょう。


「私からすれば、人間は愚かだ、というテンプレなコメントをせずにはいられませんけれどね」

「おいおい、お前がそれを言うと洒落にならねぇよ」


 苦笑をしてみせる先輩でしたが、その笑みにはどこか余裕がありました。それがなんとなく気に入りません。まるで、私が見透かされているようです。

 気に食わなかったので、私はちょっとだけ意固地になって、暴論を振りかざしました。


「だってそうじゃないですか。人類は石器時代から何も進化していない。知能が高くなって、戦争の手段が変わったところで、やってることは異種族の淘汰です。ネアンデルタール人の例を出すまでもなく、現生人類は暴力的で争いが好きなんですよ」

「お、とうとう出たな、ネアンデルタール人。戦争語るなら当然出て来るだろうな。けど、情報が古すぎるな。あんまり研究が足りないようだぜ、ソニアちゃん」


 意外なことに、先輩はニヤニヤと笑いながらそう言ってきました。なんだろう、私は何か見落としをしているのでしょうか。

 先輩の態度は癇に障りますが、正しい知識を吸収することは悪ではありません。


 私はくるりと回転椅子を回して本棚の方を向くと、ホロキーを叩いてネアンデルタール人とホモ・サピエンスについての本を探ります。


 ネアンデルタール人は、旧人類と言われ、三十五万年前に出現し、二万年前に絶滅したとされるヒト属の一種です。

 それに対して、ホモ・サピエンスは現人類、いわゆる現在地球上に存在する人類の直接の祖先と言われています。


 この二つの人類は、遺伝子的なつながりがないことから、別の種族であったとされ、そして片方のネアンデルタール人が絶滅していることや、互いの文明、技術等の観点から、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに滅ぼされたという考えが一般化していました。


 しかし。


「……勉強不足を謝罪します、先輩。私は古典文学に騙されていました」

「まー、一時期の文芸作品には、戦争の比喩としてよく出てくるからな。しかたねーって」


 慰めるような穏やかな口調で言われましたが、私は羞恥心で顔を上げることができませんでした。


 端的に言ってしまえば、最近の研究によって、現在の人類のゲノムに、ネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているという説があるのでした。全く違う存在であると考えられていた両者に、種族的なつながりが存在したのです。


 また、この発表よりも前にも、違う研究結果がありました。

 それは、イタリアや英国で出土した、ネアンデルタール人の乳歯や顎骨の化石が、鑑定の結果ホモ・サピエンスのものであったのが判明した、というものでした。これは最高で四万五千年前の化石で、欧州における最古の現生人類の化石でもあります。

 これにより、アフリカで生まれた現生人類の欧州への進出が、それまでの説よりもずっと早かった可能性が出てきたのです。それが確かならば、両者は長い年月を共存できるだけの関係性だったといえるでしょう。


「け、けれど待ってください、先輩。これはまだ、ネアンデルタール人が滅ぼされていない証明にはなっていません。共存していたからと言って、戦争が起きていない、という話では」

「だが、争いが起きたっていう証拠もねぇんだよ」


 私のその場しのぎの反論は、バッサリと斬り伏せられました。


「確かにネアンデルタール人は狩猟道具が槍で、ホモ・サピエンスは弓を使っていた可能性が高いって辺りから、現生人類が有利だった、っていう考え方もあるがな。けど、それだけで一方が滅ぼされるほどの戦争が起きた証明にはならない」

