第8話 デューン
「こっちだ。たぶん、医務室だよ」
セインが先に立ってセラを導いた。
村の集会所や食堂も兼ねている大広間から中庭を抜け、村長の執務室の脇を抜けたところが医療室だった。
たしかに、そこのベッドに横たわっているのはあの流れ着いた白人の子供である。心配そうにのぞき込んでいるのは、村の顔役数名と、村長、長老だ。
「村長、長老……お薬、持ってきました」
セラが声を掛けると、ベッドの周りに集まっていた村人たちは一斉にこちらを向いた。
「おお……待っていたぞセラ。早くそれを……」
しかし、手を伸ばしてきた長老から、何かイヤなものを感じてセラは後退った。
「どうしたのだ……? 長老に秘薬をお渡ししなさい」
いつになく優しい声で歩み寄ってくる村長からも、いつもとは違う空気を感じる。
セラは強く頭を振って、更に後退った。
胸がムカムカする。吐き気をもよおすようなこの波動は……先ほどその白人の子供から感じさせられたものとそっくりだ。
だが、それが今は、目の前にいる村人たちから感じられるのはどういうわけなのか、セラには全く理解できずにいた。
その時。
「わ……渡すな!! こいつらはもう、操られているんだ!!」
叫びとともに響いたのは、空気を叩くような乾いた銃声であった。
しかし、村人達はまるで恐れる様子もなく音のした方を一斉に向くと、わらわらと白人の子供を取り囲んだ。自分の体を盾にして守ろうというのだ。
医療室の向こう、仕切られた壁の奥にある裏口の方から現れたのは、米軍の戦闘服を着た男だった。
焼け焦げた戦闘服を着たその兵士は、自動小銃を腰だめに構え、再び空に向かって発砲したが、村長を始めとして誰一人怯える様子は無く、その場を動こうともしない。
「ちっ……まだ生き残りがいたか……」
呟いた村長の顔が、見たこともないほど邪悪に歪んでいる。
その顔を見て激高したのか、兵士は大声で怒りを叩きつけた。
「よくも罠に嵌めてくれたなシュライン!! その子供が貴様の本体か!?」
「誰? あなた、村長じゃない!!」
セラは、秘薬の瓶を強く抱き締めた。状況は全く分からない。だが、この秘薬は決して渡してはいけない気がしたのだ。
セインが茫然とした表情のまま、セラを押しのけ、庇うようにして前に出る。
「父さん……? どうしたんだよいったい……セラ……父さんじゃないって……どういうことだ!?」
「分からない!! でも…村長だけじゃない。ここの人達はみんなおかしいよ!! 誰か、違う人の心が入っている!!」
「ふん……巫女の家系は、生体電磁波の受信能力が強いとは予想していたが、これほどとはね。まったく思考波を発さないように、気をつけていたのに」
村長が苦々しげに言い放ち、セラを見据えた。その表情は、見たこともないほど傲慢で、いつも柔和な村長からは想像も出来ない。そして、不思議なことにその声は甲高く、まるで少年か女性のように思えた。
「こんなところで手間取ってなんかいられないんだ。早くその秘薬を寄越しなよ」
村長の言葉と同時に、数人の村人が動き出した。こちらに向かってくるその目には焦点が合っておらず、両手を前に突き出したままで、足取りもおかしい。
しかし、幽鬼さながらのその姿に脅えてセラが目をつぶった次の瞬間。村人たちは何かに弾き飛ばされた。
「逃げるぞ君達!!」
叫んだのは、米兵だ。
村人達の注意が完全にセラ達に向いたのを見計らって、突っ込んできたのだ。数十メートルの距離をほんの数秒で駆け抜けた米兵は両腕を広げ、セラ、セイン、モコを一気に抱え上げた。
そして、そのまま建物を飛び出すと、密林の中へと駆け込んでいった。
「す……すごい……力持ちなんだね」
モコが、間の抜けた感想を言ったのは、しんと静まりかえった密林の中の小さな広場に落ち着いてからだった。
米軍兵は、照れくさそうに栗色の髪を右手でかき混ぜながらそっぽを向く。
「こう見えても、俺はプロ資格も持ってるアメリカンフットボウラーなんだよ。まだスタープレイヤーってほどじゃないがな」
「た……助けてくれてありがとう……」
アメフトの選手と言われても、セラには何のことかさっぱり分からなかったが、とにかく深く頭を下げて礼を言った。
しかし、自分の家族が不気味に操られてしまっていたセインにとってはそれどころではない。切羽詰まった様子で米兵にすがりついた。
