楽曲 第八話

 七月上旬の晴れた平日。タスクと哲平はアトリエのベランダで慌ただしく準備をしていた。


「あぁ、もう炭に火点いてんじゃん。今からは着火剤入れなくていいって。ここは変わるからタスクは野菜切ってろよ」


 タスクは哲平に言われてバーベキューコンロを離れた。バーベキューの経験がないタスクに火起こしなんてできるわけがない。


 この日は以前に千紗が希望していたアトリエのベランダでのバーベキューだ。サバハリとハーレムのメンバーとその関係者を呼んでいる。邪魔者扱いをされてしまったタスクはとぼとぼと室内へ入った。

 執務室の窓際の応接テーブルの上には焼く準備の整った肉がトレーに並べられている。四人掛けのPCテーブルで千紗が野菜を切り分けていた。タスクはPCテーブルに近づいた。


「千紗手伝うよ」

「ん? おおきに。火起こしできんくて邪魔もの扱いされたん?」


 バレている。タスクは黙ってキャベツを手に取った。


「おっすー」

「お疲れー」


 そう言ってアトリエの玄関に入って来たのは雄太と真紀カップルだ。手には缶ビールと缶酎ハイが一杯に詰め込まれた袋を握っていた。


「いらっしゃい」

「お疲れ様です。スタジオの中荷物置き場にしてるさかい手荷物置いてって下さい」


 タスクと千紗が挨拶を返すと、真紀がタスクを見るなり言った。


「葵もこっちいる時なら良かったのにね」

「仕方ないよ。八月は来るって言ってるけどその頃のバンドマンは書き入れ時だから」


 中高生の夏休み当たる七月下旬から八月までは夏フェスや多様なイベントが全国各地で開催される。この時期はライブバンドにとって自身の単独ライブも含めてステージやリハーサルでスケジュールが埋まってしまう。今日の面子が一堂に会すのは難しい。


「お疲れさまでーす」


 黄色い声だ。入って来たのは千紗以外のハーレムのメンバー三人だった。ジュースやお茶や菓子の入った袋を手分けして持っている。


「りーなー。一緒に飲もうぜ。こっち、こっち。……いてててて」

「あんたはこっち。早くお酒冷やすよ」


 荷物を置いて戻って来た雄太が真紀に耳を引っ張られながらベランダに連れ出される。


「千紗、もう決めたんか?」

「二つに絞りました、隊長」


 沙織が親指を握り込んだジェスチャーで聞くので千紗は敬礼のポーズで答えた。


「こんにちはー。今日は呼んでくれてありがとう」

「ちーす」


 次に現れたのはカズ佳穂夫妻だ。正確に言うとまだ夫婦ではないが。カズは大きな発泡スチロールの箱を肩に担いでいる。中からは大量の新鮮な魚介類が。これでこの日の食材が全て揃った。


「あー、こんにちは。佳穂さんだいぶお腹大きなってるやん」


 千紗が佳穂に駆け寄り腹を擦るので、佳穂はそれに笑顔で答えた。


「もう六カ月だから」

「産まれたらまたお家遊びに行かせて下さい」

「ぜひ来て。野菜切ってるの? 手伝うよ」

「もう終わりますから。それよかうちのメンバーさっきベランダ出たからぎょうさん絡んだって下さい」


 それを聞いた佳穂は重い腹を抱えながらも嬉しそうにベランダに出た。


「あら、素敵なアトリエですね。想像以上だわ」


 最後に現れたのは芸能事務所社長の天野だ。露出の高い服装で相変わらずの艶やかな笑顔を振りまいている。その天野の脇で弦輝と牛島がシャンパンやワインのボトルを抱えさせられていた。その様子を見てタスクが弦輝に言う。


「君たちは○姉妹の取り巻きですか」

「重い……。ベースより重い……。タスクこれどこに置いたらいい?」

「とりあえずソファーの上に置いてくれ」


 ボトルをソファーに下ろす弦輝と牛島は疲労の色が濃い。すると六人分のソファーの座面がほとんど消えてしまった。弦輝はどっと疲れた表情を隠さず言った。


「エンジニアの笠寺さんたちにも声掛けたんだけど、仕事が入ってるみたいで」

「レーベルの人間だからな。スケジュール調整が難しかったんだろう」


 千紗が切り終った野菜をトレーに並べながら窓の外のベランダを見た。


「賑やかやな」

「ほんと」


 千紗が楽しそうに言うのでタスクは苦笑いを浮かべて相槌を打った。


 野菜を持ってタスクと千紗がベランダに出ると香ばしい肉と魚介の匂いがした。


「お、揃ったな。それじゃぁ乾杯しようぜ」


 哲平が音頭を取り乾杯を経てバーベキューが始まった。

 多くの参加者がバーベキューコンロの周りに群がる中、タスクは椅子に座っていた。いつも通りの行動である。がしかし、いつも通りの調子ではない。客観的に見ながらもこの雰囲気を楽しんでいた。すると李奈がタスクのテーブルに来た。


「先生、飲んでます?」


 以前にも言っていたようなセリフ。相変わらずだ。もちろん李奈はノンアルコールである。


「進展ならないぞ」

「つまんない」


 李奈はこの一往復半の言葉のキャッチボールで離れていってしまった。哲平菌自発的発症者め。タスクは一瞬、面白半分で千紗との事故のことを話そうかとも思ったが、今とは違った意味で場を騒がせそうなので呑み込んだ。


