楽曲 第十五話

 部屋に入ると千紗はすぐにベッド下の収納を引き出した。中には木箱がある。千紗はそれを取り出した。床に女の子座りをする千紗の脇には、旅行から帰ってきたばかりで今放った旅行鞄が置かれている。

 千紗は緊張した面持ちで木箱の蓋を開けた。出てきたのは大量の手紙。裏向きに入れてある封筒だ。差出人の住所と名前が表記されている。書かれているのは名古屋の住所と河野翼という文字。千紗は一番上に積まれた封筒に手を掛けた。


 すると玄関ドアの開く音が聞こえた。よほど手紙で頭がいっぱいだったのか鍵をしていなかった。千紗は慌てて木箱を閉じベッド下の引き出しに押し込んだ。引き出しを押したところでタスクが千紗の部屋に顔を出した。


「鍵くらいしろよ、芸能人なんだから。不用心だろ」

「あ、うん。なんか用やった?」

「俺アトリエ行くけど千紗どうする?」

「旅行の荷物片付けたいからここおるわ。後で行く」

「そっか。じゃぁ俺行ってるわ」


 タスクは千紗の部屋を後にした。玄関ドアが閉まる音を聞くと千紗は再びベッド下の収納を引き出し、そして木箱を取り出すと蓋を開けた。目にはさっき見た河野翼という表記。千紗は一番上に積まれた一番最近の手紙を手に取った。


「ツバサさん、あんたは先生なん? ちゃうよな? 読み方がちゃう同姓同名なんやよな?」


 千紗は何の気なしに手首を返し封筒の表を見た。宛名は小林百花。住所は大阪。


「そう言えばいっぺん届いた封筒の表ってあんま見ることなかったな。お姉ちゃんの名前やけどうちに宛てたもんやもんな」


 千紗はしばらく封筒の表を見つめた。


――BIITO――


「えっ? え、え、え、え、えぇぇぇ!?」


 千紗は慌ててテーブルに放った鍵を拾い上げ部屋を出た。そしてタスクの部屋の玄関ドアの前に立った。


「しまった。うちの鍵」


 千紗は自分の部屋に戻り鍵を閉めると、再びタスクの部屋の玄関ドアの前に立った。鍵が三本連なったキーホルダーからタスクの部屋の鍵を手に取るが、手が震える。それを必死で抑えながらタスクの部屋の鍵を挿し込み、そして回した。

 千紗は誰もいないタスクの部屋に入室すると辺りを見回した。ふと箪笥が目に留まった。タスクのベッド下には収納がない。可能性が一番高い場所はここだと思った。


「先生、勝手にごめん」


 千紗は恐る恐る上段の引き出しを開けた。中には缶の箱が入っていた。千紗はそれを取り出し、そして蓋を開けた。


「大阪市○○区……、小林百花」


 千紗の目に飛び込んで来たのは自分の実家の住所と姉の名前だった。見間違うはずもない自分が用意して投函した封筒。そして自分の字。タスクも千紗同様封筒を裏向きにして保管していた。表を見るとやはり『BIITO』の消印。千紗の疑いは確信に変わった。




 旅行翌日のサバイバル芸能の事務所ビル四階。ハーレムの練習があるこの日、千紗はこの階の休憩室に沙織から呼び出されていた。相変わらず煙草の残り香がする。他に人はいない。沙織は腕を組み、胸を張る。その様を見て千紗は敬礼のポーズをとった。


