第三話

「ありがとうございましたー」


 練習ができない俺たちは以前に誘われた駅前のイベントを手伝うことにした。

 駅前の広場にあふれる、人、人、人。

 普段はあまり人が多くない駅前がこんなに人であふれるとは。

 駅前広場の中心には特設ステージが設けられていた。

 ステージの左右には神社の狛犬のようにスピーカーが堂々と鎮座し、雨除け用の屋根に本格的な照明まで着いている。

 今は地元中学の吹奏楽部が優美かつ軽快な演奏で、お昼の時間を彩っていた。


「すみません焼きそば一つ」

「はい。ただいま!」


 イベントの手伝いと聞いて、てっきりステージの裏方をやるのかと、多少は期待に胸を膨らませていた。

 しかし、当日来てみれば俺たち与えられた仕事は、ステージから少し離れた仮設テントで朝からひたすら鉄板で焼きそばを焼くこと。

 はっきり言って騙された。楽器店がイベントの手伝いをすると聞いたら誰だって裏方をすると思うに違いない。そんな心理をついてあの人は面倒な模擬店の運営を俺たちに押し付けたのだ。


「ヒロくん。ぼーっとしてると焦げちゃうよ」

「あ、うん。ごめん」


 鉄板の上に広げられた麺を千切れないように優しくほぐしていく。

 まあ、物は考えようだ。夕方から始まるバンド演奏に裏方をしていたら聴くに聴けない状態になるのは間違いない。そんな状況を回避するための店長なりの配慮なのだろう。そう思うことにした。そう思わないとやってられない。


「いろいろ巻き込んでごめんな」

「別に平気だよ。イベントには来るつもりだったから」


 あれから一週間とちょっと、カノンの言いつけどおりベースを弾くことはしていない。

 そもそもベースはカノンが持っているので弾くことはできない。

 だからといって俺は何もせず、無為に一週間を過ごしていたわけじゃない。

 弾かなくても演奏の練習はできる。鈴葉から借りた大量のCDをウォークマンに入れて、授業中以外は常にジャズを聴くようにした。まさにジャズに浸かる毎日を過ごし、各々のミュージシャンの癖、アプローチ、ベースソロの構成にいたるまで、頭に叩き込んだ。

