コンファメーション
第一話
トランペットはバンドの顔ともいえる存在。彼女を加えるためには、約束したとおり、心が弾んで、踊って、昂ぶる演奏ができなくてはならない。
だが問題はない。
俺たちは既にその演奏をしている。先日のホールでのセッション。あれをもう一度、実現できればおそらく。
「なにぼーっとしてるの? これ運んで」
「はいよ」
目の前に置かれた譜面台などの小物類を抱えて階段を上って行く。
当たり前だが、カノンをバンドに加えるなら、俺たちの演奏を聴かせなくてはならない。ということで、俺はとある作戦を企てた。
こう見えても俺は策士だ。ただの脳筋ではないことを、今度こそ証明してみせる。
「じゃあ、次バスドラお願い」
「はいはい」
鈴葉の指示に従い、普段カノンが籠っている防音質に機材を運んでいく。
ちなみに今は授業中である。カノンは授業をちゃんと受けている。そのため防音質は無人だ。
その隙に俺たちは機材を運び入れる作業を開始しすることにした。
昼休み直後の五時限目の授業はしっかりと受け、六時限目はサボタージュ。気分が悪くなったとか言っておけば問題あるまい。
放課後、防音質に入ってくるカノン。
俺たちの演奏は防音質を活気の色へ染めていく。
弾けるビートとハート。やがて彼女の心は魅了され、演奏が終わると同時に頬を赤く染めて、こう告げるのだ。
『素敵な音色。私も加えて』
『いいぜ。カノンが加われば鬼に金棒だ』
すかさず俺は手を差し出す。
『ありがとう。これからよろしくね』
差し出した手を力強く握るカノン。
『こちらこそ、よろしく頼む』
こうして金棒を得た俺たちは、見事に新フェスにて賞を獲得したのでした。
めでたし、めでたし。
「うん。完璧だ」
「完璧じゃない。向きが逆。それだと窓を見て叩くことになる」
「ごめん。まだよくわからなくて」
適当にバスドラムを置いたら戸神に怒られてしまった。
ちなみに、鈴葉が倉庫から必要な機材を出し、俺が三階まで運びついでにセッティング、それを戸神が指示する流れになっている。俺に負担が掛かりすぎている気もするが、何の知識もない俺に出来ることといえば力仕事くらいなので仕方ない。
「次はギターアンプね」
「おう……」
この作業、腕だけじゃなく足腰にもくるな。機材はその日のうちに倉庫に戻さなければならず、男手が圧倒的に少ない三軽には大きな負担だ。
「どうしてエレベーターがなんだよ……」
ギターアンプを抱えながら一人ごちる。あったところで授業中に使えるわけないけど。こんなことが唯敷さんや向島にばれたら問答無用で廃部にされるだろう。
「じゃあ、最後にベースアンプ!」
「ちょっと待て!」
「待てないよ。時間は有限。TIMだよ」
「筋力も有限なんだよ。どうしてだんだんと運ぶ物が重たくなる。重たい物は最初にしてくれ」
「あ、そうか。ヒロくんだから平気かと思ってた」
俺はスーパーマンかなにかだと思っているのか。
「じゃあ、ベースアンプは二人で運ぶことにしようか」
「そうしてくれ」
順調にいっているように見えるが、カノンのことは不安だ。
一度逃げ出した人間がそこに戻るためにはいったいどれだけの勇気が必要なのだろか。
俺がまた水泳を始めるのとはわけが違うということはわかる。
カノンは音楽から逃げはしたが、捨てることはしなかった。
あの日見たカノンの表情を思い出す。
夕日が作り出す影よりも、憂鬱の影を落とすカノンの表情。それが半紙に垂らした一点の墨汁のように、俺の心に染み付いている。
「カノンちゃんの事気になる?」
「気にならないといったら嘘になる」
「素直じゃないなー。誘っちゃえば良いのに。メンバーは揃ったよ」
「そういうわけにはいかないよ」
心が弾んで、踊って、昂ぶる演奏。それが出来ないうちは駄目だ。
「もっと強引でも良い気がするけどな」
「ん? 十分に強引だと思うが」
「まあ……そうだけど……」
鈴葉は俺のやろうとしていることに納得いっている様子ではなかった。
「なあ、鈴葉。カノンって」
「なに?」
