魔導士は科学を夢見る - 6
手紙の最後の文章を書いたユリは、ぱらぱらと紙の捲れる音に顔を上げる。難しい顔をして本を見ているのはエベル。一体何がやりたいのだろうと思って観察していれば、エベルは手に持ったその本を本棚へと乱暴に押し戻した。
「何やってるんですか」
「お前あんなんよく読んでられるよな」
「じゃあ僕も言ってみましょう。あなたこそよくあんな所に毎日立ってられますよね」
あんな所、とは防壁の上のことだ。日を遮るものも、風を遮るものもないあの場所は、ユリにとってはあまり行きたくない場所だった。
「てか、お前もたまには外と空気吸わねぇと、気が滅入るんじゃないのか?」
「いえいえ、外の空気を運んで来てくださる方がいらっしゃるので大丈夫ですよ」
にこやかにユリが返せば、「お前段々アロイスに似てきたよなぁ」とぼやきが返ってくる。
覚えのあるやりとりに、ユリは思わずため息をついた。
「何でそこでため息つくんだよ、お前は。ホントに滅入ってる?」
心配そうに顔を覗き込まれ、大丈夫ですよと彼は笑顔を返す。そうか? とエベルは首を傾げるものの、それ以上追求しようとはしなかった。
手紙に署名を入れようとペンを取るが、何となく躊躇ってそのままペンを置く。
「そうですね、今の会話で気が滅入ったようです。外、行きましょうか」
「いいのかよ、手紙。あと、自分の名前入れるだけだろ?」
「いいんですよ。今なら自分の名前も間違えそうで」
笑って返し、ユリは立ち上がる。と同時にノックされ、彼の返事を待つことなく扉は開かれた。
「おーいエベル、そろそろ交代」
「ん、今行く」
「ここが誰の部屋か、ご存知ですか?」
「エベルがいつもここにいる方が悪い」
「俺のせいかよっ」
エベルに突っかかられたヴィルは、さらりと笑って流す。「それにしても」と彼はユリの部屋を見回した。
「まだあるのかよ、この花。甘ったるい香りが染み付いて抜けなくなるぞ?」
「それは……ご忠告どうも」
指摘されてユリは苦く笑う。
街に戻ってきてから十日ほど経つ――もう香りも抜けた頃かと思っていたが、まだだったらしい。小さな白い花は確かに、枝から落ちることなく今も咲き誇っていた。
「甘い香りって、何の話だよ」
きょとんとした顔でエベルが問いかけ、え? と聞き返す。
「香り、分からないんですか?」
「そんな香りしてるか?」
問い返せば逆に問い返された。エベルが冗談を言っているようにも思えず、ユリは僅かに顔を顰める。
「ずっとこの部屋にいるから感覚が麻痺してるだけだろ。外の空気吸いに行くぞ。ほら、ユリも来い」
「あ、はい」
引きずられるようにして部屋を後にする前に、彼は一度だけ振り返る。
白い花を一面につけた枝が、笑うように淡く光を放った――ような気が、した。
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