序曲~千紗~ 第二話
東京二日目。
私は東備糸駅の南口で人を待っていた。少し肌寒い。やはりコートを着てくれば良かっただろうか。今日は黒タイツにショートパンツ、上はフード付きパーカーという格好だ。ドラムを叩くため動きやすい格好にしたつもりだったのだが。
私はハーレムというバンドで活動をしているドラマーだ。ハーレムは同級生四人で組んだガールズバンドである。今待っているのは今回一緒に上京したそのメンバー三人だ。私たちは今年見事にメジャー契約を締結し来月四月発売のシングルCDでメジャーデビューを果たす。
間もなくすると私の待ち人三人が一緒に歩いてきた。三人とも厚着だ。やはり私は服の選択を間違えたようだ。
「千紗、おはよう」
「おはよう。三人一緒に来たん?」
「何言うてんの? 当たり前やん」
こう言ったのはリードギターの
「ん?」
「うちら三人同じマンションやで」
こちらはベースの
「は?」
「牛島さんからメール来たやろ? 同じマンションが三室しか取れへんかったって。うちらはオートロックやけど、千紗はオートロックやない。けどうちらよか駅に近いって」
こう説明してくれたのはギターボーカルの
ハーレムをぐいぐい引っ張ってくれるバンドのリーダーの彼女は、私の幼馴染であり親友でもある。女子力高め、絶世の美少女。中高生の時は何人もの男子が寄って来た。そしてとにかく歌がうまい。
「なんやそれ。オートロックの方が全然ええやん。事務所は所属アーティストの防犯考えてくれへんのか」
牛島め。あいつは何か私に恨みでもあるのか。
「なんかそれならちゃんと考えたから大丈夫や言うてたで。それが何なんかは聞いてへんけど」
「聞いとけやぁ……」
私もみんなと同じマンションが良かった。メンバー四人、一つ屋根の下で苦楽を共にしてこそ団結力が生まれるというものではないのか。私だけ仲間外れだ。泣きたくなる。
「昨日はごめんな」
優奈が顔の前で手を合わせて謝ってきたことで、私は昨日泣いた出来事を思い出した。
「ほんまや、大変やったんやで。右も左もわからんうちが東京に来た日に三人揃ってスパなんぞ行きよって。品川からマンションまで二時間半も掛かったわ。新幹線乗ってる時間と同じくらい掛かったわ」
「二時間半? 牛島さんから丁寧なメール来てたやろ?」
驚いて声を上げるのは李奈だ。その綺麗な声が無残にも上ずった。
「消えてしもた」
「はぁ……」
三人同時にため息を吐かれては立場がない。そもそも正確に言うと消えたのではなく怒りと勢いで意図的に消したのだが。
「電車乗り遅れる。行こ」
気を取り直した様子の李奈に促されて私達は駅の中へ歩いた。
やがて私たちは東備糸駅から電車と徒歩で三十分もかからずに四階建てのビルに着いた。ここは私たちが所属するサバイバル芸能の事務所ビルだ。一階の入り口の前で私たちに気づいて男が手を振っている。
「こっち、こっち」
この人が牛島さんだ。歳は三十代前半だと聞いたことがある。センター分けした髪型で淵眼鏡を掛けていて、ノーネクタイのスーツ姿だ。この牛島さんが私たちハーレムの担当マネージャーである。
「おはようございます」
牛島さんの前に立ち私たち四人は揃って挨拶をすると、牛島さんも「おはよう」と返してくれた。
「今からまず社長の所へ挨拶に行くから。今日は星野役員も見えてるからしっかり挨拶して」
牛島さんはそう言いながら私たちを建物の中に入れた。私たちをまず二階の事務所フロアに案内し、メンバー一同そこで働いている社員の人たちと挨拶を交わす。
次に事務所の奥の社長室に通された。そこにはバリバリのキャリアウーマンの女性と初老の男性がいたのだが、二人とも貫禄がある。
「おはようございます。改めまして、私が社長の天野です」
そう挨拶をしたのは女社長である
