ソウ・ワット

第一話

 皆が待つ防音室までの廊下を思案に暮れながら歩く。泥沼に足を踏み入れたように足が重い。


 原因は先ほどまで行われていた新フェスの代表者会議にある。


 本番まで二週間ということで、本番のタイムスケジュールが配られた。俺たちの演奏順はトリを務める、吹奏楽部サクソフォーン四重奏の前。自分たちの前に置き印象を薄くしようという、姑息な考えが明白だ。しかし、それだけではなかった。


 与えられた持ち時間が他のバンドに比べて短かったのだ。


 他の団体は転換込みの40分なのに対して、俺たちだけ転換込みの20分しか与えられていなかった。もちろん異議を唱えたが向島の息がかかった、運営委員は聴く耳を持ってくれず、会議は終わってしまった。


 まさかこんな嫌がらせをしてくるとは。直訴したところで無駄だろう。与えられた時間で精一杯やるしかない。


 しかし問題はそれを皆にどう説明するかだった。


 カノンは怒り狂って殴り込みに行きかねない。もしそうなれば、鈴葉は止めるどころか同調するだろう。


 防音室から聞こえてくるバスドラムの音が胃に直接響く。


「意外と早かったね。もう終わったんだ」


 防音室の前で頭を抱えていると鈴葉が顔を出した。


「あ、うん。終わった」


 心の準備が整わぬまま防音室に入る。


「順番は?」

「吹奏楽部の前。それと……」

「それと?」

「持ち時間がなんだけど」

「どうせ、私たちだけ減らされたんでしょ」


 どう切り出すか迷っていると、静観していたカノンが口をはさんだ。


「そうなんだ。この通り」


 会議で渡されたタイムテーブルを渡す。


「露骨にしてきたわね」


 やはりそういう反応だよな。


「本当にごめん。何とかしてくれるように掛け合ったんだけど」

「別にヒロが謝ることじゃないわよ。これくらいのことはしてくるだろうと思ってたし」

「カノンちゃんの言う通りだよ。それに私たちはすぐ息切れしちゃうから、短い方が逆に良かったかもよ」

「流星の如く華やかに」


 皆のフォローが逆に心苦しい。

 メンバーが集まって数日。俺は自分の役割について考えていた。


 今から死に物狂いで練習したとしても実力の差が埋まることはない。もちろんそれを言い訳にして練習を怠ることはしない。それほど皆との実力には大きな差があるということだ。ならば演奏以外のことで、貢献できるようにならなくては。そう思って後方支援をしっかりしようとしたのに、それもこんな調子だ。


「20分だと三曲が限度だね」

「そうね。テーマは私が取るわ」

「ちょっと待って。私だってテーマ取りたい」

「わかった。じゃあ一曲だけ」


 俺が心配したようなことは起きず、カノンと鈴葉は選曲や構成について話し始める。

 こうやって少しずつ仲良くなってくれれば、カノンの周りに張られたバリアは無くなっていくのかもしれない。


「えーずるい。カノンちゃん二曲取るのずるい」

「ギターはコード弾いてればいいのよ」

「その言い方、ギターを軽視してる」

「してない」


 あれ? 仲良くなってるんだよね。なんだか不穏な空気が漂ってきている。


「まあトランペットはコード弾けないもんね」

「いま馬鹿にしたでしょ」

「してないよ」

「した」

「してない」


 カノンはいつもだが、鈴葉が珍しくむきになっている。


「二人とも喧嘩は」

「喧嘩じゃないから」

「ヒロは黙ってて」


 仲良く二人そろって聴く耳を持ってくれない。

 梅雨が終わり、初夏の陽気熱気を帯び始めた気温のように、二人は白熱しつつあった。


「だったらベースがテーマ弾くとかは」

「「は?」」


 これはやばい。怒りの矛先がこちらに向いたのを肌で感じた。思わず身震いしてしまう。


「見栄を張りたいのはわかるけど、私たちが恥かくだけだから」

「ヒロくんはまず、ソロに起承転結を付けるところから始めて」

「それと手癖も直して。あれじゃ弾いてるこっちも退屈する」

「癖をつけるならもう少し複雑なのにした方がいいと思うよ。あれだと素人っぽいし」

「はい……ごめんなさい」


 一石を投じようと、小石を投げたら大砲を打ち返された気分。喧嘩しているわりにいい連携だった。

 前回のライブの反省を活かして、ベースがテーマの曲を練習していることは言わないでおこう。

 それにしてもひどい言われようだな。自分でも未熟なのはわかっているが、俺の演奏はそこまで言われなければならい程なのだろうか。

 うなだれる俺の肩を戸神が軽くたたく。

 後は任せとけみたいな表情だ。


「トランペットの方が栄える。テーマの鬱憤はソロで晴らすべき」

「「……」」

「それと、コードがあるからテーマが安定する」


 白熱した討論が、戸神の冷静な判断によって鎮火する。


「あきちゃんの言う通りだね」

「ちょっと言い方がわるかったわよ……ごめん」


 さすがリズム隊の要。上ものたちの扱いをよく心得ている。とか感心している場合ではないよな。俺は全然役に立てていない。

 話し合いが着々と進んでいく中で、俺だけが話に入れず、外側から眺めていることしか出来なかった。


 その後、曲が決まり新フェスに向けて練習が開始された。初日の練習は単純な音合わせ、処々の課題を見つけて個人で仕上げてくる。ロックバンドと違って、一瞬一瞬の音楽であるジャズは個人練習に重きが置かれる。今日も早めに切り上げて個人で練習ということになった。


