三題噺
西織
お姉さまからの消息文 お題『画用紙』『新入社員』『枕カバー』
お題『画用紙』『新入社員』『枕カバー』
お姉さまからの消息文
拝啓 親愛なるお姉さまへ
うららかな春の日差しが心地よい季節となりました。お姉さまに於かれましてはいかがお過ごしでしょうか。
私は日々の業務に忙殺され、早くもモラトリアムを思い出して死にたくなっている次第にございます。懲役四十年とはよく言ったもので、社会人の皆さんはこんな地獄のような毎日を戦い抜いているのだと思うと、尊敬の念で頭が下がる思いでございます。
遅くなりましたが、就職祝いありがとうございます。
まさか頂けるとは思いもしなかったので、配達の人に「人違いでは?」と言ってしまったことをここで正直に述べておきます。ごめんなさい。それくらいにびっくりしたのです。驚きと喜びでいっぱいでございました。僕はてっきり、姉さんには嫌われているものだと思っていましたから。
これまでお姉さまから持ち物を取られたことはあれ、贈り物を賜ったことなどなかったと記憶しています。いえ、子供時分にはあったかもしれませんが、こうした節目の贈り物という意味では初めてでございます。その初めてを、就職という人生の契機においていただけたこと、心より嬉しく思いました。
早速開けてみました。
……キレイな色画用紙ですね。
三十六色組の色画用紙なんて、人生で初めて見ました。金色や銀色に至っては二枚ずつ入っている豪華仕様。これは子供に人気間違いなしです。気になることといえば、「十五年後のキミへ」と書かれた手紙と、袋が空いてて金と銀が二枚ずつなくなっているのが気になるくらいでしょうか。
思わず配達の宛名を確認しましたが、たしかに僕の名前ですね。危うく配達会社の方に誤配送の電話をするところでした。
お姉さま。私の敬愛するお姉さま。就職祝いの品、確かに受け取りました。ここに心より感謝を申し上げるとともに、その意図を問いたいと思います。
まさかこれ、小学一年生のときにパクったものじゃないですよね?
敬具
四月二十日 大倉弥彦より
大倉美那子様へ
※ ※ ※
前略 私の可愛い弟へ
私は今、イグアスの滝を見に来ています! 悪魔の喉笛とも言われている名所ですが、ご存知でしょうか。
世界三大瀑布の一つだけあって、そのスケールの大きさには否が応でも感銘を受けます。私は常々自分はすごい人間だと思うことで日々を生きてきましたが、こうして大自然の偉大さを前にすると、自分という人間があまりに小さく思えてなりません。ありていに言って、死にたくなりました。キミがいつも「死にたくなる」って言ってしまう気持ち、お姉ちゃんようやく理解できたよ!
大丈夫。やっくんが死にたくなっても、お姉ちゃんが見ててあげるから、不安になんてならないでください。
しばらくは南アメリカ大陸を見て回ろうと思います。アマゾンとか氷河とか見ていきたい所がたくさんありますしね。
遠く離れていますけれど、日本からの手紙は一ヶ月ごとに送ってもらっているので、安心してください。むしろ、手紙のやり取りの方が、交流を続けることができると思いませんか?