「そんなことより……村は……父さんたちは一体どうしたんです? 何かに操られてるって……助かるんですよね?」
少しでも事情を知っていそうなのは彼しかいないのだ。なんとか情報を聞き出し、村の人々を助けるしかない。
だが米軍兵は、途端に頼りなさげな表情になって頭を振った。
「……分からん。実は俺も、状況をすべて把握しているワケじゃないんだ。作戦前に可能性として聞かされていただけで……今んとこ分かっているのは、日本近海で海底研究所を壊滅させたのは、アイツ……シュラインていう白人の子供らしい。巨獣の意識を乗っ取ったって話だったんだが……Gって巨獣、見なかったか?」
「……巨獣? G? 何ですそれ?」
「そりゃあれだ。地上最凶、最悪の巨大生物だ。知らないのか……ってまあそうか、ヤツが暴れていた時期には、お前らまだ生まれてねえわな。俺も
米軍兵は一つ大きくため息をつくと、はにかむように笑った。
その笑顔が思いのほか子供っぽく見え、セラは初めてその青年兵が、自分たちとそう幾つも違わない事に気づいた。
「兵隊さん。これからどうします?」
「兵隊さんって呼ぶな。俺の名はデューンだ。デューン=フィメア。問題は、さっきのヤツ……シュラインの態度だよ。なんでその変なビンの中身を欲しがっているか……だが……」
「あのバケモノ、シュライン……っていうの?」
「バケモノではあるが……人間らしいぜ? 一応な」
三人は顔を見合わせた。
どうにもよく分からない。こんなモノが欲しいということは、どこか怪我でもしているのだろうか? それとも病気か? 何にしても村を壊滅に追いやるほどの怪物が、そんなことで困っているようには思えなかった。
「もう他に兵隊さんは残ってないの?」
「倉庫に閉じ込められて火をつけられたんだ。部隊で逃げ出せたのは俺だけだった……無線連絡が付かないところをみると、ヘリポートの留守番もやられたんだろう。皆殺しにされたか、取り込まれたか……」
デューンはあっさりと言い切ったが、白くなるほど握った拳が、心の裡に閉じ込めた激しい怒りを示していた。
「その……取り込む……って? いったい何なんですか? それで父さんたちも……?」
「細菌と同化した自分の細胞を植え付ける……まあ、簡単に言えば病気だな。アイツは、他の生き物を病気にして、その意識を乗っ取れるようにしちまうってことらしい」
「じゃあ……その病気が治れば、父さんや村のみんなも、元に戻れるんですね?」
「ん……まあ、そういうことになるのかな……??」
デューンは頼りなさげに首をひねったが、それを聞いて、セインは俄然元気になってきた。
右手の拳を強く握り、無意識のガッツポーズまでしている。そうだ。ほんの今朝までこの島は、平和な生活の満ちた空間だったのだ。それを、こんなに簡単に壊されてたまるものか。そう思っていた。
「……にしても妙だな。なんだってアイツは追ってこないんだ?」
デューンは首を傾げた。
シュラインは何人もの村人を操って、追ってくるだろうと覚悟していたのだ。
「もしかしたら、諦めたのかも…………」
その時。
村長のあの甲高い声が、村中に響き渡った。
大音量のため割れたその声は、小さな島の隅々にまで届いているようだ。どうやら津波などの災害時に使われる、緊急スピーカーを使っているらしい。
『聞こえるかい、子供たち……見ての通り、君達の家族はここにいる。助けたければ、一緒にいる米軍兵を縛り上げて出ておいで。そして秘薬を僕に渡すんだ。そうすれば、これからも平和な暮らしを約束しよう』
「くそっ……なんてヤツだ!!」
デューンは歯噛みをして地面を殴りつけた。
堅い土の地面が、拳の形にへこむ。
「どうしよう?」
「今は、ヤツの言う通りにするしかないな」
「で……でも……」
「心配すんな。子供の力でどれだけ強く縛ったって、俺なら簡単に引きちぎれる」
デューンは腕を曲げて筋肉を示した。
「それに、こっちにも切り札が無くもないんだ……」
「切り札?」
「今は言えない。ぬか喜びさせると悪いからな。今は、ヤツの指示通りに動いて、反撃のチャンスをつかもう」
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