「やっぱ何でもない。足元、気をつけろよ」
「うん……」
カノンのことだから、人前であんな顔をするわけがないか。
アドバイスをくれたり、メンバー集めに協力してくれたり、おそらく無理矢理に引き込めば組んではくれるだろう。だけど、そんなんでいい演奏ができるだろうか。
それにカノンの気持ちを無視することは出来なかった。
それは抱えている問題が大きい事を無意識に感じていたからかもしれない。
機材の設置を済ませ、チューニングを終えたところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。しばらくするとあたりが騒がしくなってくる。
「そろそろだな」
「そうだね」
「……」
今さら気が付いたことだがこの防音室は殆ど、機能を果たしていない。
外の音が聞こえてしまう事もさることながら、中の音も外に漏れだしている。あの日も俺はこの部屋から漏れ出す音に誘われて、カノンを見つけた。
カノンがこの部屋を好んで利用する理由があるのだろうか。
ふと、柱の陰に誰かの落書きのような物を見つける。卒業生の誰かだろう。『三軽永久不滅』と丸い字で書かれている。これを書いた人は今は何処で何をしているのだろうか。今も音楽を続けているだろうか。
そんな考えに耽っていると、あまり意味をなしていない扉がけだるそうに開かれる。
無駄なことを考えていても仕方ない。
いま俺がやれることを全力でぶつける。そうじゃないとカノンは応えてくれないだろう。
いったい何がどうなって、こうなった。
「はぁ~」
作戦を終えた俺はバイト先の楽器店で意気消沈していた。
作戦は見事に失敗。演奏は空中分解こそま逃れたものの、俺と戸神が鈴葉に振り回される結果となった。バンドの基礎として存在するはずのリズム隊がこんなでは良い演奏なんて夢のまた夢。
当然、そんな演奏を聴かされたカノンはため息に混じりに『suck』と、呟くと俺たちを防音室から追い出した。
「いっ!」
弾き方が悪いのか、弦を弾く右手の人差し指と中指の先に水ぶくれができて、弦を弾くと結構痛む。
しかしこうなった以上、休んでいる暇はない。
「作戦とやらは失敗したんだな」
いつにまにか後ろに立っていた店長が丸椅子を持ち出して隣に座る。
「ヒロは素直だね。音にすぐ出る。いや、音は出てないな。死んでる」
酷い言われようだ。
うまくいかなかった原因がわからない。
「セッションした時はいい演奏ができたのに」
「そりゃバンドとセッションは別だからな。上手くいかなくて当然だ」
綺麗に鬚を剃った顎を得意げに撫でながら薄く笑みを浮かべる。
「セッションはその場限りだが、バンドはそうじゃない。ヒロはちゃんと自分の音を伝えたのか?」
自分の音を伝えるとはどういうことなのだろう。言葉で伝えるのか。それとも演奏の中で伝えるのか。
「それをしないでいい演奏は出来ないな。目的地を示してくれなきゃ、メンバーはついて行きようがない」
その言葉は思いのほか心に響いた。
店長の言葉は優しいが、リーダー失格と言われているようなものだ。
「そんなに落ち込むな。各々が各々の鳴っている音を頼りにして集まった集合体。それがバンドだ。初めからうまくいくわけがないんだよ」
つまり音の形が俺と鈴葉では違うということか。言われてみれば当たり前のことだ。
音楽性の違いで解散。そんな不吉なワードが浮かんでくる。
「なに勝手に青ざめてんだ? 諦めろって話じゃないぞ」
胸ポケットから取り出した煙草に火をつけると、特有の臭いと、甘い匂いが辺りに充満していく。
「選択しろってことだ。単純に足しただけじゃ良い音にはならねえ。音をぶつけあって残ったものがバンドの音だ。お互いに何が良いのか確認して距離を縮める。そういうのはバンドでしか味わえない」
バンドは引き算ってことか。引き算をして残った音がバンドの音。
頼りにならない大人かと思ったら案外いいことを言う。店長も以前にそんな経験をしたのだろうか。
