A Large Step - 2
「エベル」
静かに名を呼ばれ、はっとしたように彼は「彼女」に目を向けた。
「彼女」の使う水魔法は、周囲にいる「彼ら」が媒介・増幅し、ヒトでは難しいとされる威力を簡単に出している。「彼ら」を引き離すことができれば、「彼女」の魔法は脅威ではなくなるだろう。
だが、「彼ら」はまるで「彼女」を守護するかのように、「彼女」から離れようとしない。
――否、一瞬だけ、退いた。
「炎だ、ユリ! 奴ら、炎を避けてるっ」
「炎、ですか」
ユリは何気なくヴィルを見遣り、見られたヴィルは驚愕に言葉を失った。
「……無理だろう」
「無理ですか」
値踏みするようにヴィルを見るジークと、冷静に状況判断をしているユリの二人。
落ち着きを取りもどしたヴィルは聞いてもらえないだろうとは思いながらも、叫ぶ。自己主張するのは、タダだろう。
「ちょっと待てっ、無理に決まってるだろ!? 俺の魔法はエベルみたいに強くねぇ。まともにぶつけたら、俺のが負けるぞ」
「それは困るな」
「だろう?」
ジークが認めると、ほら見ろと言わんばかりにヴィルは誇らしげにユリを見た。
「そんなことを誇られても困るんですが……さて、どうしますかね。サポートくらいなら出来ますけど」
「いや、サポート程度じゃなんともならねぇ」
そうですよね、とユリは頷いた。
サポートとは、別の誰かが魔法と使い易い状況を作り出すことだ――例えサポートがついたとしても、実際に魔法を行使するヒトの力量を超える魔法は使えない。
「なぁ、あの枝なら、増幅できるんじゃね?」
「! 取ってきます!」
呟いたエベルに弾かれるようにしてユリは防壁を駆け下りた。
彼が言ったのは森から取ってきた枝のこと。確かにあの枝は一度、ユリの魔法を増幅し、エベルの言う「彼ら」を退けたことがある。
白い花をつけた細い枝を手に走って戻ってきた彼は、息も整えずにびしりとその枝をヴィルに押し付けた。
「サポートは、します。やってください」
「いや、サポートは自分が」
壁に寄りかかって座っていたジークが立ち上がる。
常日頃から行動を共にしている二人だ。サポートするのなら、慣れた人間の方がいいに決まっている。「ありがとうございます」とユリは半歩後ろに下がった。
ユリから押し付けられた枝を黙ったまま見つめること数秒、諦めたようにヴィルはそれを構えた。
「炎 烈火炎上 前方」
繰り出された炎は些か強さを増して「少女」を囲む。が、それもつかの間のことで、すぐに炎の勢いは弱まった。
「おされる、おされる……!」
ヴィルの叫びに、加勢すべくユリも構えるが、炎を使うか風を使うか、それとも水で相手方を抑えるか、で逡巡する。こんな、咄嗟の判断を迫られる時に複数の元素に精通していることは、不利だ。
「その程度で負けてんじゃねーっ。風……っ!!」
響き渡ったエベルの声に、風が吹き抜ける。彼の意思に従えられたそれは、一気に前線まで辿り着き、ヴィルの炎を煽るように「彼女」の周囲を回った。
「エベル」
ユリが小さく彼の名を呼べば、彼はにやりと笑ってみせる。
「エベル。勝算は?」
「もうひと押しっ」
「了解しました」
今度は躊躇わず、ユリはヴィルの持つ枝に手をそえた。そして宣言する。
「炎 烈火炎上 前方……!」
彼の声に後押しされるように、炎は更に燃え上がり――
――炎の合間に見えた「少女」は四人を見上げると、すっと力が抜けたように崩れ落ちた。
「まったく、君たちは無茶をする」
「説教なら聞きたくねぇぞ、アロイス」
結局あの後、ヴィルとユリの起こした炎は暴走し、前衛で戦っていたアロイスや他の魔導士たちを巻き込んだ。巻き込んだ、とはいっても軽い火傷を負ったくらいで、彼らが乱入しなければもっと悲惨な結末を向かえていたことは明白だった。
だから、アロイスの声に彼らを責める響きはない。
「いいだろ、別に。俺らが無茶したからって、誰が損したわけでもねぇし」
「自分など振り回せばいい。そう言ったのはあなたでしょう、アロイスさん」
「君までそんなことを言うのかね、ユリ君」
諦めたようにアロイスは肩を竦め、「好きにしなさい」と言ってどこかに行ってしまった。
無茶ばかりを繰り返す彼らに何を言っても無駄だと思ったのか、それともこれが彼らに対する信頼の表れなのか――なんとなくユリには前者な気がして、思わず笑みを零した。
横にいたエベルも、ユリにつられて笑い出す。
笑い声が二つ、「魔物」の「撤退」と共に乾き始めた空気の中を響き渡る。
「……あんがとな、ユリ」
「一体いつ『戻られた』んですか、あなたは」
「いつだっていいだろ? アレだって、俺なわけだし」
それもそうですね、と同意を返してユリはまた笑う。
「な……お前、さすがに笑いすぎだろっ!?」
「笑うのって、健康にいいらしいですよ?」
「関係ねぇだろ、それ!?」
あの時――防壁の上でエベルが風魔法を行使した時。エベルの意思は戻ってきていた。
あの時エベルの意思が戻らず、ユリが以前叩き込んだ「エベル」の意思であったのなら、彼はまず「エベル」を止めなければならなかっただろう。エベルを元にしたとはいえ、「エベル」はあくまで偽りの人格でしかない。それが自然の意思に挑もうなどというのも、無謀な話でしかない。
でも、彼は彼だった。自然の意識にその身体を明け渡し、戻ってこれなくなった彼の意識。それが最終的には自然の意思も、偽の人格も、跳ね除けたのだ。
「そういやあいつ、どうなんの?」
「彼女は、森を抜けた先にある街の出身だそうで、そこの方々が引き取りにこられると言ってました」
数年前の少女は二度と動き出すことのないようにと火葬された。だが、今回は状況が違い、遺体は土葬されることであろう――彼女はヒトとして埋葬されるのだ。
「そこの君。君が、ユリアーン?」
声のした方を振り向けば、アロイスに似た雰囲気の、けれど細身で身長の高い男がいた。
見かけない顔の彼は、恐らく、彼女を引き取りに来た人。
「はい。ユリで構いませんよ。あなたは?」
「グレゴール、といえば分かるかね?」
「あぁ、あの時はお世話になりました。まだお礼の手紙を出せていなくて……お恥ずかしい限りです」
グレゴールと名乗った彼は、ユリがあの樹について問い合わせた内の一人で、彼が一番最後に返事を受け取った人だ。
「今回のことのお礼、という訳でもないけれど、ユリ君。これは、君が」
押し付けるように渡されたそれは、木で作られたボタンであった。小さいながら細やかな装飾を施されたそれは、余程大切な人に向けて手作りされたものに違いない。
「……これは?」
覗き込んでくるエベルに見せながら、ユリはグレゴールに問う。
「あの子のだよ。あの子が懐いていた子が、あの子の為にって作ったものさ。作った本人も帰ってこないから確かめる術はない。ただ確実なことはね、ユリ君」
――それが、あの樹から作られたってことさ。
絶句してしまったユリに優しく微笑みかけて、グレゴールは去っていく。
手元に残されたのは「少女」が「少女」を守るために作った、「お守り」。
誰と断言された訳でもないのに、彼の脳裏には数年前の「少女」がちらついて――
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