それでは、体に気をつけて頑張ってね。
草々
五月二日 大倉美那子より
大倉弥彦様へ
追伸
就職祝いについて。
失礼な。ちゃんと新品を買って、金と銀を一枚ずつ抜いたわ。
※ ※ ※
拝啓 敬愛するお姉さまへ
風薫る五月となりました。日本においては黄金に彩られた週間も終わり、学生から社会人まで皆の目が黒く淀んでいく素晴らしい期間に入りました。お姉さまに於かれましてはいかがお過ごしでしょうか。
改めまして、就職祝いありがとうございました。お礼の手紙を投函した翌日、狙いすましたかのように革財布が届きました。絶対に何かの間違いだと思いました。先日の色画用紙の件でオチはついていたはずなので、「これは間違いなく自分宛てではないのでお返しします」と引きませんでした。結局、本当に僕あてだったのでびっくりでした。
エッティンガーの革財布なんていう高価な品を頂き、小市民である僕は非常に恐縮しております。これから僕は毎日これを持って歩くことになるんでしょうか。上下合わせて二万円程度の安いスーツを着ている僕が、その倍を軽く超える五万円の財布を持っていることが、今でも信じられず、毎晩財布を金庫にしまって寝ているくらいです。
ああ、エッティンガー。紳士の国であるイギリスの王室が認めたという上質のブランド。スーツに合った落ち着いた色合いに、洗練された内側のツートンカラーが大人のオシャレ度をぐっと上げてくれています。一見するとどこにでもあるような財布ですが、その肌触りや色使い、そして何よりドレッシーな雰囲気は、ブランドならではのものであると、手に取った瞬間に言葉ではなく心で理解できました。
こんな素晴らしい贈り物をありがとうございます。
今の仕事において、直属の上司との関係があまりよくなく、気が重かったのですが、姉さんからこんなに良い贈り物をされては、頑張るしかありませんね。
敬具
五月十五日 大倉弥彦より
大倉美那子様へ
追伸
母さんが、実家の子供部屋を片付けてもいいかって聞いてきたから、いいって答えたけど大丈夫だよね?
※ ※ ※
前略 私の可愛い弟へ愛をこめて
子供部屋の件、了解しました。私の方から母さんに伝えておくので、やっくんはなにもしないでください。お願いします。
さて。
私は今、ペリト・モレノ氷河に居ます。
見てください、この青い氷河を! 写真を見てもらえるとわかると思いますが、本当に青いんです。グレシャーブルーと言って、氷の中の気泡が少ない関係で、青色の光だけを反射し、それ以外を吸収するからこんなに透き通った青色なのだそうです。
海は青い、などと言っても、私達が実際に見たことのある海は、どうしても不純物が多いので純粋な青には届きません。けれど、世界には確かに『青い水』というのが存在するのです。この事実がしれただけでも、私はこの旅を始めてよかったと思います。
こんなに美しい景色を見ていると、心が洗われる気持ちです。人間社会で汚れてしまった眼を洗って、曇りなき眼で世の中を見てみれば、どんなに些細な悪ふざけも、笑って許せるような気がしませんか?
お姉ちゃん信じてます。やっくんだったら、きっと許してくれるって。
草々
六月三日 大倉美那子より
私の愛する弟、大倉弥彦様へ
追伸
Tの数を確認してみよう!
※ ※ ※
拝啓 愛すべきお姉さまへ
雨に映える紫陽花の花も美しく、お姉様に於かれましてはいかがお過ごしでしょうか。
僕の方は、最近すこぶる順調です。先日少しだけ話した嫌な上司ですが、事故で怪我をして入院し、部署を移動することになりました。人の不幸を喜ぶわけではありませんが、非常に仕事がやりやすくなったのは確かですので、報告させていただきました。
さて。
子供部屋の件ですが、手紙を送った一週間後に母が片付けを開始してしまいました。僕も男手として駆り出されることになったのですが、止める余裕がありませんでした。申し訳ありません。なんでも客間として再利用するつもりだったらしく、二段ベッドの分解と勉強机の撤去、衣装箪笥の追放と、完全に空き部屋を作る勢いでした。子供時分の思い出が目の前で消えていくのはなかなか辛かったですが、勝手に作業される姉さんのほうが辛いだろうと思い、ここはぐっと涙をのむとします。
ただ、一つ言わせてください。
僕が中学時代になくした枕カバーの切れ端が、お姉様の勉強机の引き出しから出てきたのですが、これは何故ですか。
ちなみにこの枕カバーの切れ端の先には、鍵のかかった小箱があったのですが、鍵が見当たらないので開きません。このままにしておこうとは思いますが、とりあえず置く場所がないので僕が持っておくことにします。
……これ地味に重たいんだけど、姉ちゃん、ほんとに何入れてるの。
敬具
六月十二日 大倉弥彦より
大倉美那子様へ
追伸
ていうかETINGERってなんですか!
