波乱の始業式 前
「なぁ!妹よ!」
「何ですか?」
「ひとつ聞いてもいいか?なんで俺ら―――追いかけられてるのぉおおおっ!」
廊下を走る二人に、矢が降り注ぐ。今にも死んでしまいそうな俺とは違い、隣を走る少女は余裕そうに小首を傾げている。
そんな危機的状況になる数分前の出来事。
どこからか飛んできた矢が、俺の頬をかすり机に突き刺さる。頬に痛みを感じて、触ると――。
「妹よ?この手に付いているものはなんだと思う?トマトケチャップかな?」
一希が掌を見えながら、お馬鹿な事を言うので。
妹は無表情に兄の肩を掴み、思い切り揺さぶる。
「兄さん…現実を見てください……!」
何も入ってなさそうな兄の頭がぐるぐると、かき混ぜられる。カランコロンと鳴りそうな頭が揺れることで現実に引き戻される。
「まさか――血か!?嘘だろ!?」
「……現実」
それを確認すると、妹は俺の手を引いて、階段を下った先にあるドアから教室を出て、真っ直ぐ廊下を直進する。
後ろからは怒号と共に大柄な男から、か弱そうな女の子まで何十人といる人が追いかけてきている。
「この状況なんなの!?どうして追われてるんだ!なぁ、妹よ!」
お世辞にも、感情が豊かとは言えない妹の顔が、少しだけ引き攣る。
「あの〜!さっきから妹、妹言うの辞めてもらっていいですか!私にも名前があるんですけど!」
あの妹が、柄にもなく大声を上げて怒っている。だが、表情はイマイチ分からん。だけど、ムスッとしているのだけは分かった。
「………」
激昂しているように……というか、している妹に、兄は無言という反応を取る。
「あの……もしかしてですけど…?私の名前……覚えてますよね?」
「………………御堂さん?」
「今、必死に考えて、絞り出した答えがそれなら……一回死にましょう」
その言葉を聞いた後、俺の視界は廊下と平行していた。激走していた為に、派手に転んで顎を強打したのか、割れたように痛い。横を見ると、久々に見る妹の腐った物を見る軽蔑の眼差しと、何やら物騒なものを構えている集団が俺達を取り囲んでいた。
「……オワタ」
「ふざけた事を言っていないでさっさと立ってください。妹の名前も忘れるドグサレアニキさん」
「うわぁ〜、久しぶりにキツい罵り聞いたな」
取り敢えず、ジンジン痛む顎を擦りながら起き上がってみる。
で……どういう状況?
なんか制服を着た生徒達が弓やら、剣やら、銃やら凶器構えてこっち睨んでるんですけど!めっさ、怖い!
「安心してください。汚兄さんには関係ありませんから」
「えっと……なんか違くない?」
やばい!ここには俺の味方がいない!
何とか妹の機嫌だけでも直さないと。
「妹よ!俺がお前の名前を忘れるわけないだろう!」
そう言うと、無表情から繰り出される軽蔑度は数倍アップした。
「ふ〜ん、なら言ってみてください」
俺は言おうとして口を開いた。だけど、声が出なかった。忘れた訳じゃない!そ、そうだ!異世界に来た影響で記憶が混乱しているんだ、絶対そうだ!
脳の記憶回路をフル回転させて記憶を呼び戻す。
「
「へ〜、妹の名前を疑問形で答えるとは面白いですね。……一希さん」
遂に、お兄ちゃんの称号まで外されてしまった。俺がその事実に泣きそうになっていると。
「ごちゃごちゃ喋ってんじゃねぇぞ!ゴラァ!」
我慢の限界に達したのか、取り囲んでいた中のガタイのいい男から怒号が飛ぶ。
それで、俺も妹も我に返る。
「そういえば、俺達ピンチだった……」
「………」
場が静まり返った。
そして、群衆の中から道が開かれて一人近づいてくる。制服には他の生徒とは明らかに違う煌びやかな装飾、襟元には黄金に輝く紋章が付けられている。
「さて、要件は分かっているね……雑種」
明らかに俺達に……いや、白季に放たれた言葉だ。雑種と罵られた白季はそっと睨み返している。
「生まれだけが全てだと思っている貴族様には、実力など関係ないのですね?室内暮らしのサラブレッド様はぬくぬくと温かい部屋にお戻りください」
えっ?怖……。
めっちゃ睨み合ってるんですけど!?絶対俺場違いですよね!?だって、一人だけ明らかにキョロキョロしてるもん!?