 そんなことをカノンに言えば、脳筋と言われるだろうが、そのおかげでソロやウォーキングのレパートリーが増えた気がする。

 まだ実際に弾いたわけではないので、何とも言えないが、頭の中ではソロのレパートリーが幾つか出来上がっている。

 指の方も皮の下に溜まっていた水が抜けて、より一層固い皮を形成していた。そろそろ弾いても良い頃だと思う。

 いつになったらカノンは俺のベースを返しに来るのだろう。

 連絡先を聞いておくべきだった。店長なら知っているかもしれない


「お昼になるし、これからがピークだね。頑張らないと」

「そうだな」


 ベースのことは置いといて、俺たちは大きな問題を抱えていた。

 俺は麺が保管されている業務用クーラーボックスの中を見る。中には見ただけで辟易してしまうほどの麺が敷き詰められていた。

 俺と戸神で焼きそばを作り、鈴葉が売り子。役割分担は出来ている。更に戸神はヘッドホンを付けて、焼きそばを作る機械と化している為、仕事効率は俺の二倍くらいはある。


 だがしかし。


「さすがにこれは無理だと思う」

「わたし二度と焼きそばは食べないかもしれない」


 黙々と作業をしていた戸神がぼそっと呟く。


「麺に罪はない。悪いのは店長だ。で、その店長はどこに?」

「ステージでトラブルだってさ」

「逃げたな。あの野郎……」


 注文個数を間違えたのは自分だというのに、それをボランティアの俺たちに押し付けるとは。


「麺の割合を増やすのは?」

「すでにやってるが、容器がでかくならないと限界がある」


 概算でも予定の倍、人が来ないと麺はなくならない。一個の麺を多くするのにも容器に限度がある。だとしたら売る数を倍にするしか……


「いっそのことタダで配るか」

「そんなことしたら店長が黙ってないよ。ぼったくりのチャンスだって言ってたし」

「それは大声で言わない方がいいぞ」


 隣のテントでお好み焼きを焼いているムキムキのおっさんがドスの利いた視線でこちらを見ている。


「ヒロくん、すごく良いこと思いついたよ」

「良いこと? って、おい」

 鈴葉は臆することなく隣のテントに向かっていく。

「失礼します。ちょっとご相談があります」

 鈴葉の言葉に耳を貸したおっさんの表情が朗らにゆるむ。

「よし! 乗った! 早速準備すんぞ!」

 あっさり交渉成立。

 というわけで、ろくでなし店長への反撃が開始された。



「広島風お好み焼きはいかかですかー」


 鈴葉の案は隣でお好み焼きを焼いている筋骨隆々のゴリマッチョおじしさんこと、トシさんとの共闘だった。

 品書きに広島風お好み焼きを追加して、売れた時の取り分はすべて向こう側。

 集客率はアップ、焼きそばの消費量も増加、さらに取り分は8:2で、8がトシさん側。赤字にならないぎりぎりのライン。これで店長への復讐もできる。

 無事にお昼のピークを乗り越え、テント裏の簡易ベンチでトシさんと一緒に一息つく。


「ありがとうございました。無理な提案に乗っていただいて」

「いいってことよ! おめぇらが困ってることは見てりゃわかったしよ。それにあんなに可愛い娘のお願いを断るなんざぁ、俺にはできねぇ」


 店番をする鈴葉を見ながら豪快な笑い声をあげる。


「うちの店長も見習ってほしいです」

「ノブにはオレがガツンと言っといてやらぁ」


 トシさんと店長の付き合いは意外に古く。店長が俺たちの高校に通っている時からの仲だと話してくれた。

 あの人が俺たちの先輩だったとは、不名誉なことだ。


「トシさんも音楽を?」

「おうよ。俺は見ての通りドラムスだ。まあ普段は居酒屋の店主だけどな」


 そう言って自慢の力こぶを見せる。


「そりゃそうと、ノブの知り合いってこたぁジャズやってんのか?」

「はい。ベースを担当してます。でも全然、進歩しなくて……」


 思わず愚痴ってしまう。


「すみません。お祭りなのにこんな話」

「どうして楽器始めたんだ? まさかモテるためじゃねぇだろう」


 最近は色んな場面でそれを考えさせられる。もちろん忘れたわけじゃない。


「伝えたい人がいるんです。音楽の楽しさを」


 幼い時にであったあの人のように、今度は自分が誰かを音楽で救いたい。


「素人なのに生意気ですよね」

「だったら、それじゃ駄目だろう」


 切り捨てるように言われてしまう。


「ですよね……もっと練習しないと」

「そうじゃねぇ。てめぇ自身が楽しんでねぇだろう」


 心臓を針で刺されたみたいだった。

 最近の俺は上手くなることばかり考えて、演奏を楽しんでいなかった。それをカノンに伝えたくて始めたというのに。


「いくら上手く弾いたって、てめぇ自身が楽しんでなきゃ。聴いてる側もつまらねぇ」


 カノンに出会った時がそうだった。俺は知らないうちに泥沼に足を踏み入れてしまっていたらしい。


「上手くなることも大切だが、それよもっと大切なことがある」


 トシさんは缶コーヒーを一口煽って不敵に笑う。


「グルーヴは俺らリズム隊だけにしか作れねぇ、大事な要素だ」


 人が心地よいと感じるリズム。それがグルーヴ。具体的な定義はなくて、すごく曖昧で空気のような存在だ。