「カノンちゃんさすがだよ。直すところがない」


 俺たちの家がある最寄り駅についても、鈴葉は興奮が治まる様子はなく、飛び跳ねるように歩いていた。


「鈴葉も十分に凄いと思うぞ」

「でもカノンちゃんには負けてた」


「それより、二人でいったい何分ソロを回す気なんだよ。あれじゃ三曲も出来ないぞ」


 練習でも二人は容赦なく、音でソロの殴り合いをしているようだった。二人とも楽しそうで結構なのだが、持ち時間を考えてほしい。


「だって、カノンちゃん誘ったら乗ってくるし引き下がらないから」

「プロなんだし当たり前だろう」


 本来なら雲の上の存在なんだ。それがつい先日まで、ギターとベースの区別もつかなかった俺なんかと一緒に演奏をしている。贅沢な話だ。


「わかってるよ。つい対抗しちゃって」

「対抗するのも良いが、俺たちを置いていくなよ」

「はーい。気をつけます」


 このまま順調にいけば、向島の驚いた顔を見ることができるだろう。

 だが、イベントの時には感じなかった違和感が、溶けきらなかった砂糖のように底に溜まっている。

 

 カノンの演奏は完璧すぎる気がして付け入る隙がない。


 完璧すぎて詰まらないとか、感情がないとか、そういうことじゃない。鈴葉の言うとおり完璧な演奏は、こちらを魅了したり、興奮させたりする。

 しかし、その付け入る隙のなさがカノンを遠くに感じさせている。まるで過去の偉大な演奏家がカノンの音に乗り移ったような。

 本来は遠い存在なのだから、そう感じることは自然なのだろう。

 トランペットを吹いている時のカノンは以前のように辛そうには吹かない。真剣に真摯に音楽に向き合っているように見える。それが不満だというわけではないが、俺はもっと自由に吹いてほしい。そう思っているのは俺だけで、的外れな要求なのだろう。


「も~、抑えられない。今すぐ弾きたい!」


 鈴葉は余計なことを考える俺を置き去りにして、横断歩道を渡ってしまう。点滅をしていた信号は意地悪く色を赤に変えた。

 以前にも似たようなことがあった。あの頃から俺は変わっているだろうか。


「ヒロくん私の家まで勝負だよ」

「え?」


 向こう側で鈴葉が叫ぶ。


「負けた方は30分耐久ソロだから。ちなみにつまんなかったらやり直し!」


 止める間もなく鈴葉は走りだす。

 30分もソロなんて耐えられない。



 勝負に負けた俺は30分耐久ソロをやらされることになった。不意打ちを食らったとはいえ、元運動部が負けるなんて。

 帰宅すると背負ったベースを降ろすことも忘れて、ベッドに飛び込む。

 耳の奥にこびりついたコード進行が耳鳴りのように鳴っている。

 プライドをボロボロにされた俺を、鈴葉は容赦なく追い打ちをかけた。

 あまりも引き出しが少ない俺のベースソロに何度も駄目出しをし、二時間くらい弾かせ続けた。時代錯誤のスパルタ訓練だが、本人は無意識にしているから、更にたちが悪い。


「忘れないうちに、聴くか」


 ベッドから立ち上がり、ベースを置くとポケットからスマホを取り出す。

 音質にこだわらなければ、レコーダーを買わなくてもこれで録音出来てしまうのだから、いい時代に生まれたものだ。

 ベッドに仰向けになり、イヤホンをしっかり耳に嵌めると再生を押す。

 勢いよく飛び出したベースソロは、勢いのままオタマジャクシを詰め込む。休符なんて微塵も考えていない。

 このベースを弾いている奴は勢いだけで何とかしようとうしているな。俺だけど。

 自分の声を録音して聞いた時のような気持ち悪さが耳から全身に伝わる。

 しばらく聴いていると同じようなフレーズが何度か繰り返される。少し巻き戻してもう一度聴く。


「なるほど。これが手癖か」


 昼間に鈴葉とカノンに手癖について指摘されたときは、なにが手癖かわかっていなかった。しかし、今ならはっきりとわかる。

 今度は防音室で録音した演奏を流す。


「うわ~」


 思わず、嘆きのため息が漏れ、枕に顔をうずめた。自分の癖がわかってしまうとこんなにも恥ずかしいのか。

 恥ずかしに耐えかねて、停止ボタンを押そうとした時、スマホがけたたましく震えた。

 カノンからの着信だ。以前、連絡先を聞いていなくて困ったことがあったので、聞いたのだが、さっそく、しかしも向こうからかけてくるなんて思わなかった。何かあったのだろうか。


