番外編 A Beginning - 2

エルナとリーゼを引き離そう。このままでは、エルナが無茶をしてしまう。

 そう理性では納得していても、感情は納得しない。あんなにも仲の良い二人を、どうやって引き裂けというのか。一刻を争うというのに決断できず、グレゴールは頭を抱えた。

「……リーゼ?」

 見張りの交代で彼が防壁にあがれば、何故かそこにいた小さな人影は、グレゴールを見るなりにこりと笑う。

 彼女は一人だった。いつも一緒だったエルナの姿は、見えない。

「リーゼ、こんなところで何を……。エルナは?」

「いっちゃった」

「行っちゃった?」

 問い返せば彼女は少しだけ寂しそうにうんと頷く。

「君を置いて?」

「うん」

「どこに?」

「あっち」

 言いながら彼女が指差したのは街の外。しかも、よりにもよって森の方角である。

「エルナが、森に?」

「うん」

 信じきれずに確認すれば肯定され、グレゴールの顔は青ざめた。

 エルナのことだ。一人で行ってしまったに違いない。魔物の襲来や天災により街を放棄することとなった時の為に、防壁には抜け道が何本も設けられている。恐らく、彼女はそれを使ったのだろう。

「風使い、風使いはいるかっ」

 いつ出ていったのかは分からないが、風に精通し、高速移動できる者ならば今からでも追いつけるかもしれないと、彼は声を張り上げた。

 すぐに顔を出したのは、一人の若手。グレゴールが彼に状況を軽く説明すれば、彼はすぐさま飛び立った。

 他に何か打てる手がないだろうかと考えていれば、ふと別の疑問が湧き出てくる。

「どころでリーゼ。あの子はなんで森なんかに行ったんだい?」

「いっぱいいるの」

 ――カミが。


 風使いはすぐに一人で戻ってきた。彼の表情は芳しくなく、その事実にグレゴールは更に表情を険しくする。

「どうした? エルナは?」

「森の方角に行ったんすけど……怖いっすね。森に近づくにつれて魔法の制御が不安定になって、いつ制御を失うんだろって、そんなんばっかで……」

 ぎりっと彼が歯を噛み締めるのが見えた。

 見捨てたくて見捨てたのではなく、見捨てざるを得なかった状況。それは、どんなに悔しいことだろう。

「やっぱもう一回……」

「いや、いい。リーゼがあそこにはカミが沢山いるのだと言っていてな、お前は正しい判断をしたよ。深追いするのは逆に――危険だ」

「ちょっと待ってくださいよ、それって、見捨てるってことですか!? エルナを!?」

「違う!」

 苛立ちに声を荒げれば、彼は口をつぐむ。エルナを連れ戻す良い方法が見つからずに焦っているのは、グレゴールも同じだと気付いたのだ。

「……魔物化されるのが、一番困るんだ。気持ちは分かる。だが今は自分の身の安全を優先させてくれ。今は――堪えてくれ」

 黙り込んでしまった二人の横で、リーゼが「かねのおと」と小さく呟く。

 二人が耳をすませば、微かに甲高い音が風にのって聞こえてくる。その音に、目の前が暗くなる。

「この音って、まさか……」

 それは近隣の街にて、魔物の襲来を告げる音だった。


 数日後、アロイス・ローレンツと名乗る男から、小さな小包が届いた。

 ばりばりと包装紙を破けば、出てきたのは女の子が好みそうな、可愛らしい小さな手帳。開けば、見覚えのある字が几帳面に並んでいた。表紙の裏には、ご丁寧に住所まで書かれ、送ってくれた彼はそれを手がかりにしたのだろうと思われる。

 それには、エルナが森を歩いていた時の様子が事細かに記録されていた。

 すごく平和だったこと。甘い香りが漂っていたこと。その香りの元は白い花をつけた樹だったこと。

 途中で休憩しようと思って、手近にあったその樹を使って火をたいたこと。苦手な火魔法だったにも関わらず、なぜかいつもよりも火力が強かったこと。それは樹が増幅したのかもしれないという考察。

