第七話

 翌日の放課後、昨日と同じように鳥籠の裏へと周り扉の前にいる。ただし、今日は俺と戸神の二人だ。鈴葉には先に言って準備をしてもらっている。

 ここに来るまでに戸神からの質問は一切ない。RPGのパーティーのように一定の距離を保って後ろをついて来ている。

 信用されていると思っていいのだろうか。そうなるとこれからやろうとしていることに罪悪感を覚える


「入るぞ。ここからはこれ。だからな」


 昨日、鈴葉がしたように人差し指を口に当てて静かにするように促す。戸神は何も言わずに小さく頷いた。

 暗がりの通路を歩いている間も、戸神は一切動じず後ろをついてくる。


「ナイスタイミングだね。いま準備終わったところ」


 舞台袖にはすでに準備を終えた鈴葉が待っていた。その先のステージには本番と同じようにドラムセットやアンプ、その他よくわからない機材が置かれている。

 下手からベース、ドラム、ギターの順で並び、ドラムは他二つよりも少し後ろに位置している。


「勝手に使ったら怒られる」


 ここまで言われるがままついてきた戸神だったがようやく反応をみせる。おそらくこれからすることに感づいたのだろう。


「それは大丈夫。鈴葉が手配してくれた。今は貸し切りだ」

「新フェスのことは断ったはず」

「克服したんじゃないのか」


 踵を返して帰ろうとする戸神に問いかける。


「それに俺は諦めるって言った覚えはないぞ」

「……」


 戸神の歩みが止まる。傍で聞いていた鈴葉は、その隙を逃さなかった。


「ささ、三人でセッションしちゃおう!」

「まって、わたしは」


 昨日の俺のように鈴葉に手を引かれた戸神はドラムセットの前まで連れてこられる。


「曲はワークソングでいいか?」

「いいよー。あきちゃんもそれでいいよね?」

「……うん」


 決して嘘を付かない友人たちを前に、僅かに溜息をついてから鞄にしまってあるスティックを取り出した。それを見て俺も用意したベースを構える。

 昨日のリベンジだ。コードはすでに暗譜している。課題は周りを見てどうしたいのかコミュニケーションをとること。


「あとヒロくんもソロ取ってね」

「は? 聞いてないぞ」

「言ってたら事前に用意して来ちゃうでしょ。それじゃ意味ないし」


 全くその通りなので反論の余地がない。

 こうなったら当たって砕けろだ。

 のまれそうな暗闇に対峙して戸神のカウントを待ったが、いっこうにその時は訪れない。何があったのかとドラムの方を見れば、俯いたまま戸神は動けなくなっていた。


「戸神」


 不安に表情を歪ませた戸神はこちらに視線を送る。


「大丈夫。俺も怖い」


 雰囲気にのまれて固まっていた戸神の表情が、ゆっくりと苦笑いに変わって行く。


「駄目になりそうなったら俺の音を聴け。リズムはカノンのお墨付きだからな」

「ねえ、どうして私は蚊帳の外なの?」

「そういうつもりで言ったわけじゃなくて、俺と戸神はリズム隊だからさ。不安になったら頼っても良いぞってことで」

「ありがとう。二人とも」


 吹き抜ける風のような弱々しい声の後、打ち鳴らすようなカウントが始まる。

 ピックを使わず指で弦をはじく鈴葉のギターは、トランペットの強い響きと対照的で包み込むような優しさが音に混ざっている。


 奏者、楽器が変われば曲もまた表情を変える。昨日とは違うワーク・ソングを俺たちは鳴らしていた。


 鋭い刃物でザックザックと音を奏でていくカノンのテーマとは違い、鈴葉のテーマは粘土を指で模っていくような柔らかな響き。

 鈴葉はソロに入ると人さし指と中指で隠し持っていたピックを取り、ピック奏法に切り替える。先ほどまでと打って変わって、力強く田畑を耕すように振り下ろされるピック。それに合わせるようにこちらも一音一音をはっきりと鳴らす。