「もしもし」

『あ、あのさ。私、カノン、だけど……』

「わかってる。登録してあるから」

『うん……』


 もちろん用があってかけてきたんだろうけど、いくら待ってもカノンは話しだそうとしない。小動物のような息遣いが耳をくすぐる。


「何かあったのか?」

『あの、えっと……』


 話題を探している。もしかして特に用なんてないのか。

 息をのむような気配を感じる。どうもカノンの様子がおかしい。


「どうかした?」

『どう……だった……』


 一瞬、何を言っているのかわからなかったが、すぐに今日の演奏のことを言っているのだと理解した。


「俺ってやっぱり下手だな。手癖とか素人丸出し」

『それだけ? 他に気になるところは?』


 やけに食いつくな。そんなに求められても音源を聴く限り、俺が演奏中に感じた違和感はない。やっぱり気の所為だったのだろう。


「特にないかな」

『そう……』


 リアクションが薄い。どんな罵詈雑言を浴びせられるのかと身構えていたのに。もう少し笑い飛ばすなり、貶すなり……してほしいわけじゃないけど。


『ねえ、ヒロはどうして音楽を始めようと思ったの?』

「え? それはカノンと心が弾んで、踊って、昂る、演奏がしたいと」

『は、恥ずかしいことさらっと言わないで!』


 耳元で叫ばれキーンとなる。顔を真っ赤にして怒るカノンが想像できた。


『目的を聞いてるんじゃないの。きっかけを聞いてるの』


 それはあの日に見た、カノンの表情を思い出す。


「音楽の楽しさを伝えたい人がいるから」


 カノンは俺たちと演奏している時は、悲しみに凍り付いた表情を見せない。


「始めることに抵抗はあった。俺はずっと水泳しかしてこなかったし。だけど、俺に音楽の楽しさを教えてくれた人が言ってたんだ。伝えることに上手い下手は関係ないって」

『その人て?』

「昔に偶然出会った人。名前は聞いてないし、顔も今じゃ曖昧だけど、その人もトランペットを吹いてた。カノンみたいに金色の髪をしてたな」


 その人は今頃、何処で何をしているのだろう。もしかしたらプロの演奏者として活躍しているかもしれない。いつか再会する機会があったらちゃんとお礼を言わなくては。


「ところで、カノンはどうしてトランペットを始めたの?」


 今度はこちらが聞き返す。以前にも同じような質問をしたが、その時は答えてくれなかった。


『私は……』


 少し戸惑ったように間が空き、電話越しから小さなため息が聞こえた。


「話したくないなら、無理に話さなくていいから」


 沈黙の重さに耐えかねて先に口を開いてしまった。


『うん。ありがとう』


 初めてカノンからお礼を言われた気がする。

 本来、お礼を言われる場面じゃない。


『今日の演奏楽しかった?』

「え……それは」

『正直に答えて』


 急な話題変更に戸惑ったが、これ以上、重たい雰囲気にされても困るので、ふられた話題に乗ることにした。


「ん~、ライブの時に比べると、それには及ばないかな。観客がいないから、グルーヴが作れているのかわかりづらいっているのもあるけど」

『一人前ぶって、なまいき』

「正直に言えって言っただろう」


 黙ってしまう。気に障ることを言っただろうか。


『私……頑張るね』


 突然の頑張る宣言。先ほどのお礼といい、なんだか、いつものカノンじゃないみたいだ。


「カノンは完璧なんだから、これ以上なにを頑張るんだ?」

『本当に完璧?』


 今日はいったいどうしたのだろう。

 まさか、カノンも俺と同じように違和感や距離を感じているのだろうか。だとしてもどう伝えればいい。適切な言葉が思い浮かばない。

 多種多様な言葉が浮かんでは消え、金魚のように口をパクパクさせてしまう。


「完璧だよ。鈴葉だって舌巻いてたし」


 結局、伝えないことにした。曖昧なそれを伝えても、変に惑わせてしまうだけだ。


「それにこれ以上頑張られたら、俺の下手なベースが浮いちゃうよ」

『だから何? ヒロは十分に浮いてるから』

「はい。精進します」

『まず、小節を小節と捉え過ぎなのよ。曲全体を見て。各コードでラインがぶつ切りになるから浮いてるようになるの。それと少しのミストーンは構わないんだけど、もとの音に戻すならわからないように戻して。ヒロのじゃ、あからさまに間違えましたって言ってるようなものだから。ねえ、聞いてる?』

「聞いてます」


 さっきまでの自信のないカノンは嘘だったかのように捲し立てる。どっちが本当のカノンか知らないけれど、俺はこっちの方が一緒にいて落ち着く。


『いまため息ついたでしょ。せっかく私がダメなところ指摘してあげてるのに、どういう神経してるのよ』

「ため息なんてついてないよ」

『ついた。無意識にやってるの? それとも記憶力がないの? 単細胞なの? 単細胞よね。これって決めたらピストルみたいに飛んでっちゃうし。それから――』


 自分の語彙力をフル活用して罵るカノンの言葉を聞き流しながら、これで良かったのだと言い聞かせる。


 嘘をついたことの罪悪感なんてなかった。そもそも嘘をついたという感覚すらなかった。

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