「極秘ミッションの結果を報告せぃ」

「は。相手のミサイルは不発に終わりました」


 窓台に手を掛けて沙織は項垂れた。いつぞやの時代に人気を博した猿の反省ポーズのようである。


「先生のは使い物にならんのか……」


 千紗は敬礼を解き脱力した。


「ちゃうねん。先生は悪ないねん。うちが止めてもうた。ごめん言うたら止めてくれた」

「どんだけ仏やねん。千紗がまだ三等兵から昇格できひんやないか」


――李奈と経験済みの処女やねんからせめて二等兵にしてや――


 極秘事項なのでもちろん千紗の心の声である。


「けど下着は役に立ったで。あと、チューブトップも。ありがとな。お土産もうてるからあとで渡すな」

「結局チューブトップも使つこたんかい。ま、あんたらにはあんたらのペースがあるわな。見守るわ」


 そう話して二人は休憩室を出た。




 旅行から帰ってきて数日後の昼過ぎ。タスクと千紗はアトリエにいた。お互いに黙々と仕事を進めている最中、ふと千紗がタスクに問い掛けた。


「なぁ、先生?」

「ん?」

「先生って建築かじってたりするん?」

「え? よく知ってたな? 大学が建築課」

「ほっか」

「誰に聞いたんだ?」

「ん? あ、えーっと、哲平さん」

「ふぅん」


 二人はまた仕事に集中した。


 しばらくして今度はタスクが声を出した。


「なぁ、千紗?」

「ん?」

「ヤマトさんの曲は覚えられそう?」

「それほど難しいわけやないし、スタジオ始まるまであと一週間はあるから大丈夫やろ」

「ハーレムは忙しい?」

「まぁ、ぼちぼちやな。なんで?」


 一度断られた経験が心に重く残っているタスクは遠慮がちに質問を続けているのだ。


「アレンジ進めたい曲があるんだよ」

「ええな。そろそろうちの曲作りも解禁せなあかんな。うちも一曲できてるし」

「作ってたの?」

「閃いてまったねん。夏の地方公演に出てる時に。そんでリハのスタジオ残ってキーボードで作った」

「そっか。じゃぁ今日、晩飯食った後からとかでどう?」

「ええよ。やろ」


 この日二人は夜遅くまで曲作りをした。タスクが作った一曲と千紗が作った一曲。それぞれの装飾まで終えた。二人に満足感と達成感と自信が漂う。


「どっちもめちゃめちゃええ曲やん。それにええ曲になったやん」

「だな。自信作だ」

「先生のは誰に提供するん?」

「決めてない。千紗のはどうする? もうすぐファーストアルバムのレコーディング始まるだろ? 次のシングルまで待つか?」

「それなんやけどな。うち自分で言うのも何なんやけどこの曲めっちゃ自信作やねん」


 自己評価の低い千紗にしてみれば珍しい発言である。いや、曲作りだけは正当な誇りと自信を持ち合わせているので当たり前の発言なのかもしれない。


「それにな、いろいろあって思い入れがあんねん。大事過ぎて今はまだ出すのに抵抗があんねん」

「そっか、そっか。じゃぁしばらく温めるか」

「そうしてもらえるとありがたい」

「俺の方もそうしよっかな」

「なら、うちと先生だけが知ってる二曲やな」


 無垢な笑顔でタスクに言う千紗。

 千紗は地方公演に出ている間にこの曲を書いていた。いつも一緒にいるはずのタスクと離れることが多かった夏場、無意識のうちにタスクのことを思い浮かべて書いた一曲だ。

 タスクも同様に千紗を思い浮かべて書いた一曲だった。バーベキューの日、祭りの後の静けさの中、一人スタジオに籠って書き上げた曲だ。きっかけは哲平に言われた一言「千紗と向き合え」だ。不器用なタスクは向き合う時の方法を知らない。だから曲で表現したのだ。

 そして二人がそれぞれ作ったこの二曲。詞はまだない。




 九月下旬。千堂ヤマトの都内リハーサルスタジオ。千紗は自前のスネアをバッグに入れていた。バッグを開けた時に顔を出す藍色のハンカチに笑みがこぼれる。


「何書いてくれたんやろ?」


 千紗のバッグの内側に縫い付けられた藍色のハンカチにはタスクが千紗へ向けたメッセージが書かれている。見えないよう内側に。タスクのベースのギグバッグにも千紗がメッセージを書いた同じものが縫い付けられている。お互いに何が書かれているかは知らない。それを外してメッセージを見る時期は二人で決めている。


「それではちょっと注目してください」


 あらかた片づけを終えたバックバンドのメンバーにヤマトのマネージャーが声を掛けた。


「ドームコンサートは明後日からの前日入りになります。本番は三日後。明後日は会場で十四時から前日リハです。昼食は用意しますので十二時には会場の控室に集合して下さい。今日明日はゆっくりお休みください。それでは福岡ではよろしくお願いします」


 マネージャーが業務連絡を終えるとタスクの下にヤマトが歩み寄った。四十代前半で貫禄とパワーに満ち溢れた男。タスクの肩にも心なしか力が入る。


「タスク、福岡はよろしくな」

「こちらこそ」

「腕、さすがだな」

「いえ、ありがとうございます」

「それにドラムの彼女も。粗削りなとこはあるけど。……って言ってもあの若さであの演奏なら大したもんだわ。あれはまだまだ伸びるだろ。末恐ろしいわ」

「そんな言ってもらえて千紗も喜ぶと思います」

「いいコンビだな」


 ドラム脇でなぜかいつまでも片づけが終わらない笑顔の千紗を、二人は微笑ましく見ながら話していた。千紗はただバッグを開けた時に見える藍色のハンカチを見て頬が緩んでいるだけなのだが。


「じゃ、ゆっくり休めよ。お疲れ」

「お疲れ様です」


 ヤマトは背中越しにタスクに手を振ってスタジオを後にした。

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