楽曲 第六話

 六月に入ってすぐのとある夕方。アトリエに来た千紗が防音扉のガラス越しにスタジオ内を覗くと、ドラムセットの前でタスクがベースを弾いているのが見えた。椅子を二つ並べていてもう一人女が座っている。同じくベースを弾いているようだ。前髪が長く横向きの彼女は髪で表情が隠れていて見えない。


「女やと。何をスタジオに女連れ込んでんねん」


 君がそれを言うか。千紗は勢いのあまり赤の回転灯のスイッチを押した。中にいたタスクは驚いて防音扉を見たのだが、その時スタジオに一緒にいる女も扉に向いた。


「あ……」


 千紗は女の正体に気づいた。タスクはベースを立てかけると小走りに駆け寄り扉を開けた。


「どうした?」

「ごめん、スイッチ間違えてもうた」


 千紗は罰が悪そうに笑うと、タスクは肩の力が抜けて息を吐いた。


「何だよ」

「優奈やったんか」

「千紗、おつかれ」


 優奈はスタジオ内から千紗に声を掛けた。スタジオの中にいたのは優奈だった。優奈はベースの指導をしてほしいとタスクのアトリエに来ていたのだ。タスクは作業ステージにあるベースアンプを下し、ドラムセットの前にベースアンプを二台並べて、優奈を指導していた。


「練習終わってから来たんか?」


 千紗はスタジオの中に入るなり優奈に聞いた。


「そや。さっきまで李奈と沙織もおったんやで」

「またうちだけ仲間外れかいな」

「練習終わったら千紗がさっさと帰ってしもたんやん」


 この日午後からのハーレムの練習を終えると千紗はメンバーを余所に一人先に事務所を出た。ドラムのスティックや楽譜スコアを付けるためのノートが不足していたので買い物に行ったのだ。曲のイメージが浮かんでいたのですぐにアトリエに来て作曲に取り掛かりたかった。そのため急いでいたので一人で行動した。

 しかし自身愛用のスティックが売り切れていたり置いていなかったりと楽器店を三軒回り、結局優奈よりも遅い到着となってしまった。


「うちら三人初めて来たんやで。凄いなここ」

「やろ」


 千紗が我が物顔のどや顔を披露する。実に誇らしげだ。


「ドラム? 曲作り? どっち?」

「曲作りや」


 千紗がタスクの質問に答えると、タスクはドラムセットの隣にあるキーボードを抱えて電源コードと一緒に千紗に押し付けた。キーボードを受け取った千紗は後ろのめりになった。


「キーボードなら音量絞れば執務室でもできるから、はい」

「しまった。ドラムや言うとけば良かった」

「ん? なんか言った?」


 すでに踵を返していたタスクが振り返り千紗に聞いた。


「何でもないよーだ」


 体の小さな千紗は重そうにキーボードを抱えて執務室に出た。とは言え千紗は筋力があるので実際は重いわけではなく、自分の体と釣り合わない大きさの楽器が持ちにくいだけなのだ。


「なんでうちがスタジオ出されなかんねん。うちの場所やのに」


 キーボードをPCテーブルに置くと千紗はぶつぶつ文句を言いながらセッティングを始め、そして執務室で作曲を開始した。ちなみに、千紗はアルバイト代から相殺相当でスタジオを使わせてもらっているが、千紗のスタジオというわけではではない。


 順調に曲が組み上がり、しばらくして一曲が完成したちょうどその頃、練習と指導を終えたタスクと優奈がスタジオから出てきた。


「先生、今日はほんまにありがとうございます。いっぱい勉強になりました」

「いえいえ」


 千紗はそれを聞いて、最近メンバーの前ではタスクに対してタメ口だったなと思い出した。これだから仲を疑われるのだ。

 タスクのバンド指導ではいつも泣かされている千紗と優奈だが、タスクと同じベーシストとして優奈はハーレムの中で千紗の次にタスクと親しくしていた。バンド指導の後にスタジオが空いていれば居残り、タスクから個人指導を受けることもある。タスクのことが恋愛対象であるわけではないが、人としての魅力は感じている。ハーレムのリズム隊のコンビは揃って鬼を好むとんだマゾ気質である。


「千紗は終わったん?」

「うん、できたで」

「ご飯どうするん? 一緒に行かん?」

「ええな。行こか」

「先生もどうですか?」

「いいよ。行こうか」


 三人はアトリエがあるビルの隣のレストラン「ポン太」に入った。タスクと千紗はすっかり顔なじみになった洋食店である。遅くまで営業していて、品数が多く飽きないので昼夜の食事をよくこのポン太で取っていた。


「あ、先生、千紗ちゃん、いらっしゃい。彼女は初めてかな?」


 店に入るなり経営者のマスターが声を掛けてきた。オールバックの髪型にベストを羽織ったいで立ちで、人懐っこい三十代後半の男である。


「うちのメンバーの優奈やねん」

「こんばんは」


 三人は四人掛けのボックステーブル席に着いた。千紗と優奈が奥のソファーに、タスクが手前の椅子に座ると、すぐにアルバイトのウェイトレスが水とおしぼりを持ってきた。そして三人は注文を済ませた。ここで優奈はお手洗いに行くと言って離席した。