 今度こそ見失わないようにギターソロについていく。もちろん戸神とのやり取りも忘れない。


 ドラムは規則正しくレガートを鳴らし、俺たちの歩く速度をコントロールしている。それだけではなく、こちらの意図をすぐに理解し、盛り上げていく。

 ワーク・ソングは囚人の歌らしいが、俺たちは何にも囚われていない。自由に弾いて、自由に振舞う。たとえ壮大で威厳のある音楽堂のステージの上であろうと、俺たちには関係ない。


 突然、こちらの意表をついたように鈴葉が他の曲のテーマを滑り込ませてきた。ソロの合間にこういった遊びを淹れるのもジャズの醍醐味だ。

 視線を向けると悪戯な笑みを浮かべて舌を出している。

 演奏は順調にギターソロが続き、最高潮になろうかというところで、事態は起こった。


 急にドラムが落ち着きかろうじでリズムを刻むだけになってしまう。


 どうやら戸神は気づいてしまったらしい。他の部の面々が客席で俺たちの演奏を聴いていることに。

 もちろん俺と鈴葉はこのことを知っている。

 弱小の三軽が単独でここを使用する許可なんて下りるわけがない。今日は合同のリハーサルであり、もらえた時間もこの一曲分くらいのわずかな時間。

 何も知らされていない戸神にとっては大きな衝撃だったに違いない。

 戸神を見ると、暗闇から視線をそらして、何とかリズムが狂わないように叩くのがやっとの様子だった。

 俺はほんの僅かだけ早くテンポを速めて、コードを見失わないよう慎重に高音を鳴らし音数も増やす。まるで沈んだドラムを煽るように。


――俺の音を聴いてくれ。戸神――


 何小節かそんなことを繰り返してようやく、こちらに気が付いた戸神が視線をこちらに向けた。

 俺はおどけるように高音部で連打してからベースラインを通常に戻した。

 言いたいことは伝わったようで、戸神は口角を少し上げて徐々におかずを増やしていく。

 俺たちの会話をはたから見ていた鈴葉が嫉妬するように音を弾ませた。

 昨日は失敗したセッションがしっかり出来ている。

 三周した後、今日はここまでというように鈴葉がこちらに目配せをしてくる。

 丁寧に手渡しされているようにソロのバトンを渡された。

 戸神は俺の邪魔をしないようにハイハットのみの音に切り替える。

 バトンを渡されたは良いが、途端にどうすればいいのかわからなくなった。

 ベースラインを僅かにいじったようなソロをでは面白くない。それを頭でわかっていながらも、ベースラインのレールから外れることが怖かった。

 一拍分の僅かな休符すら怖くてとることが出来ない。掴んだロープを手放してしまうような、放してしまえば二度と掴めないのではないかという不安。

 指が震えだし、弾んでいた心が固まっていく。


「っ!」


 いきなり皿を割ったようなシンバルの音が響く。電気ショックを受けたように心臓が跳ね上がった。

 驚いて振り向くと、今度は戸神が俺を煽っていた。もっとやれと言うように再びシンバルを強くたたく。


 わかったよ。やってやるよ。怖がってても何も始まらないよな。


 そこからは、もう何を弾いているのか自分でもよくわからなかった。コードに縛られず、やりたいように弦を弾く。技術的にはきっと最低なんだろうけど、気分的には最高だった。

 やっぱり見ているよりもやっている方が何倍も楽しい。


 テーマに戻って最後の音を鳴らすその瞬間まで高揚感が治まることはなかった。

 全ての音が講堂に全体に吸い込まれた後、決して多くない社交辞令のような拍手が続く。

 それを遮るようにスティックが落ちる音が耳に届いた。


「戸神っ!」


 ついに耐えきれなくなった戸神はこちらが止める間もなくその場から逃げ出した。


「ヒロくん行って。こっちは平気だから」

「わかった」


 ベースをスタンドに立てかけてステージを後にする。

 騒めき出す行動に反して俺の心は穏やかで晴れ晴れとしていた。

 慌てる必要はない。戸神がどこへ行ったのかは検討がついている。それに戸神は再びステージに立つ。その確信があった。

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