第五話

 部室に向かうとドアの前でカノンが中の様子を伺っていた。部室からは一心不乱にドラムを叩き鳴らす音がする。


「なにやってんだ?」

「見ればわかるでしょ」


 わからないから聞いてるんだが。

 ドアの小窓から中を見ると、鬼神の如くドラム叩きまくる戸神が見えた。腕が四本生えているように見える。


「ヒロが何かしたんでしょ。責任取りなさいよ」

「どうして俺の所為だって決めつける」

「どうせ、バンドに誘おうとしてヘッドホン外したんでしょ」

「どうしてわかるんだ?」

「ヒロのやりそうなことくらい予想できるわよ。何も知らないってある意味幸せね」


 幸せが遠のく盛大なため息をつかれる。


「そういうカノンは知ってるのか?」

「少しだけね。あの子あんまり人と関わろうとしないし。絡みずらいのよね」

「お前にだけは言われたくないだろうよ」

「それどういう意味よ! それにお前って言うな!」

「声がでかい。気づかれ……」


 気づかれた。戸神はドラムを叩くことを止めて、じっとこちらを見ている。


「わ、わたし知らないから。ヒロが責任取って」

「まて。押すなって」


 俺のことを無理やり部室に押し込む。こちらにも心の準備ってもんがあるというのに。


「よ、よう」

「……」


 とりあえず窓を開ける。季節は春を過ぎて夏に向かっている。上がりだした気温で熱気が籠った部室は息苦しかった。息苦しい理由はそれだけではないが。


 あれだけ叩いても戸神は息切れ一つしていない。


 戸神がいつもしているヘッドホンにいったい何の意味があるのか。今は外しているところを見るに、部室でなら平気と言う事なのだろうか。そもそもバイト中もヘッドホンは外しているし。ということは教室に問題があるのか。


 バイトで二人きりになる機会はあったが、こんなに狭い空間に二人きりになるのは初めてだった。

 ベースを壁に立てかけて、適当に荷物を置くと戸神の向かいに腰かける。

 部室の空気を吸い込んだ肺が重い。心地よい風でも吹き抜けてくれないものか。


「さっきはごめん」

「別にヒロは悪くない」

「いきなりで驚いたよな」

「無視した私がわるいから」

「反省してる」

「気にしないで」


 さらに空気が重くなる。扉の向こうに助けを求めようとしたが、カノンの姿はどこにもなかった。

 あいつ俺に押し付けて逃げやがった。

 グランドから遠い部室は窓を開け放っていても静かで、たまに入り込んだ弱い風がカーテンをもてあそぶだけ。

 会話の糸口なんて初めからなかった。


「何か演らないか?」


 耐えかねた俺は壁に立てかけていたケースからベースを取り出しアンプに繋ぐ。

 ドラムを叩いている時の戸神は活き活きとしていて、普段つまらなそうに生活している姿とは違って見えた。

 会話するよりもその方が戸神のことを知れるかもしれない。


「……でも、上ものがいない」

「確かに、ベースとドラムだけだとさすがに……」


 鈴葉はまだ帰って来そうないし。外にいたカノンの姿はもうない。

 途方に暮れていると、開け放った窓から大空に向かって飛び立つような銀色の音が飛び込んできた。

 単調な作業から気を紛らすための音頭、コールアンドレスポンスを基調にした曲。

 俺たちの応えを待ているかのような、トランペットのワークソングは同じところを、何度も、何度も、繰り返す。


「この音、カノンの」


 向かいの防音室を見ると金色の髪をなびかせたカノンが窓を開け放って、こちらに向けてトランペットを吹いていた。

 無責任なこと言う割にはしっかりとフォローするのな。

 すかさず整理されたファイルからワーク・ソングの楽譜を取り出すと、アンプを窓の外に向けてボリュームを全開に回す。戸神も俺がやろうとしていることに気づいたようで、スティックを構えていつでも叩ける態勢に入っていた。


 カノンの呼びかけに返事をすようにドラムとベースを鳴らす。


 部室と防音室との間に生まれる音の形。

 授業中に見えたものが微かに存在した。

 トランペットのソロに入り一歩一歩足跡を残すようにベースの弦を弾いていく。見失わないように楽譜を睨みながらコードを辿っていく。身体の芯から燃え上がるような何かがあった。


 思えばこれが初めてのセッション。聞いているよりも圧倒的に楽しい。


 三人の奏でる音が一つとなって空気中を飛び交っている。


 しかし、その時間は長くは続かなかった。


 楽譜と睨みあうようにして弾いていた俺はカノンの様子が気になり、少し楽譜から目を離した瞬間だった。たったそれだけのことで俺はコードを見失ってしまい、ピッチを外してしまう。それが焦りを生み、リズムを崩してしまう。そんな悪循環を繰り返し、それまで確かにあった音が輪郭を薄くしていき、やがて煙のように霧散していしまう。コードを弾いてくれるギターがいない事もそれに拍車を掛けていた。

