魔導士は科学を夢見る - 7
防壁から東側を見れば、やはり青々とした森が広がっている。何も変わることなく、何も分からないままの現状に、ユリは溜息をついた。
「ユリ」
呼びかけられて顔を上げれば、そこにいたのはジークとアロイスの二人だ。
「君がエベル君と一緒でないとは、何があったんだね」
「今日はヴィルがついているので大丈夫ですよ」
エベルは「回復」しきっていない――彼の意識が戻ってから、彼には必ず誰か一人ついていた。それは大概ユリであるのだが、たまにこうしてヴィルが代わってやるのだ。
「大丈夫だと言うわりに、憂鬱そうな表情をしているね、君は」
「まだ心配か?」
「まだも何も……『彼』の意識が戻っていないことに変わりはないんです。心配というよりもそれが心苦しい」
「何を思って君はそれを言い切るんだね」
突っ込まれてどう説明しようかと思いを巡らせて、ユリは再び溜息をつく。
防壁の反対側にはヴィルと、今話題に登っているエベルがいる。エベルを良く知らないものが見たのなら、彼はいつも通りだと言うだろう。
「いつもなら彼の言動は僕の予想から斜めにズレるんですよ。それが、ない。どころか……たまに過去と全く同じ言動をするだなんて、普段のエベルからは考えられません」
「それは褒めているのかね」
「冗談。何で僕がエベルなんかを褒めないといけないんですか」
大真面目な顔をして言い放たれては、苦笑するしかない。フォローを入れるべきかどうかを悩んだ挙句、ジークはでも、と口を開いた。
「確かに今の彼の行動は、パターン化している」
「それは認めるよ。今の彼になら、私でも勝てそうだ」
そう。エベルの強みは突拍子もない攻撃だった。
それがなくなってしまった今、いかに彼に魔法が強いと言えど、彼を撃破する方法などいくらでも考えられよう。
「街の防御に人手が足りないのであれば、早急に次の手を考えますけど」
「焦ったところで良い手が思いつくわけでもないだろう。今の彼は害にはなっていないからね、暫くあのままで構わない」
はい、とユリが頷くのを見ると、アロイスは歩き去る。
恐らく、エベル本人とも話しにいくのであろう――彼の決定を覆すような発言をエベルがしないといいが、とユリは不安になるが、今は彼を信じるしかない。
「過去ではなく、今を」
ユリの辛そうな表情を見ていたジークはぽつりと呟き、防壁に肘をついて寄りかかる。彼が見据えるのは、青々とした森。
「悩むのなら、これからを。……魔導士で、あり続けるんだろう?
自分は理論はほとんど知らない。趣味で学ぶことはあるかもしれないが、それを研究しようとは思わない。だから、ユリがなにを知ろうとしているのか、やろうとしているのか、自分には良く分からない。彼のあの状態が異常なのか、普通なのか、それもよく分からない。
でも君は、彼の魔物化を食い止めた。それは評価されるべきだし、そのことについては自信を持つべきだ」
言われた言葉を口の中で反芻し、ユリは何度か小さく頷いた。
彼がジークを見やれば、無言で問いかけられる。何を求めるのか、と。
「答えを。魔法とは、何であるのか。ソレは誰もが使えるものなのか。誰もが安心して使うことのできる力になり得るのかを」
「君の質問への答えは、誰も持たない。けれど、君の志を支援するものは多いだろう――彼らに、君は応えられるのか?」
「応えられるられないは、結果論に過ぎません。唯一僕にできるのは、応えようとすることだけです」
ユリの答えに、それで今は十分、とジークは微笑んで頷くが、だけど、と彼は真顔になって続けた。
「本当にそれはイイコトなのだろうか。皆が魔法を使える、という状況は理想なのだろうか」
「……!」
答えられずに黙り込んでしまったユリの答を彼は暫く待っていたが、今のユリに答えられないことを悟ると、何も言わずに一人防壁を降りてしまった。
残されたユリはジークが去っていった方向を見つめ、ひとり唇を噛み締めた。
やはり自分にはどうすることも出来ないのか――鬱々と考え始める彼の耳に、ヴィルとエベルの掛け合う声が微かに届いた。上の空で彼らの声を聞きながらも、楽しそうだなと彼は思う。エベルが「寝込んで」いた間は決して聞かれることのなかった、明るい声だとも。
今回の一件では、魔法を行使することの危険性を改めて突きつけられた。
今や魔法はなくてはならない力。自分を、大切な人を、守るのに欠かせない。何故ならソレは、ヒトにヒト以上の力を与えるから。だが代わりに、いとも簡単にヒトとしての生を奪っていく。
けれどソレを使わなければ、ヒトは今以上に無力で――結局のところ、ヒトはその諸刃の剣を使いこなすしかないのだ。
「……そう、ですよね」
自分の中で答えの出たユリは、壁に寄りかかって目を閉じる。
魔法とはそもそものソレ自体が危険なモノ。ユリは研究者としてソレを安全なものにしようとしているだけで、ソレ自体の危険性が変わるわけではない。だから「研究者」としては、開発した技術が悪用されないことを願うだけなのだ。
ジークとは立場が違うことを、失念していた。悪用されることだけを恐れて、技術さえあれば救える人々を見捨てるとは滑稽で――逆に笑えてくる。
エベルがあの時森で何を見ていたのか、ユリには分からないし、森に行ってきた成果だって、ほとんどないと言い切っても過言ではないだろう。
だけれども、少し進展した。その事実こそが、真実を追い求める者としては重要なのだ。
確実に安全で良い未来が待っているという保証はどこにもない。それでも「過去ではなく今」を見据えて歩を進めていくしかないのだ。
「ユリ、何やってんだよそんな所で」
「あぁ、ちょっと人生の儚さを考えていました」
顔を上げれば、怪訝な顔をしているエベルと目が合った。
「……お前、頭大丈夫か? 滅多に外に出ないから腐ったんじゃね? っていうかお前、魔法使い辞めて哲学者にでもなる?」
「なりませんよ。滅多に使わない方向に頭を使ったので、疲れただけです。……エベルこそ、たまには頭を使ったらどうですか?」
「やめとく。あんまし考えすぎると咄嗟の判断力が鈍るし」
「……確かに。じゃあ僕もこれ以上考えないほうがいいんでしょうね」
神妙な面持ちでユリが頷けば、エベルの顔が強張った。
「本当に大丈夫かよ、今日はさっさと休んだ方がいいんじゃねぇか?」
「エベル。僕のことを何だと思っているんですか。というか、僕があなたの意見に純粋に賛同したらいけないんですか」
呆れたように言えば、そういうわけじゃ、とエベルが口ごもる。
いいですけどね、とユリは立ち上がり――森の方をもう一度だけ見遣る。静かで穏やかそうに見えるソレは、決してヒトとは相容れないのだろう。
「エベル。森には、行ってみたいと思いますか?」
「んー、お前の研究の話? まぁ、興味はあるけど……必要ないんじゃねぇかな。だってお前の研究って、魔法が何であるかだろ? だったらお前の研究対象はここにあるし。そんな遠くまで行かなくたっていいじゃん」
予期していなかったエベルの回答に、思わずユリは唖然とする。もしかしたら「彼」の意識が戻りつつあるのかもしれない――ならば今は、あの「花」を。そしていつかは辿り着こうではないか。エベルを襲った「何か」の正体に。
「ありがとうございます。参考になりました」
「あんま考えすぎんなよ」
ひらひらと手を振る彼に笑顔を返して防壁を降りようとしたユリを、どこか湿った風が撫ぜる。
――風向きが、変わった。
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