しかも、妹から発せられたことの無いオーラ出ちゃってるよ?あれ何?殺気?
バチバチと睨み合いが続く中、貴族らしい男がため息を漏らす。
「なんで君は分からないのかね?君のような余所者より、この僕……マドリック王国、継承権第一位のアルバロ・マドリックの方が相応しいと!」
「王族だかなんだか知りませんが、私より実力が劣る人に譲る気はさらさらありません」
「実力か……ならばその実力とやらで君に勝って見せようじゃないか!リミック起動!」
彼がそう唱えると、あら不思議。何故か魔法の杖が弓矢に大変身。凄いですねぇ〜、匠の技ですね〜。
「あの兄さん…現実逃避しないでください。それにアルバロ様が私に勝つなんて…無理」
「確かに僕一人では無理だろう。だから!この仲間で君を倒すことにするよ!」
一対多数……圧倒的に不利な状況だが白季は眉一つ動かさない。
「卑怯ですね」
「なんとでも言ってくれ。人望も実力の内だろう?」
「……確かにそうですね」
周りの生徒は軽く20人を超える。そんな数の暴力の前に白季は無表情を貫く。単に表情に出ないだけなのか、それとも本気なのか、俺でも分からない。
「それじゃあ始めるよ?スピーチを掛けた戦いを」
「お手柔らかお願いします」
白季、そして、周りの生徒達にも緊張が走る。どうやら、あの男が弓を引いたら始まるらしい。
辺りを包み込む静寂。嵐の前の静けさと言った所か。
「ていうか、スピーチって何!そんな事のために争ってんの!アホなの!死ぬの!」
静まり返った廊下に俺の叫びが響く。あまりにも唐突すぎる発言に白季や他の生徒も驚いている。
「雑魚が神聖なるスピーチを馬鹿にするかッ!」
男の弓が俺の方へ向き、放たれる。弓を向けられた俺は当然反応出来るわけもなく、目を瞑る。
終わった……。
そう考える時間が無限のように感じた。でも、明らかに当たった感触、痛みが湧いてこない。恐る恐る、固く閉じていた目を開ける。
矢先は俺の眉間の前でストップしていた。
「貴族様が怒りで我を忘れるとは呆れた……」
白季が矢を掴み取り、間一髪の所で死なずに済んだみたいだ。俺の緊張が一瞬にして弾け、その反動で地面に尻もちをつく。
白季の動体視力と反射神経には驚きを隠せない。数年前まではただの一般人だった白季が、異世界ファンタジーに順応してる……。
白季の凄さを改めて実感しながらも話は続いていた。
「アルバロ……この人は関係ありませんから危害を加えないでください」
白季は握りしめている矢を地面に置いて、言った。
「その雑魚は、これからの騎士長に選ばれる為の重要な儀式である演説を馬鹿にしたのだ。万死に値する!」
激情した王子の心情は留まることを知らない。二発目を放つために今一度弓を構える。白季は冷静に俺の前に立ち、庇うように手を広げる。
「これは私達の問題……こいつは関係ないはず」
「白季……」
あの妹が俺を守ってくれる日が来るなんて夢にも思わなかった。そんな妹が首を振り向かせて、こちらに視線を送ってくる。
「後で……話あるから」
「わぁ〜、怖〜い……」
キレ気味な白季さんに何も言えなくなる俺。
すると、アルバロは弓を下げる。
「君は何故そいつを庇う?何か特別な間柄なのか」
白季はそう問われると、困ったそうにこちらを振り返る。
「この人は……」
その後の言葉が出てこなかった。そして、アルバロは何かを察したように気味が悪い笑みを浮かべる。
「皆の衆、目標変更だ。今から狩るのはそこにいる…雑魚だ!」
「ッ!?意味が分からない!」
白季が声を荒らげて、動揺している。未だに腰が抜けて、立てない情けないお兄ちゃんの前に立って抗議する。周りの生徒も動揺しているが、白季の時と違って少し余裕が見える。
