第四話

 午後の授業を聞き流し、言われた通り、自分の中で鳴っている音に耳を傾ける。

 原点ともいえる昔聞いたトランペットの音、衝撃的なライブでのロック、楽器店での情熱的なジャズ、そしてカノンのCD。


 俺がやりたいのはロックじゃない。ジャズだ。

 俺はどんなジャズを求めているのか。

 俺をジャズに染めた音はなんなのか。


 乱雑に置かれたそれらの音を一つ一つ箱詰めするように整理していく。


 楽器店でのマイ・フェイバリト・シングス。身体から伝わってくる音の響き。化学反応を起こしたように身体の芯が熱くなる感覚。

 一晩中聞いたカノンのCDの中にもマイ・フェイバリト・シングスはあった。それを頭の中で再生し、半ば無理矢理に楽器店で聞いたジャズと合わせてみる。

 三拍子のドラムの上でスキップをするトランペット、それに寄り添うウォーキングベースに正しい道を示すギターコード。


 今までそこになかったのもが少しずつ見えてくる。しかし、それはまだ霧のようで影も形も定まらない。ないかが決定的に足りていない。まるで他人事のように雑踏の中でBGMが鳴っているだけ……


「速水。さっきから何をぶつぶつ言ってる」

「は?」


 いつの間にかゴリラのような数学教師が俺の席まで来て、威圧感たっぷりに教科書を構えていた。返答しだいでは俺の頭が良い音を立てて弾かれかねない。


「散々呼んでも返事をしない挙句にノートは白紙、お前は一体何をしている」

「イメージトレーニングを……少々」


 眉間に色濃くしわが刻まれる。


「そうか。ならあの問題を解いて見ろ」


 黒板にはΣ=akの解を求めよ。と書いてある。Σの上には5、下にk=2、何のことだかさっぱりだった。


「イメージの中では都合の良いように解けたかもしれんが、現実ではそうはいかんぞ」


 放心状態な俺を置いて教師は教壇へと戻って行く。


「ああ、そういうことか」


 他人事なのは当たり前のこと。俺はまだイメージしたようなベースラインを弾きこなすことなんてできない。もっと下手くそな今の自分が弾いてる音をイメージしないと。

 先ほど少しだけ見えた音の形に自分の不格好なベースラインをのせる……


「見えてきた」


 未だはっきりではないが確かに足跡を残して響いている。この調子だ。この調子で、


「何が見えたんだ?」


 いつの間にか、俺はクラス中の視線を集めている。


「あ……答え? なんちゃって」

「数学を舐めるなよ」


 教師の不敵な笑みと同時にチャイムが鳴った。



「お前も三軽に染まってきたな」

「雰囲気がそれっぽいぞ」

「郷に入ればなんとやらだな」

「はいはい。郷に入れば郷に従えの意味は違うけどな」


 ホームルームを終えて放課後、先ほどのことでクラスメイトからの小言を適当に流しながら、窓際にある戸神の席に向かう。バイトが同じなので話はその時にできたが、俺の中に芽生えたものを今すぐにでも戸神に伝えたかった。

 戸神は放課後だと言うのに帰る気配を見せず、耳には不釣り合いなごついヘッドホンをかけて椅子に張り付けにされたように座っている。


「戸神ちょっと良いか?」

「……」


 無視された。結構、精神に応えたが、聞こえなかっただけかもしれないので視線の先に手を振りながらもう一度。

「戸神?」

「……」


 俺を視界から消し去るように窓の外に視線を逸らす。

 ヘッドホンを首元までずらして、もう一度。


「戸神、話が」


 途端に、戸神の様相が一変した。

 血の気の薄い肌からさらに血の気が引いていき、唇が青くなっていく。

 額には玉のような汗をかき、息も乱れ苦しそう。普段から表情をあまり変えない彼女がここまでになるということは、何か病気の発作だろうか。だとしたら早く保健室に連れていかないと。


「大丈夫か?」

「みないで……おねがい」


 戸神は頭を抱えるように伏せて、絹糸のような声を漏らす。


「見ないでって何を? おいっ!」


 机にかけてあったカバンを剥ぎ取ると逃れるように教室から出て行く。


「見ないで」戸神はたしかにそう言っていた。


 放課後の教室は出て行った戸神のことは気にも留めず、普段通りの喧騒を保ったままである。いったい何が戸神を見ていたというのか。

 ほどなくして教室に鈴葉がやってくると、俺を見つけるなり近寄ってきて耳打ちする。


「もしかしてあきちゃんのこと誘った?」

「いや、それ以前の問題だった」


 なぜかこちらも小声で話してしまう。


「じゃあ、ヘッドホン外した?」

「それはした。そしたら途端に顔色が悪くなってさ」

「やっぱり……」

「何かやばいのか? 病気の発作とかなら保健室に連れて行った方が」

「発作ではあるけど、死なないから大丈夫」


 いや、判断基準がおかしいだろう。というか、なぜこそこそ話す必要があるのか。


「とりあえず、あきちゃんは部室に居ると思うから。理由はちゃんと本人から聞くこと」

「鈴葉は部室に来ないのか?」

「私はやることがあるの。終わったら部室に行くから」


 ほくほくした笑顔で教室を出て行く。何を企んでいるのやら。



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