 この樹を持っていれば、リーゼは安全に過ごせるのかな、という疑問と期待を抱いて、彼女はボタンを作る。

 満足した彼女はそこで帰ろうと思ったらしい。けれど――ふと好奇心が芽生えてしまった。魔法を増幅するこの環境で、一番得意な水魔法を使ったらどうなるのか、と。

 そこで、メモは終わっていたが、そこから先は大方何があったのか想像がつく。水魔法を試し、暴走させた。そして彼女は魔物化してしまい、辿り着いた街で魔物として葬られたに違いない。

 ノートに同封されていた手紙には、アロイス率いる魔導士たちも苦戦したこと、もし彼女が成長したらどんな魔導士に育っていたのか見られないのが残念だと悔やむ旨が書かれていた。

『尚、「彼女」を退けたのは初めて実戦に参加したエベルハルト・フィードラー、ユリアーン・ブラントミュラーの二名。ユリアーンは今後魔法の研究に参加する意向で、もし貴殿に教授を乞うことがあれば、その時はよろしく頼みます』

 それは頼み事のようで――

「……敵わないな、これは」

 ――死んだ人間よりも生きているものを気にかけてやれ、という言葉だった。

 軽く息を吐いて包装紙をぐしゃぐしゃと丸めれば、何か固い手応えがある。グレゴールがそれを開きなおせば、そこにあったのは小さいながらも模様を彫り込まれたボタン。

 ほのかに甘い香りがして、ようやく合点がいく。それが、リーゼの為だけに作られたお守りであることに。




 五年後。どういう風の吹き回しか、アロイスから受け取ったのは手紙ではなく召喚状だった。

 数日前にリーゼの姿が見えなくなり、もしやと森の方まで探しにいった時は既に遅く、彼らは再びあの鐘の音を絶望の中に聞くこととなった。

「そちらの街では、水使いにどんな教育をしているのかね」

 にこやかに痛いところを抉られてグレゴールは苦笑する。教育方針でなく彼女らが突っ走っただけなのだが、保護者としての責任があることは否めない。

「お宅の二人の実戦経験を積むお役には立てたでしょう」

「損害の方が大きかった気もするがね」

 言われて見回せば、ちらほらと怪我をしている魔法使いたちの姿がある。だが水使いが火傷なぞさせるわけもないから、恐らく一番大きな被害をもたらしたのは、彼女ではなく彼らだったのだろうが。

「退けたのは前回と同じ二人で?」

「前回の二人を含めた四人だ。まぁ、前回と同じ二人がどうやら指揮を取ったようだがね」

 そう言って彼が示した先には、何が楽しいのか笑い転げている青年二人の姿があった。

 数年前に経験した初めての実践で現実を叩きつけられたであろう二人。そんな彼らは、どこまでも明るかった。

「そちらの水使い程ではないが、あれらもよく無茶をする。どうにもならないやんちゃ坊主だよ。まぁ、礼を言うなら彼らに言ってくれ。前回の子のことを気に病み、一人は魔物化しかけ、それでも尚今回の子の魔物化を解こうとし、実際に解いてしまったんだ。

 無茶で無謀でも、実行力と実力において彼らの右に出る者はいないだろう」

「過大評価ではなく?」

「そちらの水使いを過小評価するのか。そちらの街にはどれだけ精鋭が揃っているんだね」

 アロイスは大げさに頭を抱えみせる。グレゴールが弁解する間もなく、別の魔導士に呼ばれた彼は「失礼」と一言言い残して立ち去った。

 その場に残されたグレゴールは、眠るように目を閉じている少女を見遣る。

 リーゼロッテ・シェルマン。

 カミと言葉を交わしていた、水使いの少女。

 止めるまでもなくエルナの後を追い――追わなくていい所まで追いかけてしまった彼女。

 恐らく森に行った彼女には、エルナを奪った自然に対する敵意があったのだ。そしてそれをカミは見逃さなかった。

 外套についていたボタンをグレゴールは無造作に外す。

 もう彼女には必要ない。それを、もっと必要としている者に与えた所で、彼女たちは怒らないであろう。まして彼は、彼女をヒトに戻してくれた恩人でもあるのだから。

「そこの君。君が、ユリアーン?」

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