「あいつ等ならすぐに修正してくる。心配することなんてない。だからそんなに悩んでないで、ヒロはどしっと構えて自分の音を鳴らせ」
「はい。ありがとうございます」
のしかかっていたものが落ちたように身体が軽くなったような気がする。
音楽について語る店長の横顔は凛としていて大人の男性を彷彿とさせた。
「そんな事よりも、どうして誘わないんだ?」
「誘うって誰を?」
「カノンだよ。ヒロはカノンのためにメンバーを集めたんだろ」
不意に出されたカノンの名前に心臓が電撃を受けたように跳ね上がる。
「三人でバンドの形を作っても、一人加わればまたやり直しだぜ。そんな回りくどいことするより初めから加えた方が近道だろう」
「確かに店長の言うとおりですけど、約束したんです。カノンが入りたいバンドを組むって。だから俺が納得するまでカノンを誘う気はありません」
「そうか……ヒロも案外頑固だな。ところで、学校でカノンを見たことあるか?」
二本目の煙草に火を着けながら店長は話を変える。
「近寄るなオーラというか、周りを寄せ付けない感じで、いつも一人でいます」
「そうだな。あの子はそういう性格だ」
うちの生徒と関わり合いがあるのか、それとも直接カノンと面識があるのか、店長は学校でのカノンを知っていた。
「しかしどういうわけか、ヒロだけはあの子に近づくことを許されている」
店長の言うとおり、俺は他の生徒とは少し違う距離でカノンと接している。しかし、カノンが引いた線の内側に俺が入れているなんて確証はどこにもない。
結局のところ、俺はカノンの本当のところをよく知らない。
カノンの暗い表情が脳裏にちらつき、不安が雨雲のように広がっていく。
「それが何だ」
突然、店長はカノンの口癖を零す。
「俺がヒロくらいの頃、そう言っていろんな奴らを巻き込む女がいたよ」
しらけた笑いを浮かべて店長は遠い日の思い出を手繰るように、店内を彷徨う煙を目で追う。
「ヒロはあいつと同じで周りを巻き込む才能がある」
「トラブルメイカーって遠回しに言ってますよね?」
「上等じゃねーの。トラブルメイカー」
「貶されてます?」
「褒めてるんだよ。演奏はド素人で、音楽的アプローチもセンスなし。その上、音楽知識は皆無」
散々な評価をされる。やっぱり貶されてるな。
「でも、ヒロが持ち込んだトラブルは確実にあいつ等に良い影響を与えている。今まで誰も動かす事が出来なかったあいつらの心を動かしちまった」
店長の視線を追うと、レジカウンターの影で練習パットを黙々と叩く戸神がいた。
「自分が楽しければそれで良い。あいつ等はそういう演奏から卒業しようとしている」
店長が言わんとしていることを正しく理解できないが、きっと成長しているということなのだろう。今までは勝手気ままにドラムを叩いてきた戸神が、今は表情を険しくして試行錯誤しながら練習をしている。
「カノンも入れてやれ。ヒロが起こす嵐にさ」
店長の言っていることはわかる。本当にやりたくなかったらあんなに色々と協力してくれるはずがないし、そもそも俺に話しかけもしない。今日だってあの酷い演奏が終わるまで帰ることなく聴いてくれた。
カノンは自分が変わるきっかけを探している。だから俺たちに関わろうとしている。
だけど、今のままだと俺はカノンと同じ土俵に立てていない気がする。
同じ目線にならなきゃ、カノンが抱えている問題の本質が見えてこない気がした。カノンとバンドを組むことが俺のゴールではない。
「そうだ。今度、駅前でイベントやるんだが手伝わないか? ステージでバンド演奏もやるし、ちょうど合わせたい奴がいるんだが」
「せっかくですけど、遠慮します。他にもっとやるべきことがあると思うので」
「そうか……まあ、その気になったらいつでも声をかけてくれ」
「ありがとうございます」
少しでも俺はカノンに追いつけるようにならないといけない。その為の練習時間は限られているんだ。新フェスまであと一ヶ月を切っている。
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