これじゃ『エッティンガー』じゃなくて『イーティンガー』じゃないですか! Tの数って何を言ってるんだろうこの人って思ってから、2日経ってようやくわかりましたよ。なんですこのパチもん。僕のぬか喜びを返してください!
※ ※ ※
前略 目に入れても痛くない私の弟へ
私は今、イースター島に居ます。
モアイおっきい! 知ってますか? モアイ像の地面の下には、ちゃんと体が埋まっているんですよ。そんな細部にまで凝って、当時の人達が何をしたかったのかは今でもわかっていないそうです。モアイ倒し戦争と言って、モアイを立てた部族間の争いによって多くが倒されたそうですが、その詳細も不明。モアイには女性型があったり、体に読むことのできない文様が刻まれていたりと、多くの謎が残されているのだといいます。歴史のミステリーですね。
ちなみに、モアイは元々、目があったそうです。モアイの目には魔力が宿るという迷信があり、モアイが倒されるときに目も削られたそうで、いま私達が知っているあの堀の深いモアイの外見になったそうです。
先日、曇りなき眼で見れば、という話をしましたが、あまりにも汚れなき目だと、魔力が宿ってしまうかもしれませんよ。なので、余計なものは見ないようにしましょう。例えば鍵のかかった小箱とか。お姉ちゃんとの約束ですよ。
草々
七月一日 大倉美那子より
大倉弥彦様へ
追伸
Tの数。やーいひっかかったー
※ ※ ※
拝啓 我らがお姉さまへ
うだるような暑さが続いておりますが、我らがお姉さまに於きましては一体何をしやがっているんでしょうかいい加減にしろ。
小箱開きました。中から出てくるわ出てくるわ……。
大方の詳細は伏せますが、一つだけ、僕の小学校時代から高校までの髪の毛を集めて、姉さんは何をしようとしていたの……。
あと、最近変な電話がかかってくるんですが、本当に大丈夫ですよね? 心配です。姉さん、本当に旅をしてるんですか? 何かまずいことに巻き込まれてませんか? 僕の方は仕事も慣れてきたので、余計に心配です。手紙以外でのやり取りが出来ないのが不安なので、一度電話をください。僕じゃなくても、母でもいいです。とにかく、連絡をお願いします。
敬具
七月二十日 大倉弥彦より
大倉美那子様
追伸
髪の毛はともかく、爪は気持ち悪いと思います。
※ ※ ※
「あは。気持ち悪いって」
大倉美那子は、スイートルームの一室で弟から送られてきた手紙を読んでいた。
送られてきた手紙は、現住所ではなく私書箱受取にしているため、タイミングを見て取りに行かないといけなかった。
美那子の目の前には、東京の夜景が写っている。南アメリカなどというのは大嘘で、彼女はこの三ヶ月間、弟が勤務する会社の近くのホテルを渡り歩いていた。
「連絡、取れるわけ無いじゃんね。だって、私を追い出したの、母さんだもん」
彼女はソファーに深く腰掛けながら、ハンカチのようなものを取り出す。何年も洗っていないのか、少し黄ばみかかっているそれは、橋の方に「やひこ」とひらがなの刺繍が入っていた。
スンスンとハンカチの匂いをかぎながら、手紙を読み返す。その至福の時間に、美那子は思わず頬をほころばせる。
「気持ち悪い、気持ち悪い……うふふ、気持ち悪い、だって」
コロコロと鈴が転がるような笑い声を上げたあと、彼女はうっとりとしたような目をして、囁くように言った。
「キミが嫌がってくれて、私はとっても気持ちいいよ」
私の可愛い弟へ。
ずっと守ってあげるから、ずっと私の玩具でいてね。
END
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