楽曲~三人称~

楽曲 第一話

 これはタスクと千紗の恋物語である。この二人はお互いに惹かれ合っているのだ。しかし二人ともそれを認めない。もしかしたら自分の気持ちに気づいてさえいないのかもしれない。

 二人にはそれぞれ他に想う相手がいる。これこそが二人が結ばれない原因である。どちらもその相手とは文通で繋がっている。しかし身分を偽って文通をしている二人は手紙のやり取りをしている相手がタスクと千紗本人同士だとは気づいていない。


 タスクは大学を卒業して名古屋から、千紗は高校を卒業して大阪からこの春上京した。そして出会った。二人は部屋が隣同士でタスクが音楽プロデューサー、千紗がそのプロデュースを受けるアーティストという関係だ。

 二人とも文通相手に上京したことを言っていない。手紙を転送させて今住んでいる備糸市で文通を続けている。つまり出した手紙は名古屋と大阪をそれぞれ経由して隣の部屋に届いている。お互いに届く手紙にはこの春から「BIITO」の消印が押されている。もちろん二人は消印に気づいてはいない。


 二人が文通相手の正体に気づかない原因に拍車を掛けていることがある。千紗は故人である姉百花の名前で文通をしている。更に日本中にありふれた小林という姓。だからタスクは気づかない。

 千紗は河野翼を「かわの・つばさ」だと誤読している。正しくは「こうの・たすく」である。ではプロデューサーのタスクをどのように理解しているのかと言うと、まず活動名が「TASUKU」である。そして本名は知っているが漢字表記を知らない。せいぜいイメージしているのは「幸野タスク」か「甲野タスク」と言ったところだ。こういった不運も重なりこの状況を作っていた。


『千紗、お姉ちゃんはあんたの東京での活躍と恋の成就を天国から見守ってんで』


 ◇


「今日はフレンチトースト作ってみたで」


 朝、千紗は自分の部屋にタスクを呼ぶと言った。巷はゴールデンウィークを間近に控え活気がある。千紗もゴールデンウィーク中にはライブで日本中を回る予定だ。


 ガールズバンドハーレムのドラムを担当している千紗は、東京に出て来てからの最大の懸念事項であったドラムの個人練習が、タスクのプライベートスタジオを使わせてもらえることになり、生活に少しだけ余裕ができた。

 今や千紗のキーホルダーには三本の鍵がぶら下がっている。自分の部屋、タスクの部屋、タスクのプライベートスタジオがあるアトリエの鍵だ。千紗はよくこの三本の鍵を見つめては締まりのない表情をしている。


「うまっ」


 タスクは千紗が作ったフレンチトーストを一口食べると声を弾ませた。厚意で作ってもらっているのだからちゃんと相手が喜ぶ感想を言うように心掛けている。人間嫌いのタスクがこのように和かい感情を持てるのはこの千紗か親友の哲平だけだ。それに加えてバンドの元メンバーにはそれなりに心を開いている。千紗はタスクの感想に満足げな笑みを浮かべた。


「じゃーん」


 千紗はそう言ってタスクにスマートフォンの画面を見せた。それは大手サイトのシングルCDのチャートだ。


「うおっ、『疾走カーニバル』初登場二十九位じゃん」

「へへん」


 疾走カーニバルとは一週間前に発売されたハーレムのメジャーデビュー曲である。ボーカルの李奈が作詞をし、千紗が作曲をした。編曲アレンジはタスクだ。タスクはハーレムのプロデューサーである。


「それってサバハリのデビューの時よりもいいんじゃね?」

「モージマがそう言うてた。二年前のサバハリさんのデビューシングルは初登場三十八位やったらしいで」


 サバハリとはサバイバルハリケーンというバンドの愛称である。タスクはこの結果に喜んだ。サバハリデビュー当時と違い今やサバイバル芸能は大手レコード会社のジャガーミュージック傘下ではある。とは言えサバハリとハーレムのどちらも専属のレコード会社はジャガーミュージックなので条件に大差はない。

 タスクはサバハリの元メンバーでメジャーデビューと同時に脱退している。今では数曲楽曲を提供しているが、シングルCDの表題曲は提供したことがない。人には言わないがだからこそサバハリよりハーレムのデビュー曲の方に愛着があった。


「お祝いしなきゃな」

「だから今日の夜そのパーティーやん」

「え?」

「もう、またかいな。うち先生のグーグルカレンダーに書き込んどいたんやで。ちゃんと見ぃや」

「うそ?」


 口いっぱいにフレンチトーストを頬張っているタスクはきょとんとした顔をしていて、一方千紗はやや呆れ気味だ。


「ほんまや。モージマが店予約しとってチャートで圏内に入ったらお祝いやって。もし圏外やったら反省会やって。前に先生にも話したで」

「ごめん、ごめん」

「一緒に行こな?」


 パーティーは苦手だ。タスクは思った。ハーレムのパーティーだから気心知れたサバハリのメンバーはいないだろう。けど千紗が一緒なら何とかなるか。


「千紗の今日の仕事はいいの?」

「昼一でライブのリハや。時間あるから一回帰ってくんねん。先生はこの後アトリエで来客あるやろ? そのまま一日アトリエにおるん?」

「うん、そのつもり」

「ほなリハ終わったらアトリエ行くわ」

「わかった」


 千紗と一緒に動けることでタスクはパーティーに行く決心をした。


 そしてタスクも千紗もその日一日のスケジュールをこなし、やがて夜になった。タスクは千紗に連れられてパーティー会場のバーに入った。貸切りである。ハーレムのメンバーや事務所の関係者など十数人が出席している。社長の天野も出席していた。