最初のスカウト文句はインディーズデビューだった。事務所が制作費用を出すのでインディーズで全国流通のCDを発売し、売れたらメジャーデビューしないかというものだった。
私たちはメジャー志向が強かった。趣味でやっていたバンドではない。これは李奈の思想の影響で、いつかメジャーデビューすることを目標に高校生の時に李奈主導のもとライブ活動をしていた。
最初は苦労が多かった。ライブハウスのチケットノルマはクリアできずいつもチケット代は持ち出し。ライブにお金が掛かるのでメンバーの親がざわつき出す始末。更には女と言うことで舐められ、特に李奈だが容姿が良いのでアイドルバンド扱いをされ。
悔しかったのでとにかく練習をした。そして作曲の勉強をした。私は技術と楽曲で認められたかった。
更に実力で有名になりたかった私たちにはバンドでの決まりごとができた。学校内でチケットの売り込みは絶対にしないこと。バンド活動は隠さなくてもいいが、生徒の方から欲しいと言って声を掛けてこない限りチケットは売らない。
私たちは駅前を中心に街頭に立ってチケットを売った。ネットに動画をアップし、ブログやツイッターで呼びかけチケットを売った。友達票はハーレムの美学に反していたのだ。
努力の甲斐あって私たちは徐々に大阪市内で認知度が上がっていった。高校三年の時にはチケットノルマもクリアできるようになってきて、そこで天野社長に声を掛けられたのだ。
私たちは天野社長のスカウトを受諾した。夏休みは大阪のスタジオに籠りレコーディングに励んで、事務所からもらった予算でなんとか六曲を録り終えると、秋にインディーズデビューを果たした。
枚数限定で発売した六曲入りミニアルバムを年内に売り切ったことで、念願のメジャー契約を果たした。メジャーデビューシングルは先月録り終えていて、今日はセカンドシングルの候補曲のデモ録りだ。
「私は非常勤役員の星野だ。君たちには期待している。頑張ってくれ」
そう挨拶をした
「それではスタジオに入りますので失礼します」
牛島さんが役員にそう言うと私たちは社長室を出された。
私たちが次に通されたのは四階のレコーディングスタジオだ。前室を通り、コントロール室に入った。
そこには二人の男がいた。一人は
もう一人はアシスタントエンジニアの
この日は候補曲のデモ録りなので一発録りでレコーディングをするとのこと。一発録りとはメンバーが一斉に演奏し歌った音源を録ることだ。
私たち四人はコントロール室とはガラスで区切られた演奏スタジオに入ったのだが、ここに入るのは初めてではなく、デビューシングルのレコーディング以来だ。その時私は一人で上京していた。全員で予定していたレコーディングの日程がお姉ちゃんの三回忌と被ってしまい、私だけ前もってレコーディングを済ませたのだ。
他の三人はその時のレコーディングで私たちのプロデューサーと会っているらしいが、私はまだ会っていない。プロデューサーは事務所の会社役員だとかそうじゃないとか。私のレコーディングの日はプロデューサーのスケジュールが合わずいなかったのだ。今日この後会えると聞いている。
ドスドス
バスドラを二回踏んでみる。
パンパン
スネアも二回叩いてみた。やっぱりドラムはいい。昨日は一日引っ越しでドラムを叩けなかった。一日練習をしなかっただけで三日は後退した気になる。いや、それは事実かもしれない。
実家にいた時は売り場の隅で毎日電子ドラムを叩いて練習していた。これからはどこで練習をしよう。1Kのマンションじゃ電子ドラムを置くこともできず持ってきていない。そう言えば引っ越しの準備が忙しく四人集まって音を合わせるのも久しぶりだ。うまくできるだろうか。
「久しぶりやな。みんなで合わせるの」
李奈がそう言うので私は心を読まれたのかと思ったのだが、その李奈の表情は硬い。無理に笑顔を作っているようだ。沙織と優奈も大差はないので、たぶん私もそうなのだろうと思う。みんな思っていることは同じなのだ。
