序曲~翼~ 第六話

 十二時を過ぎるとメンバーとレコーディングエンジニアは交代で食事休憩を取ることになった。曲目や録り終えたパートの都合で僕は哲平と最初に休憩に入ることになったので安堵する。誰かと二人で過ごすに当たっては付き合いの長い哲平が一番安心感がある。

 休憩室になっているミーティングルームには事務所が用意してくれた弁当が人数分用意してあった。


「まだ文通続いてんの?」

「うん」


 弁当を開けながら哲平が僕に問い掛け、僕も弁当を開ける手を止めずに答えた。


「うおっ、今日は焼肉弁当じゃん。ラッキー」


 弁当の蓋を開けた哲平が歓声を上げたので、メニューを知って僕も心なしか気持ちが弾む。哲平は割り箸を割るとすぐさま弁当を突きはじめ、そして僕もそれに続いた。


「すげーな。俺には真似できんわ。もう二年だっけ?」


 肉と米を頬張りながら言う哲平の声色がいつもと違って聞こえる。


「うん。二年過ぎた」

「俺なら絶対すぐ携帯番号聞いちゃうわ」

「一回聞いたことあるんだけど。お互いの夢が叶うか、納得するまでやりきったらその時は一回会って、それで連絡先を交換しようって言われた」

「ふぅん。タスク惚れてんだろ? 顔も知らない文通相手に」

「うん」


 僕には文通相手がいる。そして僕はその相手に恐らく片思いをしている。自分が惚れている気持ちは間違いない。恐らくと言うのは相手の気持ちを知らないから片思いが恐らくという意味だ。


「文通だから住所はわかってんだろ? 会いに行こうとは思わないのか?」

「思わない。約束破るみたいで嫌だから」

「律儀だな」


 文通のきっかけは事務所の再建のために動いていた時だった。僕は大学二年の年明け、事務所が用意してくれた東京のマンションに一カ月ほど住んでいた。冬休み中に教授に無理を言って先に課題をもらい先行して提出した。そして東京にいる間は学校を休んだ。

 するとそのマンションに小林百花こばやし・ももかという女から手紙が届いたのだ。しかしそれは別人宛ての手紙で、恐らく僕が住む前に住んでいた人物だろう。


 百花の住所は封筒に記載されていたので僕は封を開けることなく手紙を送り返した。この部屋の住人はもう違いますという文章を添えて。

 すると百花から今度は僕宛てに手紙が届いた。内容は謝罪と封を開けずに送り返したことへの礼だった。


 その手紙が届いてすぐに僕は東京での事務所再建の仕事を終え名古屋の実家に帰ったが、続けて百花に返事を書いた。東京は都合上一時的にいたこと。今は名古屋にいることなど。すると百花からまた返事が来た。そして文通が始まった。


 百花はその年に大学に入学する予定の十八歳だった。今では大学三年だ。手紙のやり取りの中で大学では教育学科で勉強していること、女子サッカーのクラブチームに所属し日々試合やトレーニングに励んでいることなどを知った。

 なでしこリーグのクラブチームに移籍し、なでしこJAPANに入ることが目標らしい。更には女子ワールドカップで優勝することが夢らしい。大阪在住なので長居のスタジアムに行っては男女問わず代表戦や、Jリーグの試合をよく見ているとか。


 僕は夢や目標に向かって頑張っている彼女が眩しかった。そして惚れた。しかし自分の気持ちに気づいた時には引くに引けない嘘を吐いていた。その嘘とは僕が自分の身分を偽ったことだ。


 僕は文通開始当時活動名「TASUKU」ですでに有名になっていた。サバハリはメジャーデビュー前で名古屋だけでしか有名ではなかったし、その時はまだ楽曲提供の仕事はしていなかった。投資家の方は本名での活動だったが全国的な有名人にはならない。

 名前が売れていたのは小説家だ。もし百花が小説家TASUKUの存在を知っていた場合、文通相手がTASUKUだと知りミーハー感情で近づいてきたらと思うと拒否反応が出た。そこで僕は新年度になってから社会人一年目の建築士だと偽った。なぜ建築士にしたのかと言うと僕は大学で建築学科に通っていたからだ。


