第7話 タンガ
“危険…………危険…………コノ波動ハ…………危険…………村カラ離レヨ…………”
繰り返し発せられ続けている
森の中でセラが受信したのは、その単調な機械信号のような思考波であった。
火山島であるこの島の火口は活火山で、常に蒸気を上げている。思考波の発信源は、その火口であった。
火口の中はかなりの高温で、地面には草木一本も生えていない。
常に高濃度の硫化水素ガスが漂っているこの火口内に踏み込もうと考える島の人間は、誰もいなかった。また外部からの観測者や研究者もここ十年以上、誰も火口付近へは立ち入っていなかったのだ。
その火口内の崖下。
オーバーハングした岩盤に隠されるようにして、不思議な形状のモノが眠っていた。
長径三十メートル強、短径十メートル程度。
滑らかな楕円球状のそれは、一見して人工物のようにも見えたが、その物体を固定する細い糸状のモノの乱雑さがいかにも生物的である。そしてその糸は、もし火山灰が付着していなかったら見えなかったのではないかと思うほど細くて透明だった。
物体の上部には分厚く火山灰が滞積していたが、下側は透明感のある薄いグリーンであり、どうやらそれがその物体本来の色合いであるらしい。
人の近寄らないこの場所に、十年も眠り続けるこの物体……それこそが、タンガと呼ばれる、昆虫型巨獣の繭であった。
タンガは代々、巫女の家に伝わる秘薬によって生み出される昆虫型巨獣だ。
秘薬の正体は、旧文明の栄えた大陸でアンブロシアと呼ばれていた植物の果汁を発酵させたものである。
この秘薬には『生物間親和力』というものを高める作用があった。
個体で言えば、傷口や病巣の細胞分裂を促進し、治癒力を高める作用がある。さらに、他個体からの移植など、体外からの異物に対する拒絶反応を抑制する。もし異物が細菌やウイルス、プリオンなどの病原体であった場合には、その生命活動を取り込み、動きを無くしてしまうのだ。
その一時的な共生状態を、後にこの秘薬を世に知らしめた鍵倉源博士は『折り合いを付ける』と表現した。
だが、秘薬の本来の効果はその程度である。
昆虫がどうしてそんなもので巨大化するのか。
それは昆虫や陸上甲殻類に特有の事情、『細胞内共生細菌』によるものだった。
ボルバキア属の細胞内共生細菌は、普通の病原体やウイルスなどと違い、細胞の中に潜む。その姿は、あたかも細胞構造の一部のようであり、一見して見分けがつかない。
だが、彼らは自分の寄生した宿主を生き残らせるため、あるいは子孫を残しやすくするため、DNAをいじって宿主の行動パターンやサイズ、性別までをも変えてしまうことが知られている。
秘薬によって、細胞内共生状態からほぼ完全な融合へと関係性を変えたボルバアは、宿主を自分自身と見なすようになる。そして種ではなく、自分自身を生き延びさせることに戦略をシフトさせるのだ。その結果として、宿主である生物はバイオマスを極限まで肥大化させ、巨獣化するのである。
この秘薬の原料となるアンブロシアは、地球上でもこの島にしか残っていなかった。
十年前。
巨獣大戦の生き残りであった
セラ達の住むこのサンゴル島に上陸したのは、ほんの気まぐれに過ぎなかったのだろう。
だが撃退できるだけの戦力のないこの狭い島を気に入ったのか、アリマサグはこの近海を住処に定め、島に襲来しては、破壊の限りを尽くすようになった。
島民達は為す術もなく殺されていったが、委託統治しているアメリカは当時、巨獣退治のための軍を出し渋った。
忘れ去られたような小さな島。自国領でもなく、同盟国でもない。
しかも、他国が侵略してきたならともかく、巨獣はある意味自然災害に近い。そういったものへの対応は自己責任だと考える世論が、当時は主流であった。
また生活圏が水辺に限られ、これといった特殊能力も無いアリマサグは危険度で言えばDクラスである。Dクラスの巨獣に対処するのは、軍ではなく地元警察組織という国際ルールもあった。
しかも、もし出撃したとしても、水中の巨獣と戦うには潜水艦やそれに準ずる機能を持つ機動兵器を投入しなくてはならないが、隠棲傾向の強いアリマサグには容易に遭遇できない。高いコストを払って軍を派遣したところで、無駄になるかも知れないのだ。
結局、いくら救援を求めても米軍は来なかった。国際組織である国連巨獣管理機構、通称MCMOへの提訴も行われなかった。アリマサグの脅威は島民自身で防がなければならなかったのだ。
当時巫女であったセラの祖母は、巨大ながらもまだ幼虫であったタンガを生体電磁波で操り、上陸してきたアリマサグと戦った。
しかし、タンガは巨大とはいえただの芋虫に過ぎない。
強靱な甲殻をまとったアリマサグとまともに格闘すれば、あっという間に引き千切られてしまう。ゆえに祖母とタンガのとった戦法は、体内で合成されたホルモン様物質で、相手を制御することだった。
まず、忌避物質で村や自分から敵を遠ざけ、甲殻類に効く揮発性の毒を発して動きを鈍らせた。そして誘引物質で火口へ誘い込み、高熱水の滾る火口湖の一つへ突き落としたのであった。
だが、最後の一押しのために接近し、体当たりを敢行したタンガは反撃を受けて大きく傷ついた。
体液を流して力尽き、動きを止めたタンガを、島の人々は死んだと判断してその場で祀り、その周辺一帯を不入の地としたのであった。
しかし、タンガは死んではいなかった。
動きを止めてから数ヶ月後、人知れず繭を形成し、蛹化していたのだ。タンガは、生物種としては『ハグルマヤママユ』という蛾の一種である。
本来であれば、蛹化後数ヶ月を経て成虫となって飛び立つ。だが、秘薬によって巨大化することで、その生命サイクルは大きく狂わされていた。羽化の準備は出来ていたにもかかわらず、何かのきっかけを待つかのように生命活動を止めていたのだ。
あれから十年。タンガは繭の姿のまま、ひっそりとそこにあり続けていた。
異常な強さと邪悪さを持つ生体電磁波を感知し、島と巫女の子孫、セラに危機が迫っていることを確信するまで。
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