「シンコペーションとか、シャッフルを入れろってことですか?」

「よく勉強してるな。まあ作り方はいろいろあるが――」


 トシさんは俺の胸をトンと叩く。


「ここで弾かなきゃ何も伝われねぇ。細けぇこと考えずに、自分の思ったように弾いたことあるだろう。その時、どうだった」


 引っかかっていた何かがとれたように心がすっとする。

 音楽堂でのセッションと、それ以降で違うところはそこだった。

 理論を覚えて、コードを叩き込んで、どうしたら格好良く弾けるか。頭の中では無駄な事ばかりを考えていた。

 音楽はそうじゃない。理論やコードは頭で覚えるものではなくて身体で覚えるもの。どうしたら格好良いかなんて、心の向くままに弾いてみなくちゃわからない。


「なんだか道が開けた気がします」

「いま最高にいい顔してるぜ。期待してるからよ」


 思わぬ出会いによって活路が開かれた。

 技術的に劣るのは当たり前、だけど俺にしかできないことは必ずあるはず。


「あれは……」


 前向きになったタイミングを見計らったように、混雑する人ごみの中からそれは現れた。

 色々なテントから立ち上る香ばしい香りや、熱気。隣で話す人の声すら聞きとりづらい雑踏の中にそれはあまりにも不釣合だった。

 周りの人もそんな違和感に気づきはするけれども、話しかけたりはせず、好奇の視線を送るだけ。

 金色の髪を今日もツインに纏め、水玉模様のワンピースを着た少女は背中に甲羅のような荷物を抱え、首から下げている袋をお守りのように強く握っている。


「焼きそば一つ」

「あ、はい。250円です……」


 少し目を離したすきに姿を見失ってしまった。

 まるで幻でも見たかのように影も形もなかった。


「ヒロくんどうしたの? 具合悪い?」

「ごめん。ちょっと外す」


 気のせいで済ませたくなかった。あれは間違いなく。

 人ごみをかき分けるように進んでいき、見慣れたベースケースを見つける。


「カノンっ!」


 声はあっという間に雑踏に飲み込まれてしまったがしっかり届いたようで、振り返ったカノンと目が合う。


「ヒロ……」


 うっすら湿った琥珀色の瞳にはっきりと俺を映し出す。


「どうしてこんなところに?」

「ヒロのとこの店長に呼び出されてここまで来たけど、店長が迷子になっちゃった……」


 きっと迷子はカノンの方だと思う。


「ならこっちに来ればいいよ。俺たちも店長の手伝いで来てるから」

「わかった。案内して」


 こんなところにカノンを呼び出して、いったい店長は何を考えているのか。

 そんな事はともかく、光明が見えてきた矢先にベースが返ってきたのはタイミングとしてはばっちりだ。


「ずいぶんと可愛いゲストだな。ようこそ。あんまり綺麗なとこじゃねぇが、その辺の椅子にでも腰かけてくれ」


 俺たちのテントへ連れて行くと、トシさんはカノンのことを快く歓迎してくれた。

 カノンは軽く会釈して、背負ったベースを降ろすことなくベンチに座る。


「腹空いてるだろ。これでも食べてな」

「ありがとう……ございます」


 まさに借りてきた猫だな。トシさんに噛みつく心配はなさそうだ。

 そんなカノンの様子を見てから自分の持ち場に戻る。


「二人ともごめん。いきなり外して」


 戸神は聞こえていないみたいで何事もないように麺をほぐしている。


「謝らなくてもいいよ。男の子が女の子を追いかけるのは自然の摂理だもん」


 言い方に棘があるな。


「本当にごめん。気づいたら身体が勝手に動いてて」

「それなら」


 鈴葉は急に近づくと耳元で囁く。


「その気持ち忘れちゃだめだよ」

「え?」

「じゃ、客引きいってきまーす」


 聞き返す間もなくテントから走り去っていった。

 どういう意味なのだろうか。


「ねえ」

「なに!?」


 驚いて振り向くと気まずそうにカノンがこちらを見上げていた。


「これって食べ物なの?」


 これ、と言われた容器の中にはトシさんの焼いたお好み焼きが、香ばしい匂いを放っている。


「お好み焼き食べたことないのか?」

「おこのみやき?」

「食べてみろよ。旨いから」

「全体的に茶色でぐちゃぐちゃしてるし……なんだか」

「それ以上は言うな。食べてみればわかる。騙されたと思って食べてみろ」


 疑いの眼差しを向けたまま、小さく切って恐る恐る一口にいれる。


「……おいしい」

「だろう」

「ふん。自分で作ってもないくせに自慢しないで」


 悪態をつきながらもお好み焼きが気に入ったのか、元の場所に戻って次々と口に入れていく。


「おいおい、あまり味の濃いものは食べさせないでくれよ。口内炎ができたら俺が怒られちまう」

「店長。いったいにどこに行ってたんですか」

「まあ、緊急事態でな」


 冗談を言っている様子はなく、店長は右腕にギブスを嵌めた男性を連れていた。


「すずちゃんとあきちゃんを連れて来てくれ。大事な話がある」


 良い予感はしない。おそらくカノンがベースを担いできたことと関係しているはず。

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