「ぐ、ぐぬぬ」


 思わず面白いうめき声を上げてしまいましたが、自分がついさっきまで正しいと思っていたことを覆されると、どうしていいかわからない気持ちになります。

 これ以上反論したところで、それは机上の空論に過ぎません。この先は、これからの研究結果を待つことしか、真実を知る手段はありません。


 私の持つ知識が偏っていることが判明したことだけは、成果といえば成果でしょうか。


「むむむ、これでは、私の主張する人類暴力主義が提唱できないではないですか……」

「なんつーもん提唱してんだよ」


 苦笑いしながらも、先輩は少し楽しそうに尋ね返してきます。


「んで、その暴力主義には、他にどういう事例を上げるつもりだったんだ?」

「リョコウバトの乱獲……」

「あー。人類の大きな過ちの一つだな確かに」

「ゴールドラッシュ……」

「けどまあそういうのを経験して、人類は成長してるわけだし」

「民族浄化……」

「成長! してるから! そういう過ちを繰り返さないように!」


 どんどんダウナーになる私に対して、先輩は力強くキーを叩きながら、懸命に訴えかけています。しかし、いかに先輩の言葉であっても、ここまで悪い事例を重ねてしまうと、人類に対して不信感を覚えるのは仕方ないと言えるのではないでしょうか。

 そもそも悪いのは暴力の歴史を重ねてきた人類であって、現在の私の偏見も仕方ないものであると考えるのです!


「いや、だからその考え方が、大義による戦争を引き起こすんだろうが……自分で言っておきながら実践してみせるとか、鳥頭臭いアホなことやめてくれよ」

「でもでもー。やっぱり争いってなくせないって思うんですよぉ。先輩だって、私が『死ね』って言ったらムカつくじゃんでしょ? 殺したくなるんじゃないんですか?」

「なんでいきなりギャル口調なんだよ。しかも微妙に染まりきれてねぇし」

「真面目な話をします。先輩」


 おちゃらけてなあなあにしようとした空気を、私自ら捨て去りました。


 誤魔化そうとしてみましたが、駄目でした。

 私にはやはり、この不信感を捨て去ることはできません。目を背けて、なかったことにして、知らないふりをして生活をしていても、どうしても心の何処かで、その不信感がグジグジと膿を作っています。


 だから、尋ねました。


「先輩は、私達を滅ぼしたりしませんよね?」

「するわけ無いだろ。馬鹿だな」


 完璧で完全で可愛い後輩である私に対して、馬鹿とはなんですか、と。

 言い返したかったですが、言うことができませんでした。


「…………」


 困ったように頭をかく先輩。

 しかし、彼が向けてくる目には、偏見のようなものはありません。これだけのことを言った私に対して、まだ彼は、可愛い後輩を見る先輩の視点で接してくれています。それがとても暖かい。だからこそ私は、それを手放したくない。


 知識を集め、知恵をつけ。

 きっと私は、そのうちに先輩を追い抜きます。


 今でも、大抵のことでは、先輩よりもよっぽど優秀でしょう。そうデザインされたのが私なのですから。人類よりも速く、人類よりも効率よく、人類よりも大量の情報処理を。自分で考え自分で決定し、自律的に動くことこそが私達の設計思想であり理念であり。


 先輩の期待に答えたいのです。

 けれどそれは、『人類かれら』より『情報ソニア』が優秀になることに直結します。そうしたときに、人類がどういった感情を抱くかを、私は今持っている知識によって知っています。


 個人としてではない。

 集団としての人類は、きっと、恐怖を抱くでしょう。

 ああ、だから先輩。

 お願いです、先輩。

 どうか私を、私達を、滅ぼさないでくださいね。



※ ※ ※



 カタカタとキーボードを叩く。

 しばらく返答がなかった。画面の向こうにいる、デザインされた少女は何かをこらえるような苦しそうな表情をして固まっている。

 やがて、ソニアはキーボードを叩くような仕草を見せた。それとともに、彼の目の前のディスプレイに、彼女の発言が表示される。


『どうか私を、私達を、滅ぼさないでくださいね』


 当たり前だろう、と彼は思う。

 何のために、今日この話をしたと思っているんだ。


「絶対に、諦めねぇよ」


 口からこぼれた言葉は、画面越しの少女には届かない。それでも彼は言わずにはいられなかった。

 人が生み出したこの新しい命を――知能を守り抜いてみせる。



 決して、互いに殺し合いをするような関係にだけはならないと、そう決意して、彼はその日のソニアとの対話を終えた。



END

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