楽曲 第三話

 博多のライブハウス。この日出演予定のハーレムのドラマー千紗はここにいた。控室は出演バンドの荷物置場となるため屋内に居場所はなく、リハーサルを終えた千紗はライブハウスの外で外壁にもたれて立っていた。


「たばこ吸いたい」


 負けず嫌いでストイックで努力家の美少女。まだ十八歳の少女とは思えないほど正確で、華奢な体系からは想像できないほどの筋力に恵まれているためパワフルなドラムを叩く。類稀な音楽センスを存分に発揮してプロデューサーの曲作りを助ける。そして透き通るような美しい歌声を持つ。


 しかし負けず嫌いが影響してか、あまり自分に自信がなく自己評価が低い。褒められればすぐに調子にのるくせに。そして性欲の強い処女。

 実力派バンドサバハリのドラマーカズと一緒にドラムの練習をした時はカズのテクニックに打ちのめされ、プロデューサーとの曲作りではお手伝いをしているくらいにしか思っておらず、歌は音痴ではない程度にしか自覚がない。美しい歌声を持っていることはこの時まだそのプロデューサーのタスクしか知らない。


「煙草なんてやめぇ。百害あって一利なしやで」


 そう言うのはハーレムのボーカルギター李奈だ。千紗同様外壁に背中を預けて立っている。李奈もまた歌がうまい。そしてバンドのリーダー。千紗と李奈は実家が大阪市内の同じ商店街にある幼馴染で親友だ。

 絶世の美少女の彼女は事あるごとに寄って来る男を排除してきた。経験人数は一人。千紗に恋心を抱いていた過去がある。ある程度吹っ切れてはいるようだが、まだ完全ではない。


 千紗はこの美少女と幼い頃から一緒にいたせいかあまり自分が可愛いという自覚がない。千紗は李奈の顔を見るのが好きだ。目の保養である。しかし李奈はステージ前のこの時、喉を保護するためにマスクを着けていた。美少女の顔が半分見えないので千紗は残念だった。


「眠そうやな。生理か?」


 何度も欠伸をする千紗を見て李奈が言った。


「ちゃうわ! 先週終わったわ! って言わすな! 昨日夜中までアトリエで先生と曲作りしててん」

「アトリエって先生の仕事場のことやろ? それで集合時間ぎりぎりやったんかぁ」

「起きたら先生とアトリエのソファーやもん。焦ったわ。そっから一回帰って支度して、先生がタクシーで送ってくれたんや」

「へぇ、一緒に寝てたんや。朝帰りしたんや」

「その言い方……。アトリエの応接ソファー向かい合わせで二つあんねん。別々に寝たわ」

「そんな言うても男女が二人っきりですぐ近くで寝てたんやろ? なんで二人ともそんな奥手やねん」


 こっちが聞きたいよ、と内心嘆く千紗。これではタスクのベッドに潜り込んだ話はできないな。不健全者扱いをされてしまう。


「あ、いたいた」


 こう言って寄ってきたのはハーレムのマネージャーの牛島。卑屈屋で愚痴っぽい。三十代前半で淵眼鏡に髪はセンター分け。マメだがたまに隠れて仕事をさぼる。目上の人間に対しすぐ胡麻をする。陰で呼ばれているあだ名が「モージマ」だ。


「今事務所から電話あったよ。千紗プロデューサーデビューおめでとう」

「え?」


 千紗は狐につままれたような顔をした。


「ん? 先生から聞いてない?」

「何をですか?」

「こないだYURIAに提供する曲一緒に作ったでしょ?」

「昨日です。しかもアレンジ手伝てつどうただけですよ」

「そんな程度じゃないでしょ。作詞は伊星先生、作曲と編曲はTASUKU、CHISAで発売することになったんだよ。今事務所とレーベールから千紗の名前載っけていいって許可が下りて」


 千紗の開いた口が塞がらない。隣で李奈が興奮して何か言っているが耳に入らない。


 タスクはアトリエにいた。携帯電話が鳴り、電話を取るとすぐに耳から距離を離した。


『どういうこっちゃ!?』

「どういうこっちゃってそういうこっちゃ」

『全然意味わからんわ!』

「なんで怒鳴るんだよ。悪い話じゃないだろ?」

『むー』

「とりあえず今来客中だから切るな」

『え、ちょ――』ぷちっ。


 タスクは千紗からの騒がしい電話を切った。


「今のがハーレムの千紗?」

「そう」


 タスクは事務所の応接ソファーに座っていた。正面には葵が座っている。葵は名古屋の大学に通う四年生だ。ゴールデンウィークを利用して東京に来ていた。


「ん? て言うか葵、俺と千紗が仕事で繋がってること知ってんの?」

「真紀から聞いた。仲いいらしいじゃん。部屋も隣だって」

「は? 真紀がなんでそんなことまで知ってんだ?」

「真紀は哲平から聞いたって」


 あのやろう。変なことを勘ぐったと思ったら言いふらしやがって。哲平菌増殖中ではないか。とタスクは思うものの、文通のことなど最重要秘密を言うほど哲平の口は軽くはないことは理解している。


「付き合ってんの?」

「いや、そういう関係じゃない」

「今彼女は?」

「いない」

「そっか。私と復縁は?」

「ごめん」

「だよね」


 俯いたタスクに葵は余裕のある笑みで返した。童顔でセミロングの髪型の葵の表情からは何を考えているのかわからない。


 タスクは大学二年の時に葵と半年ほど付き合っていた。葵はその時名古屋で活動するインディーズバンドだったサバハリのマネージャーをしていた。タスクもメンバーでベーシストだった。交際を申し込んだのは葵の方だ。一度は断ったが二度目に言われた時にタスクは折れた。