 ちなみに建築学科の大学生は多大な量の宿題をこなさなくてはならない。大学三年の時はそれこそ大変だった。執筆と投資に加えて作曲の仕事を始め、更には大学の宿題。それを必死でこなした。睡眠時間も満足に取れなかった。


 百花が眩しかった僕は百花に負けまいと夢や目標を掲げるようになった。もちろん偽りの自分の中で。一級建築士を取ることが目標で将来は独立して自分の事務所を持つことが夢だと語った。

 百花との文通では僕は実年齢よりも二歳多く年を取っていることになっている。名前は河野翼、本名だ。教えている住所は名古屋の実家のままである。東京に出て来て三週目だが転送願いを出していて、今では今住んでいるマンションに届く。


「現実の女はどうなんだよ?」

「文通の相手だって現実の女だぞ」


 哲平はすでに弁当を半分以上平らげていて、相変わらず食が早いなと思う。消化に悪いなどと下世話な心配までしてしまう。


「そうじゃなくて、現実に目に映る女って意味だよ。それこそさっきの子なんてどうよ? ハーレムの、えっと……」

「千紗のことか?」

「かな」

「千紗は俺がプロデュースしてるバンドのメンバーで部屋が隣同士なだけだよ」


 僕が自分のことを曝け出せるのはこの哲平しかいない。それこそ文通相手に惚れていることは哲平しか知らない。そもそも恥ずかしくてネット社会のこのご時世に文通をしていることを哲平にしか言っていない。


「部屋隣なの?」

「そうだよ」

「出来過ぎだな。それこそフィクションの鉄板じゃねぇか」

「二部屋とも事務所が手配したんだよ」

「なんだ、そういうことか」


 先ほど千紗との仲がいいことを指摘されて否定しなかったのも相手が哲平だからだ。恐らく哲平は人間嫌いの僕に対して千紗が手を振ったことが意外だと思ったのだろう。それは仲良くなるほど僕が千紗を受け入れていることを意味する。哲平のように付き合いが長くて信頼の置ける相手を人は親友と呼ぶのだろう。


 この日僕は午後のサバハリのレコーディングと僕が呼ばれたことに意味を感じない役員会議を経て……、いや、意味を感じなくてはいけない。筆頭株主なのだからこの芸能事務所の経営に直結する役員会議は重要だ。その重要な役員会議を経て僕はハーレムが練習する予定の三階のスタジオで彼女たちを待った。


 ハーレムのメンバーは開始時間の十分前には牛島に連れられてスタジオに現れた。数軒のCDショップを回り牛島は見るからに疲れていたのだが、一方ハーレムのメンバーは元気そうだ。さすが十代、若さだな。牛島は彼女たちをスタジオに入れるとそそくさと出て行った。


「よろしくお願いします」

「まずは『Step Up』通しでやってみて」


 僕は四人から挨拶を受けると指導を開始した。

 この曲は僕が東京に引っ越してきた翌日にレコーディングスタジオで一部聴いた曲だ。夢を追いかけるために東京に出てきた女の子たちが成長していく様を歌っている。僕の中ではこの曲でセカンドシングルは決まりだと思っている。


 今日までにセカンドシングルの候補曲は五曲すべてデモ音源で聴いてきた。その上でこの「Step Up」は詞も曲も問題ない。更には演奏スキルも。問題は編曲アレンジだ。それに伴って詞や曲の修正は少ししなくてはいけないかもしれないのだが。