「この人はただの一般人です…なので傷つけることは許されない」
「何を馬鹿なことを……そいつは今まさにこの学園の制服を着て、僕の前にいる。それだけで勝負の対象になるには充分すぎる理由だろう?」
「………だけど」
流石の白季も反論することが出来ない。マリスに無理矢理とはいえ、現に制服を着ている以上ここの生徒と間違われてもおかしくない。今更言い訳した所で信じてもらえるわけでもない。
「でも……一つだけ、それを回避することが出来る」
あからさまに嫌な言い方をするアルバロに、温厚な俺もムカッとくる。
「それは何……」
「な〜に、簡単な事だ。今回のスピーチを変わってくれさいすれば、全て丸く収まる」
俺にはそのスピーチとやらが、どれだけ大切な事なのかは分からない。だけど、今まで白季がそれを渡したくなくて言い争っているのは、話からして分かった。
それをこんなふざけた奴になんか、渡せるものか!
「白季……そんな奴に譲ら「分かりました」…白季!?」
「そうか、そうか!賢明な判断痛み入るよ……それでも僕も引くとしよう」
態とらしい演技をするアルバロを筆頭に、他の生徒も皆行ってしまった。廊下には腰を抜かして座り込む兄と、呆然と立ち尽くす妹が残された。
俺は廊下の窓側の壁に背を預けながら、下を向き、気力のない妹に話しかける。
「良かったのか?あんなにあっさり渡して」
それに、無言で俺と目を合わせて座り込む白季。そのまま四つん這いで移動し、俺の隣で壁に凭れる。
「いい…別にそこまで重要でもない」
「いやでも、さっきはあんなに……」
「いいって言ってるでしょ?」
兄妹のあいだに沈黙が訪れる。
俺は何とか妹と話したいが、妹の悲しそうな顔を見たら躊躇っしまう。それだけ、大切な事だったんだろう。
(クソッ!妹にこんな顔をさせるなんて兄ちゃん失格だな!)
俺は、体育座りをしている白季の手を握りしめる。
「え……!」
「お前が泣いてる時、昔もこうやって慰めてたよな」
白季は少し震えながらも、俺の手を振り払おうとはしなかった。膝に顔を埋めて、話を聞いている。本当に昔を思い出すような光景に内心少し落ち着く。
「お前何かあるとすぐいじけて、部屋で丸くなるから……その度に俺がこうやって傍にいたっけ」
「それは……昔の話」
「そうだけどな俺にとっては……今も昔もあんまり変わらない。今でもお前は俺の可愛い妹だ…」
柄にもなく、可愛いとか言ってしまった口を縫ってしまいたいが、言ってしまった手前、白季がどんな反応をするか気にはなる。
少し視線を合わせてみると、やっぱり顔を埋めたままだ。
しばらくて、小さい声が聞こえてくる。
「その妹の名前……忘れてたけど」
「そ、それは!その〜、なんだ!ちょっとした冗談っていうか、軽いジョークであって、決して本気で忘れていたとかではないぞ?」
そんな一生懸命取り繕っている俺を見て、白季はプルプルしながら笑っていた。それは久しぶりに見た、白季の本気の笑顔だった。
「兄さんは昔から…励まし方が下手」
「はぁ!?下手じゃないし!?それになぁ、何か分からないけど今回は俺のせいでって言うか……」
「全く、兄さんは自己中なのか他人想いなのかハッキリして欲しい」
白季は繋いでいた手をそのまま引っ張って、俺と一緒に立つ。ヒラヒラとスカートを揺らしながら、長くツヤのいい黒髪が外の風に吹かれて綺麗に靡く。
そして、さっきよりも眩しい笑顔を見せてくれた。
「ありがと!兄さん!」
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