 自分のことで精一杯で周りの音を聞いていられず、やがて自分の音でさえも見失い、


「そこまでです!」


 まるでレフェリーストップの様に、まるでタオルを投げる様に、ドアが開いた。

 演奏は止まり、音の残滓が辺りに散らばっていく。


「楽器を鳴らす時は窓を閉めるという決まりです。こんな規則も守れないのですか」


 腕を組んだ唯敷さんは息を切らして俺たちを叱責する。


「すみません。つい閉めるのを忘れてて」


 適当に誤魔化して窓を閉める。ついでに防音室の方を見たがカノンの姿はもうなかった。


「今後は気をつけるように」


 もっと何かを言われるのかと思ったが、唯敷さんは簡単な注意をして去って行った。

 色々な意味で助かった。あのまま続けていたら音は空中分解していたことだろう。

 だけど初めてのセッションは苦いものだけではなかった。

 今でも心臓が興奮を全身に伝えるために激しく鼓動を続けている。


「セッションってこんなに良いもんなんだな」


 しみじみとこぼした言葉に、ドラムの影に隠れていた戸神が不審者を見る目で見つめて来る。


「ドМ。あんな下手くそな演奏で喜んでる」

「そうじゃなくて、下手くそなのは否定しないけど、初めて自分の音に誰かの音を乗せられたというか」

「その気持ちはわからなくもないかも」

「だろ!」


 この興奮を覚えてしまったら、もう聴く側には戻れない。飛び道具のように飛び出した想いは引き返すことはできない。


「一緒に新フェスに出てくれないか?」


 自分の中に流れる音は戸神のドラムを必要としている。


「むり」


 即答だった。考えるまでもない。そう言っているかのように。


「無理ってどういう意味?」


 戸神の答えは、嫌、ではなくて、無理。戸神ほどであれば技量的に問題はないはず。

 こちらの問いに返答はなく、しばらく沈黙の時間が過ぎていく。


「教室でのことと何か関係があるのか?」


 戸神は急に握っていたスティックを落とすと、表情から血の気が引いていく。


「……こ、こわいの」


 喉を絞って出した。そんな声だった。息が小刻みに速くなり、苦しそうに胸を押さえ始める。


「は、は、いき、が……」

「大丈夫だ。吐く方に集中しろ」

「でも、でも」

「息は吸えてる、安心して」


 さっきは突然のことで動揺してしまったが、俺はこれと同じような症状を知っている。


「息を一回止めて││ゆっくり吐く、ゆっくり、ゆっくり、焦らなくて大丈夫」


 傍に駆け寄って背中をさする。戸神は言われた通りに吸うよりも二倍近く時間をかけて息を吐いていく。それを何度も繰り返していくうちに荒かった息は、次第に戻っていく。


「もう大丈夫……だから」


 言葉とは裏腹に色の乏しい瞳は涙に湿っている。


「いや、もう少しこうしてるよ。ゆっくりで良いから」

「……ありがとう」


 それからしばらく、戸神が落ち着きを取り戻すまで傍で寄り添っていた。

 顔色も平常に戻り、大丈夫なことを確認してから元の場所に腰かける。


「どうして対処の仕方知っているの?」

「こういう事、何度も出くわしてるから。水泳って過呼吸になる奴が多いんだよ。吸うことに意識が行き過ぎて十分に吐いてないとそうなる。俺、水泳部だから。元だけど」

「元?」

「今は休部中なんだ」

「怪我したから?」

「怪我はきっかけにすぎないよ。まあ、いろいろ」

「いろいろ?」


 あまり他人に興味を示さないと思っていた戸神にこんなに質問されるとは思っていなかった。


「水泳よりも打ち込めるものが見つかったんだ。ていうのが大きな理由かな。そんな事より、怖いの意味なんだけど」


 普段から硬い表情がさらに固く強張る。

 決意するように大きく息を吐くと、戸神は訥々と語りだした。


「小さい頃から他人が苦手なの。普通に話をしてても、私のこと本当は嫌いなんじゃないか、私と話なんてしたくないんじゃないか、後で私のこと馬鹿にして笑うんじゃないか。そんな考えが頭を埋め尽くして……そういうことが面倒で、他人を遠ざけているうちに私は孤立した」


 胸に抱えたヘッドホンが音をたてて軋む。


「さっき笑ったのは私のことだろうか。先生達は私が問題を起こさないように監視しているんじゃないか。そう考えたら息もできなくなって、学校に行けなくなった」


 こんな時、なんと言えばいいのだろう。俺には軽い言葉しか思いつかない。


「そんなときに私はこの子たちに出会った。親戚の家にあったドラムを叩いている時は嫌のこと、全てを忘れられた。それで気づいたの、音に耳を傾けている時、私はこの息苦しい世界から解放される。人と違って音は嘘をつけない。この子たちは素直に私に応えてくれる」


 そう言ってドラムセットを一つずつ叩いていく。


「だから私はドラムは叩くけどステージには立たない……迷惑はかけたくないから」


 最後の言葉に恐怖が込められている。性格上、戸神は周りに気を遣いすぎる。

 怖いのは視線だけじゃない。俺たちの足手まといになることも怖いのだろう。

 ここで戸神に一歩踏み出してもらうための言葉とはいったい。


「それじゃ、バイトだから」


 徐に立ち上がると、戸神は部室から出て行った。


 今日は定休日でバイトはない。戸神の嘘をすぐに見抜いていながら、引き留めることもせずに茫然と椅子に座る俺は何なんだ。何がしたいんだ。

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