 彼女たちは演奏の技術はあるもののバリエーションが少ないのだ。だからアレンジが一本調子になってしまう。


「もう一度」


 僕は一度終わった演奏を再びやるように指示をした。そして二度目の演奏が始まり、聴きながらアレンジのイメージを膨らませる。僕のメモを取る手が止まらない。


 二度目の演奏が終わると僕は椅子から立ち上がり四人にそれぞれイメージを伝えていく。時にはギターやベースを持って直接ギターのリフやベースラインを指示する。


 刻々と時間は進み、指導にも熱が入って来た。僕は演奏中にマイクを通して声を張る。


「優奈、そこ! そこで先週教えたオクターブ奏法」


 優奈は先週まではできなかったフレーズを僕の指示通りに弾くのでうまく弾けていると感心する。よほど練習したのだろう。


「千紗、今のとこ。そこのおかずでずれるんだよ! それじゃぁベースが引っ張れん。先週も言っただろう!」


 千紗は悔しそうな表情で演奏を続ける。


「ストップ、ストップ」


 僕は一度演奏を止めさせた。


「千紗もう一回やってみ」


 千紗は言われたとおりにドラムを叩く。他のメンバーは心配そうに千紗を見守る。


「だからそこだって!」

「わかってますよ!」


 千紗が声を張ると半ば自棄気味にドラムを叩いた。目を真っ赤にしている様は人前で泣くのが嫌のだろうか、悔しさを押し殺し、必死で涙を堪えているように見える。

 僕はベーシストなのでリズム隊の優奈と千紗には特に注文が増えてしまう。熱くなると融通が利かなくなり追い込むような指導をしてしまう。先週はそれで優奈を泣かせた。わかっているのだが音楽に対して妥協ができない僕は他にやり方を知らない。


 面と向かって本人たちには言わないが、このハーレムというバンドは曲作りもいいが、一番は李奈の力強い歌唱力と千紗の安定したドラムで成り立っている。事務所から彼女たちをスカウトしたからプロデュースをしてほしいと言われた時は当初断ろうかと思っていた。理由は単純に僕の人間嫌いだ。こんな僕に人の指導なんて務まるはずがない。

 しかし試しに手に取った彼女たちのインディーズCDを聴いて考えが変わった。とにかく李奈の歌声に惚れたのだ。更に千紗のリズムの安定感からメジャーアーティストとして恥ずかしくない演奏が構成できると思った。だからプロデュースを引き受けた。もちろん沙織や優奈、それに李奈の演奏のスキルが低いわけではない。ただ僕は期待するものが大きいからこそ彼女たちへ求めるものも大きくなる。


 何度も叩かせるうちに千紗の躓いた箇所の演奏がスムーズになってきた。言っておいて何だが、今千紗が叩いているフレーズは高難度だ。十代のドラマーでここまで叩ける奏者を僕は知らない。と言うかその前に、十代のドラマーを千紗以外知らない。


 練習後、千紗が僕のもとへ来た。


「先生のアトリエってスタジオあるんやろ?」


 おいおい、敬語。目にいっぱい涙を溜めてよほど悔しかったのだろう。他のメンバーがいることも忘れて話し方が家と一緒だ。


「うん」

「うち今日そこで練習したらあかん? このままじゃみんなに置いていかれる」


 いや、千紗の演奏技術はみんなの一歩先を行っているのだが。千紗のドラムがハーレムの演奏の安定を支えている。人を素直に褒める時の言葉がわからない僕がもどかしい。


「先生私からもお願いします」


 口を挟んできたのは片付けを終えた李奈で、その綺麗な顔で千紗の心配をいっぱいに表現している。


「私ら弦楽器の三人は家庭用アンプとヘッドフォン使つこうて家で練習できるけど、千紗は家のマンションで個人練習できひんから楽器店のスタジオ入って練習してるんです。私らはエフェクターとか消耗品とかお金掛かるけど、スティックぐらいしか買うもんがない千紗が実はスタジオ代で一番お金使つこうてるんです」


 この時李奈から聞くまで千紗が楽器店の個人スタジオに入って練習をしていることを僕は知らなかった。とは言え僕は李奈が口を挟まなくても断るつもりはなかったのだが。


「いいよ」

「けどうちあんまお金も持ってないねん。電気代とか掛かってんねやろ」

「金は取らないから気にするな」

「ええの?」

「うん」


 彼女たちはメジャーデビューしたばかりで芸能人としてまだまだこれからだ。事務所から少ない育成援助金をもらって生活をしている。彼女たちから金を取ろうなんて考えは最初はなからない。

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