「タスク、楽しんでる?」

「あ、うん」


 次に来たのは弦輝だ。弦輝とはサバハリのメンバーとして入れ違いだ。よくレコーディングで一緒に仕事をするが、思い返してみると酒を一緒に飲むのは初めてだ。


「こんな時に何なんだけど、少し仕事の話していいか?」

「どうぞ」


 弦輝は笑顔でもあり真剣な表情でもある。それほど畏まっている様子ではないが、タスクは弦輝の話に興味を持った。


「千堂ヤマトさんって知ってる?」

「当たり前じゃん。十年前に解散した伝説のロックバンド、ブッククラウンのボーカルだった人だろ? 今でもソロボーカルとしてばりばり活動してんじゃん」

「そう。そのヤマトさんがな、九月の下旬にヤマトさんの地元福岡で芸能デビュー二十五周年を記念して凱旋コンサートをやるんだよ。ドーム球場でツーデイズ」

「さすがだな。ソロになってもドームで二日も人を集めれるなんて」


 タスクにとっては雲の上の人のような存在なので、素直に口を吐いた褒め言葉である。


「それで今ベースとドラムのバックバンドを探してるんだよ」

「へぇ、あの人なら人脈もいっぱいあるだろうに。腕のいいミュージシャンぱぱっと決めれそうなイメージだけどな」

「元々予定してたドラマーがこないだ交通事故で怪我して。全治三カ月だって」

「それはそれは。だから探してるのか。けどなんでベーシストまで?」

「ヤマトさんの希望で、ドラムとベースはバンドの心臓だから経験値のある絶対的コンビがいいんだって。だから今のベーシストもまとめて外しちゃったんだよ」

「拘るねぇ。ま、その気持ちはわからんでもないけど」


 タスクもここにいる弦輝もリズム隊のベーシスト。その拘りは理解ができる。


「それで俺とカズに打診が来たんだよ。けど事前に決まってたサバハリのスケジュールと被っちゃって断ったんだ。そしたら誰か紹介できるやついないかって言われて」

「もしかしてそれで俺か?」

「そう」

「けどコンビ組むドラマーがいないじゃん」

「いるじゃん。タスクといつも一緒にやってる女の子が」

「は? 千紗のこと言ってんのか?」


 まさかと思ってタスクの口を吐いた人物であったが、この後弦輝は肯定する。その千紗はバーベキューコンロの回りで楽しそうに笑顔を振りまいている。


「そうだよ。それ以外に誰がいんだよ」

「だって経験値を求めてるんだろ?」

「あぁ、ここで言ってる経験値ってのは長年一緒にやってるパートナーって意味だよ」

「それでもだよ。まだ一緒にやるようになって三カ月くらいだぞ」

「どういう計算してんだよ? タスクと千紗は曲作りでどんだけ一緒にやってんだよ?」


 タスクはふと思い浮かべてみる。どれだけ千紗と一緒に演奏をしているだろうか。


「スケジュールで斑があるからトータルの時間だけど、六~七回分はやってると思う」

「だろ? 千紗が優奈とやるより多いじゃん」

「とは言ってもそれはあくまで現状のペース。夏休みシーズンに入ったら千紗も地方公演で空けるからそうはいかないよ。それにまだ千紗は若い」

「現状で十分だよ。若いって言ったって、そもそもタスクは千紗のドラムの実力どう思ってんだよ? ある意味ベーシストとしてドラマーよりもシビアな評価できるだろ?」


 タスクは今まで誰にも話したことのない千紗への評価が頭を過ぎる。話すべきか。相手は自分と同じベーシスト。タスクは意を決して口を開いた。


「絶対誰にも言うなよ。特に他のサバハリのメンバーには」

「わかった」

「今のペースでいけば二年でカズを超えると思う」

「一年だ」

「は?」

「俺からの評価は一年でカズを超える。それがあと二カ月もあったらどんだけ化けると思う?」

「……」

「その無言は千紗に対する最大級の評価だと捉えていいな?」


 タスクは黙って首を縦に振った。つまり肯定。これがタスクの千紗に対する評価だ。


「やるか? やるならヤマトさんに推薦する。二人にとってはチャンスだ。少なくとも悪い話じゃない」

「わかった、前向きに考える」

「よし。じゃぁ、二人で録った音源を二~三曲用意しといてくれ。あとコンサート前の二週間は練習やリハで拘束されるから」

「わかった。音源はここにあるから後で渡す。千紗の意向とハーレムの予定を確認してから正式な返事はする」

「おっけ、それじゃ」


 タスクにとっては驚きのオファーだった。この後頭の中はこの会の楽しみ半分、オファーの話半分といったところになった。


「こういうのもいいもんだろ」


 会も終わりに近づいた頃タスクに声を掛けたのは哲平だ。


「まぁな」

「外から見てる割に今までにないくらい楽しそうにしてるから安心したよ」


――親友よ――


「千紗とはもうヤッたのか?」


――菌め。発生源め。絶賛感染拡大中だ――


 もちろんタスクの心の声である。


「ま、進んでないならそう言った意味で千紗ともう少し向き合ってみろよ」

「意味がわからん」

「意地っ張りめ」


 哲平は不敵な笑みを浮かべて離れて行った。こうしてこの日バーベキューは終った。


 この後二次会を経て千紗をマンションに帰すと夜遅くにタスクはアトリエに戻ってきた。


「さてと、やるか」


 タスクはスタジオの作業ステージでギターを握りデスクに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る