「なぁ、先生?」

「ん?」

「優奈とはずっとドラムの前で練習しとったん?」

「そうだよ」

「他の二人が一緒やった時は?」


 優奈がいなくなった途端、捲し立てるように質問を続ける千紗に些かの疑問は感じるものの、タスクは聞かれたことを正直に答える。


「スタジオをぐるっと見て回っただけだよ」

「作業ステージは?」

「脇から顔覗かせて見たくらいかな」

「上がってないん?」

「うん。バンド指導の時、事務所のスタジオでも遠慮してステージには近づかないからね。上がってこないのが癖になってんじゃない?」

「ほかほか」


 千紗は満足げな気な笑みを浮かべて水を一口飲んだ。程なくして優奈は席に戻ってきた。

 そしてしばらくすると三人の注文した料理がテーブルに並んだ。千紗は添えつけの人参をタスクの皿に移すと、タスクは自分の皿からこれまた添えつけのブロッコリーを千紗の皿に移した。


「から揚げ一個ちょうだい」

「ん」


 タスクが喉で返事をすると、千紗はタスクの皿からから揚げを奪った。その時にタスクはから揚げに添えられたマヨネーズを千紗が掬いやすいように千紗に向けたので、千紗はフォークで刺したから揚げでマヨネーズを掬った。優奈はそれを感心した様子で見ていた。


「ほえぇ、阿吽の呼吸やな」

「ん? そか?」

「夫婦みたいやで。互いの好みしっかり把握してるやん」

「大げさや」

「二人はどこまで進んどるん? もうエッチはしたん?」

「ぶふっ!」


 タスクは口に運んでいた水を吹いた。千紗は口に入れたばかりのから揚げの咀嚼が止まり、衣の形に頬を変形させている。普段から食い意地の張った千紗の間抜けな顔である。


「何言い出すんだよ」

「何って、二人とも好き同士ちゃうんですか? うちはずっとそう思うてましたたけど」


 ここにもいた、哲平菌感染者。李奈からの感染か? それとも自発的発症か? タスクは口元をおしぼりで拭きながらそう思った。千紗は咀嚼すると言った。


「うちら仲良くはしてるけどそういう関係ちゃうねん」

「なんで?」

「なんで言われても。ちゃうもんはちゃうねん」

「二人はくっつかんの? ええ加減付きうたらええやん。二人とも他に相手でもおるん?」


 タスクは百花が、千紗はツバサが頭に浮かんだ。顔を知らないのでイメージできたのは手紙の差出人の表記である。


「そういうわけやないけど。部屋隣やし、一緒に仕事する時間も長いだけやから」

「居心地ええんや」


 優奈が微笑ましく笑うのだが、二人はそれが否定できなかった。


「二人が共同で作る曲めっちゃええ歌やもんな。そもそも他人や思うてたらわざわざ二人で作曲することないやろし。そんなら最初はなっから一人で作るわな」


 タスクと千紗はこれも否定できなかった。確かに一人で作るよりも二人で作った方が出来に満足することが多い。しかしその結果をお互いに、音楽性の相性がいいとか、足りないものを補っているくらいにしか思っていない。


「ええな、ええな。うちも居心地のええ男の人ほしいな」


 そう言いながら優奈は食事を進めた。




 それから二日後、俳優宇賀恭介うが・きょうすけはサバイバル芸能の社長室にいた。この度やっとオーディションに合格し、この夏から撮影が始まる映画の主要キャストに決まった。そのオーディション合格を社長の天野に報告しに来ていたのだ。


 宇賀は高校三年当時サバイバル芸能の前身、イーグル芸能に所属が決まっていた。高校を卒業して所属し、貧しい生活を送りながら舞台などで下積みに明け暮れた。

 そして二年後に社名がサバイバル芸能に変わった。その時はジャガーミュージックから切り離されたばかりの無名芸能事務所でなかなか仕事にありつけなかった。この頃はまだ社員数も少なく、社長の天野が直接マネージングをし、宇賀の面倒を見ていた。宇賀は結局四年以上の下積みを経てこの度やっと大きなチャンスを掴んだ苦労人である。


 そしてこの日宇賀は天野へオーディション合格の報告を終えて社長室を出ると隣接の事務所を抜けた。


 この日ハーレムは事務所のスタジオで練習をしていた。世間の夏休みを前に夏のライブやロックフェスのステージが多々決まっており、練習に熱が入っている。前月レコーディングが終わったセカンドシングル「Step Up」の発売も翌月に控え、プロモーションのためのステージもいくつか決まっていた。


 練習を終えると千紗は牛島に用事があり事務所に顔を出した。他のメンバー三人は一階のエントランスで千紗が下りてくるのを待っていると李奈のスマートフォンが鳴った。


「あ、千紗からラインや」

「なんて?」


 沙織が李奈のスマートフォンに顔を覗かせて聞く。


「用事ができたから先帰っててやって」

「またかいな。ま、しゃーない。行こか」


 三人は揃って事務所を後にした。

 事務所ビルには一階エントランスの上に二階のトイレがある。千紗はその女子トイレの窓から三人が見えなくなるまで見送った。そして女子トイレを出た。

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