第三話

 普段なら生徒たちの憩いの場として機能する昼休みの食堂が、今では正反対の雰囲気を漂わせている。さながら肉食動物の檻に入れられた草食動物の気分。

 亀の甲より何とやら。やはり先輩方とバンドを組むのは必須かと思い、昼休みにお邪魔したところ、ここまで連れてこられた。


 亀田先輩の一挙一動に黄色い悲鳴を上げる女子御一行。そして俺に向けて敵意むき出しの目線を向けてくる。いやいや、俺が女ならその反応はわからなくないけど。それと一部まったく異なる視線を感じる。あれは俺たちをカップリングしている目だ。


「あの子たち、ヒロ君に興味があるのかな?」

「冗談で言ってます? 本気で言ってます?」

「どっちでだろうね」


 作った笑顔は今日も健在である。辺りから聞こえる黄色い悲鳴は聞こえなかったことにする。


「それで僕になんの用だい?」

「新フェスの事はもうご存知ですよね」

「知っているよ。思い切った事したね」

「それでですね。亀田先輩にもバンドに加わってほしいと思いまして」

「何故?」


 何だろうか。まだ何も言っていないのに責められている感じは。息がつまるほどの圧迫感に見舞われる。

 部室で二人きりだったら耐えきれずに逃げ出していた。食堂にしたのは先輩なりの配慮だったのかもしれない。


「えっと、それは、カノンが入りたいって思えるバンドを組もうと思いまして――」


 今朝あったことを話しているその間も先輩は笑顔を崩すことなく、しかしこちらを見る目は鋭かった。三軽に居るだけあってこの人も普通ではないことはわかっていたが、今まさにそれを実感している。


「なるほど。それで、僕に参加をお願いしに来たと」

「はい。そうです」

「そもそも、ヒロ君は僕が何を弾いているのか知っている?」

「……」


 知らなかった。そんなことも知らずにバンドに参加してほしいなんて、失礼な事をしていた。


「僕はね、ベースを弾いてるんだ。これだけ言えばもうわかるね?」


 ベースはバンドに二人もいらない。亀田先輩がバンドに加われば俺が必要なくなる。しかしそれだと新フェスに参加することはできない。

 勝手な事ばかり言ってる自分が恥ずかしくなる。


「失礼なこと言ってすみませんでした」

「嘘つきは泥棒の始まりよ」


 快活な声と共に、目の前のテーブルにパフェが置かれる。


「小川先輩……」

 

 表情はいたって平常、むしろ普段よりにこやかなのだが、纏っている雰囲気は怒りに溢れていた。

 取り巻きの女子たちが引き潮の様に去って行くのが見える。ついでに俺もその波に乗りたい。


「仁は別にベースが専門ではないわよね?」


 笑顔を崩さず、亀田先輩の隣に座る。


「じゃ、じゃあそういう事だから、僕はこれで」


 質問を無視して立ち去ろうとする亀田先輩を小川先輩は逃がさないとばかりに腕を絡ませてロックする。


「バンドに加わりたくないから、適当な口実を作って断ったのよね?」

「そういうわけでは」

「そうよね?」


 適当な言葉で濁しながら力ずくで腕を解こうとする亀田先輩だったが、小川先輩は瞬間接着剤で張り付けたようにびくともしない。


「本当の理由を言ったらどうなの? 言えないなら代わりに言ってあげても良いのよ。仁はね、昔」

「わかった。言うよ」


 小川先輩の脅迫に屈した亀田先輩は、頭を掻きながら溜息をつく。


「ヒロ君の言っていたカノンちゃんの加わりたいほどのバンドって何?」

「それは心が弾んで、踊って、昂る様な、体の内側から熱くなれて、じっとして居られない様な」

「それだよ」


 亀田先輩は逃さないとばかりに指をさして指摘する。


「具体的な理想や目標が何一つ伝わってこない。ヒロくんの話には音が鳴っていないんだ。それないのに一緒にやりましょうなんて言われても、全然その気になれない」


 亀田先輩に笑顔は無かった。いつの間にか小川先輩も腕を解いてこちらを真剣な顔で見ている。


「始めて一カ月も経っていないヒロ君にこれを要求するのは酷かもしれない。だけどバンドを纏め上げるなら、バンドとしての音の形を考えておかないと」

「音の形ですか?」


 音に形があるなんて考えたこともない。


「それじゃあ、僕は先に行くよ。バンドには加われないけど他の事なら協力するから」


 これ以上は耐えられないと言うように亀田先輩は席を立つと早足で食堂を後にする。


「仁は向き合うことから逃げてるのよ。真面目になるのはダサいとか思ってる」


 小川先輩は去って行く背中に投げつけるように言葉をぶつけた。すごく冷ややかな目をして。

 三軽に居る人たちは何かしら事情を抱えている。きっと小川先輩もそうなのだろう。


「それでパートナーはなんて言っているの? ん~このクリーム最高!」


 スプーンに乗せたクリームを頬張りながら小川先輩は妙なことを聞いて来る。

 パートナー? ベースのことかな? 一流になると楽器と話せるだろうか?


「あきちゃんのことよ。ベースとドラムはリズムセクションとしてパートナーよ。ヒップなリズムはベースとドラムの関係性がものを言うの。もしかしてまだ何も知らないの?」

「なんのことですか?」


 こちらの返しに小川先輩はスプーンの先で宙に円を描きながら考える。


「あー、知らないなら良いの。こういうことは本人から聞かないとだから。まあ、なんにせよ。誰かをバンドに誘うのであれば音の形をはっきりさせないとね」

「そうですね……」


 目には見えないけれどバンドをするなら必要な要素。まるで酸素を必死でつかもうとしているみたいだ。


「考えちゃダメよ」

「なっ! 何するんですか!」


 こちらが必死に考えていると、不意に鼻先にクリームつけられる。


「難しく考える必要なんてないのよ。誰かの演奏をもとにするの。憧れているミュージシャンでも良いし、思い入れのある音楽でも良い。そこから自分の求めているものに仕上げていく。ゼロから作り上げられる人間なんていないわ」


 いつもふざけている小川先輩もこの時は真面目だった。

 自分の理想の音楽。求めているもの。


「まずは自分の中に鳴っている音に耳を傾けてみたら。あ~んこのチョコ、ビターだわ」


 小川先輩らしからぬ真面目なアドバイス。槍でも降るんじゃないだろうか。鼻につけられたクリームを舐めながら危惧する。


「甘くない……」

「私、甘いものは苦手だから甘さ控えめにしてもらってるの」

 

 だったらパフェなんて食べなければいいのに。 

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