 パーティーは開始すぐに盛り上がった。タスクはワインを片手にテーブルに着いているものの、なかなか話題に入れない。すると千紗がタスクに歩み寄り声を掛けた。周囲の人には聞こえない声量だ。


「うちもお酒飲みたい」

「そりゃダメだろ」

「煙草も吸いたい」

「もちろんそれもダメだろ」


 千紗は未成年なので事務所に酒と煙草の常習者であることを隠している。関係者で知っているのはタスクと哲平くらいだ。


「先生二次会行くん?」

「できれば遠慮したい」

「なら終わったら先生の部屋で二人で二次会せん? うちにも飲ませて。吸わせて」

「それならいいよ、そうしようか」

「いえい」


 千紗は満足げな笑みを浮かべてタスクのもとから去り、他の面々の席に加わった。


 やがて会も中ほどまで進むとタスクは疲れてしまいカウンター席に移っていた。一人でカクテルを飲んでいると隣の席に李奈が座った。


「先生飲んでます?」


 それは酒を飲んでいる人が飲んでなさそうな人に言うセリフだ。君は未成年だろ。飲ませてもらっていないだろ。タスクは心の中で李奈にツッコんだ。


「まぁ、それなりに」

「先生、千紗とはどうなんですか?」

「は?」

「千紗のことどう思うてるんかなって」


 ここにもいた。哲平のように千紗との仲を勘ぐる人間が。そんな関係ではないのに。これからこういう人間を哲平菌に感染したと表現しよう。タスクはそう思った。


「どうって可愛い教え子だよ」

「ふぅん。私は?」

「可愛い教え子」

「沙織は?」

「可愛い教え子」

「優奈は?」

「可愛い教え子」

「つまんない!」


 李奈は魅力的な膨れっ面になって席を離れた。何と言えばつまらなくなかったのだ。この後も代わる代わる隣の席に人が来るのでタスクはどっと疲れてしまった。


 何やら離れた場所では牛島と沙織が漫才じみた掛け合いをしている。うるさい。賑やかだ。沙織はあれでノンアルコールの素面なのか。

 その近くのテーブルでは優奈がいじられている。おっとりした性格の優奈は少し天然が入っていて標的にされやすい。


 やっとの思いでパーティーを全うしたタスクは千紗と一緒に自宅マンションに帰って来た。千紗は自室でシャワーを浴びメイクを落とすと部屋着姿でタスクの部屋に入った。


「パーティー楽しかったな」

「ハハハ……そうだな」


 乾いた笑みを浮かべるタスク。二人の間のローテーブルには栓を開けたワインボトルと二本のグラス、それから灰皿が置かれていた。パーティー会場でタスクがワインを飲んでいるのを見て千紗が飲みたいと言ったのだ。


「先生って前から思っててんけど、もしかしてあぁいうの苦手なん?」

「うん、まぁ……」

「ほな先に言うてくれれば途中で抜けたのに」

「千紗は今日主役なんだからそれはしちゃダメだろ」

「ほか、そうやな。けどお酒は好きなんやろ?」

「うん、そうだね」

「そんならうちが付きうたるからな。いつでも呼んでな」

「ありがとね」


 この後二人は仕事のスケジュールの話をして、音楽談議に花を咲かせた。更には共通の趣味、サッカー観戦の話題で盛り上がった。いつもどおりである。二人が東京に来て一カ月。二人の時間は生活の一部になりつつあった。


「焼酎のうなってしもた」

「半分も残ってなかったからね」


 二人はワインを空けると焼酎に切り替えていた。


「もう寝よ? つーか俺もう眠い。千紗もさっさと部屋戻って寝ろ」

「えー、まだ飲みたい」

「寝る。おやすみ」


 千紗の不満を無視してタスクはベッドに入った。その千紗は冷蔵庫から缶酎ハイを取り出し最後の一本にと飲み始めた。すっかり勝手知ったる他人の家である。

 やがて千紗が缶酎ハイを飲み終わる頃にはタスクは寝息をたてていた。


「ちょっとだけ」


 酔って開放感に包まれていた千紗はタスクのベッドに潜り込んだ。


「ほわぁ、ぬくい」


 千紗はちょっとのつもりがそのまま眠りに就いてしまった。翌朝タスクから散々説教をされたことは言うまでもない。

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