「うまくできるかな」
「なるようになるやろ」
優奈が口にした不安を沙織が実に沙織らしい言葉で励ます。
『それじゃぁ一曲目いくよ』
スピーカーから吉村さんの声が響く。吉村さんと笠寺さんと牛島さんがコントロール室からこっちを見ている。私は手元にあったヘッドフォンを頭に被せた。コッコッコッとクリック音が流れているのは、コントロール室から発信している音で一曲目のテンポに設定されている。
窓の向こうで吉村さんが上に向けていた人差し指を勢いよく下し私たちに向けた。録音ボタンを押した合図だ。私は音が出ないように息を吐いた。そして4回カウントを打った。
シャン♪シャン♪シャン♪シャン♪
スタジオに入って三十分以上が経過した。私たちは四曲を録り終えたのだが、最初の一曲目で立て続けに二回失敗した時はどうなることかと思った。その後は順調で二曲目以降はすべて一発クリアしたものの、もちろんデモ録りなので商品になるだけのクオリティではない。それでもここまでやれていることにひとまず安堵する。
『それじゃぁこのまま最後の曲いこうか』
スピーカーから笠寺さんの声が響く。私はペットボトルの水を一口飲むと邪魔にならない場所に置き、再びヘッドフォンを頭に被せた。他のメンバーも準備ができているようだ。そして吉村さんの人差し指が私たちを向いた。私は4回カウントを打った。
私はこの五曲目が一番好きだ。「Step Up」という曲名である。ポップなメロディーにビートの効いたサウンド。東京に出てきた少女たちが日々成長する様を歌っている。作詞は李奈で作曲が私だ。ハーレムの作詞作曲は全曲このコンビである。
やがて最後の曲も中ほどまで進むとコントロール室に一人の男が入ってきたのが見えた。誰だろう。この後会う予定のプロデューサーだろうか。照明の光がガラスに反射していて顔が良く見えない。程なくして男は牛島さんとスタジオを出て行った。
五曲目も一発で録ることができた。私以外のメンバーは楽器本体やシールドコード、エフェクターなどを片付けているのだが、ドラムセットは基本的にスタジオ常備なので私は片付けがあまりない。自前はスネアとペダルだけだ。いつも最初に片付けが終わる。
『片付けたら荷物コントロール室に置いてっていいからミーティングルームに行ってくれ』
マイクを通した笠寺さんの声がレコーディングスタジオ内に響く。
私たちは片付けを終えてスタジオを出るとミーティングルームのドアを開けた。李奈を先頭に私は最後に入室した。
「え……」
「え……」
私は言葉を失った。なんとそこにいたのは名前を聞き忘れたお隣さんだった。
「あれ? 千紗ってタスク先生とは初対面やなかった? 面識あったん?」
「あ、いや、新幹線と部屋がお隣さんで……」
李奈が私に向かって聞いてくるのだが、今タスク先生と言ったか? 名前は聞いたことがある。TASUKUとは実力派バンドサバハリの元ベーシストでメディアに出たがらない覆面作曲家。私たちのプロデュースを引き受けてくれた先生だ。
若干唖然とする私に李奈が質問を続ける。
「部屋隣なん?」
「そう連絡したじゃん。――ね、先生?」
「え?」
牛島さんが先生に同意を求めたのだが、先生も狐に摘まれたような顔をしている。知らないのか? そうだ、知らないに決まっている。そうでなければ新幹線や、引っ越し挨拶の時の態度が説明できない。
「あれ、二人に事前に送ったメールに書いておいたんだけどな」
あの長文のメールだ。恐らく煙草の
――そや、煙草……しもた!――
「煙草の件、内緒にして下さい。スキャンダルになるって事務所から止められてるんです」
はっとなった私は先生に耳打ちをした。
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