 バンドのメンバーには心を開いていたとは言え、元来人と一緒にいることが得意ではないタスクは交際に積極的ではなかった。そして半年経って別れを切り出し破局した。二人が付き合っていたことはメンバーを含め誰も知らない。


「じゃぁ私そろそろ行くわ。こっちにいる友達と約束あるから」

「そっか。またな」

「うん。次はメンバーとも会える日に調整してこっち来るよ。それじゃ」


 葵はアトリエを去って行った。




 一週間後。ゴールデンウィーク最終日の昼下がり、タスクはアトリエの執務室で仕事をしていた。


「たっだいまー」


 そう言って勢いよく執務室に入ってきたのは千紗だ。タスクは大好きな一人の世界で仕事に没頭していた。この千紗の登場に集中を切られた。しかし千紗だから不快はない。


「おかえり。今札幌からの帰り?」

「そや。羽田からそのまま来た」


 千紗はそう言って応接ソファーに座ると持っていた紙袋をテーブルに上げた。ソファーの脇にはキャスター付きバッグを据え、ソファーには千紗の着席と一緒に肩掛けバッグが座面に落ち着いた。


「これが博多の明太子に、これが仙台のずんだに、これが札幌の白い恋人に、これが名古屋のういろう。あかん地元大阪の土産買い忘れた。実家寄ったから時間なかったわ」


 千紗はそう言いながら紙袋から出した土産をテーブルに広げた。タスクは給湯に行きコーヒーを二人分淹れて持ってくると応接ソファーに座った。千紗の手元にはスティックシュガーを二本置いた。


「あ、ういろうは東京来た時先生にもろたやん。先生にはお土産にならんか」


 そんなことを言いながらも楽しそうに笑う千紗。


「これ全部俺に?」

「そや」

「食べきれないよ」

「ほな先生の部屋で飲む時一緒につまもうや?」

「そうだね」


 千紗は子供のように足を上下に振る。


 コーヒーを飲み終えると千紗はスタジオに入った。タスクは執務室のデスクに戻り既に仕事を再開している。


「やっぱええなぁ、ここは」


 千紗は楽器を弾くでもなくスタジオの機器に触れながら歩き回った。収納棚には数々の備品が、本棚には本やノートやCDが。通い始めて一カ月のタスクのプライベートスタジオに既に愛着を持っていた。


 この日千紗はタスクの仕事が終わるのをアトリエで待った。そして夜はタスクの部屋でタスクと酒盛りだ。手元には酒と灰皿の他、千紗が買って来た土産が広げられている。


「あぁ、そう言えば。勝手にうちの名前作曲編曲に載せたやろ?」


 思い出したように言う千紗。咎めるような視線をタスクに向ける。


「まだ発売前だから載ってないよ。それに悪い話じゃないだろ?」

「そうやけど。一言言うてくれても良かったやん」

「嫌だった?」

「嫌やない」


 本音では千紗は嬉しかったのだ。タスクと一緒に名前が載ることが。


「編曲はともかく作曲は先生やろ?」

編曲アレンジしてる間にガラッとメロディーいじったじゃん。千紗がキーボードで引っ張ってくれて。あそこまでしたら千紗も作曲者でしょ」

「むー」

「金も入るしな」

「は?」

「半々で話しといたぞ。楽曲申請も千紗の名前入れといたし。ま、だから名前載るんだけど」

「あかんて!」


 焦ってタスクに詰め寄る千紗。タスクは千紗の表情に解せない様子だ。屋外から車の通過音やクラクションが響いてくるが、そんな喧騒は今のこの二人の耳には入らない。


「何が?」

「うちまだ先生にいろいろ教えてもろうとる勉強中の身や。半々なんておこがましいわ」

「そうは言っても相手の事務所にもうそういう風に言っちゃったし」

「今からでも変えよ? 七:三。いや、八:二でもええくらいやわ」

「千紗自分を過小評価しすぎ」

「してへんわ!」


 タスクの言うとおり千紗は自分を過小評価している。煙草の煙で充満され始めた室内で、タスクは目を瞬かせながらも千紗を諭すように言葉を続ける。


「知ってる? 俺と千紗が一緒に曲を作ったってもう話題になってて事務所にいろんなレーベルから問い合わせ来てんだぞ。業界内で評判が歩き回っちゃって。どれも二人が作った曲を提供してもらえるのか? って問い合わせだって」

「うそやん? だって完成してまだ一週間やん」

「さすがに音源は出回ってないと思うけど、曲聴いた人からの話はもう漏れてるよ。レーベル、作詞者、歌手、所属事務所、レコーディングの依頼を受けたスタジオミュージシャン。ずっと一人でやってきた俺がコンビで制作したのも話題になってるし」


 千紗の開いた口が塞がらない。タスクはこの時言わなかったが、デモ音源を聞いた業界関係者の間で千紗の歌唱力も評判になっていた。YURIAのレーベルからはスカウトしたいとまで言われた。しかし千紗は既にサバイバル芸能に所属し、ジャガーミュージックと専属契約を結んでいる。レーベルはスカウトを断念した。


「うおー!」


 千紗はそう叫ぶと両手の拳を突き上げ、目をぎゅっと閉じた。タスクはその様子を微笑ましく見ながら言った。


「何? どうしたの? 今あなたはどういう感情なの?」

「めっちゃ嬉しい」


 千紗はそう言って体をベッドに倒した。大好きなあのスタジオでタスクと作った曲が業界で評価されたのだ。これほど嬉しいことはない。


 そしてこの夜千紗は調子に乗って酒を飲んだ。タスクはベッドに潜り込まれたことがあるので、この日は千紗の自室に千紗を放り込んでから寝た。

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