第五話

 普段は強気な女の子の仮面を被り、弱い部分は全く見せようとしない。誰だって他人に弱い部分を見られるのは嫌だけど、カノンは異常にそれを嫌っているように見える。

 強固な仮面の下には防音室で見たような悲しい顔をしている。そうなった理由に音楽が絡んでいるのは間違いない。

 気になりはするものの、いきなり踏み込んでいいものなのか迷ってしまう。

 ゴミ捨て場にはジャージを着た女子生徒がトングを片手にゴミ袋の分別をしていた。腕には文化連の腕章をつけている。


「分別、ご苦労様です」

「ありがとうございます」


 前方に垂らされたおさげ、ふちの細いメガネ、きりっと吊り上った目尻から非常にきつい印象を受ける。俺が入部した時にいたメガネ女子だ。ということはこの子が。

 むこうも俺に気づいたのか手を止めて深々と頭を下げる。


「初めまして唯敷律希です。先日は自己紹介もせずに立ち去り失礼いたしました」

「速水大海です。こちらこそ話に割り込んでしまい、すみませんでした」


 ジャージの色からして同い年なのに何故かかしこまってしまう。きっと彼女が漂わす峻厳な雰囲気のせいだ。


「燃えるゴミはそちらですので」


 事務的な口調で言い放つと作業を再開する。あなたとは口を利きたくはない。まるでそう言っているかのような態度だった。


「手伝うよ。一人じゃ大変だろうし」

「別に大変ではありません。勝手にやっている事ですから」

「なら手伝うのも勝手だよな」

「……お好きにどうぞ」


 許しが出たので心置きなく手伝うことにする。カノンに早く帰って来いと言われていたが、女の子一人にゴミの分別を任せることには気が引けた。

 分別をしている間、唯敷さんの視線を何度か感じたが何か言ってくることはなかった。


「意外とみんな分別してないんだな」


 最後の袋を閉じて不燃ごみのところへ放り投げると、それを見ていた唯敷さんは責

めるような口調で話しかけてきた。


「余計な事をしてくれましたね」

「え? 分別方法、間違ってた?」

「そちらではありません。部活の方です。あんな部、早くなくなればいいんです」

「そんなに三軽が気に入らない?」

「はい。特に久瀬カノンが」


 ゴミ捨て場に放り投げるような言い草だった。

 いったいカノンと唯敷さんとの間に何があったのだろう。俺が知らない去年の出来事が関係あるのは間違いない。


「あなたもバンドをして彼女を作りたいというのなら他の部に言ったらどうですか? そもそも、バンドを始めたからと言って彼女が出来るなんて幻想を抱く男子は大半が現実に打ちひしがれてすぐに辞めてしまいますが。本気で取り組んでいる姿勢が輝かしいく魅力的なのであって、不純な理由で、適当にやって弾いているようでは逆効果ですよ。そういうのはすぐに音に出てしまいますから。そういう人たちに弾かれる楽器たちが憐れに思えます」


 圧倒的な畳み掛けにあっけにとられる。


「なにか言いたい事でも?」


 呆気にとられる俺に食って掛かる。落ち着いた雰囲気を漂わせている彼女だったが、胸の内は熱い人なのかもしれない。


「唯敷さんの言っていることは正しいなって思って」

「そうですか。ならあなたは彼女を作る以外の理由で音楽と始めたということですか?」

「もちろん。俺はカノンに本当の音楽を思い知らせるために始めたんだ」

「…………」


 俺の言ったことが理解できなかったと言わばんかりに、今度は唯敷さんの方が呆気にとられる。

 まあ、素人が何を言っているんだと思うよな。


「まあ、口で言うのは簡単ですよね。では私はそろそろ失礼します。お手伝いいただき、ありがとうございました」

「ねえ。俺からも一つ聞いていい?」

「何ですか」

「音楽やってて楽しい?」

 

「私たちはそんな次元には居ませんので」

 

 一拍の逡巡の後、絶対零度の言葉を叩きつけてきた。

 俺は唯敷さんの凛とした後姿を言葉も出ずに眺めるしかなかった。

 そんな次元に居ないのなら、どこにいるというのだろう。


 随分待たせてしまったせいか、部室に戻るとカノンはソファーで身体を小さくたたんで眠っていた。金色の髪が絨毯の様に広がり、心地よさそうな寝息と合わせて小さな身体が上下している。寝ている時でも、首から下げた革袋を大事に握っていた。相当、思い入れがあるのだろうな。


 起こさないように静かに片付けを再開する。

 床に落ちている楽譜の殆どが知らない曲だったが、鈴葉の店で聞いたことのある曲に目が留まった。

 鈴葉のスパルタ授業を受けたおかげか、譜面にふられているE♭、Dm、G7といったコードの意味が分かる。自分が弾く音のレールが想像できた。

 

 カノンの向かいに座ってベースを構える。

 

 起こしてしまう可能性もあったが、弾いてみたい衝動を抑えることができない。アンプにつながらなければ大した音はでないから大丈夫だろう。

 頭の中でテーマを歌いながら、歩くようなリズムでベースの弦をはじく。

 基礎練習の成果がでたのか、もたつくことなく自然と指が譜面に書かれたコードをなぞっていく。身体がどこを押さえれば良いのか覚えている。言いようのない高揚感が湧いてきた。

 また一歩、階段を上った気持ちになる。


『そんな次元には居ませんので』


 突然、唯敷さんの言葉が心を引っ掻く。彼女は何を言いたかったのだろう。

 俺の考えが甘いと言いたかったのか、それともその気持ちを忘れてしまったと言いたかったのか。そう言えば、小川先輩も仲良しクラブじゃないと言っていた。音楽を単純に楽しむだけではいけないのだろうか……


「ストップ!」


 我に返り、弦を弾いていた指を止める。

 いつの間に目を覚ましていたカノンが、不満げに目を細めてこちらを睨んでいた。


「ピッチはばらばら、コードの形が不透明、シンコペーション使い過ぎ。気持ちわるい」


 いきなりだったので、何を言われているのか初めは気づかなかったが、それは俺の演奏に対する評価だった。


「それに余計なことを考えて演奏に集中してない。音は奏者を映し出す鏡なの。そんな気持ちなら、大恥かく前にやめた方が身のためよ」


 少し音を聞いただけでここまでわかるなんてさすがなのだろうが、できることならもう少しオブラートに包んでほしかった。


「で、謝罪の言葉はないの?」


 謝罪まで要求される始末。初心者に対してその仕打ちはあんまりだ。


「下手くそでごめんなさい」

「違うわよ。早く戻るって約束したじゃない。嘘つき」


 脛を小突かれた。カノンからしたら俺のベースの腕前なんてどうでも良かったらしい。


「言い訳があるなら言ってみなさい」

「ゴミ捨て場で唯敷さんと会って」

「ふーん。ヒロってあんな根暗が好みなんだ」

「別にそうわけじゃないよ」

「じゃあ何をしてたのよ」

「分別を手伝ってただけだから」

「初めての共同作業ね」

「語弊を招く言い方はやめろ」


 一人にされたのが相当気に食わなかったのか、初めは小突く程度だった蹴りがだんだん強くなっていた。


「で、結局ベースやるの?」

「やるよ。こいつとならやりたいことが出来ると思うから」

「なまいきなこと言っちゃって、ヒロには手拍子がお似合いよ」

「楽器ですらないんだけど」

「だから何? ヒロはまだまだ所詮その程度ってことよ」


 俺のことを馬鹿にしてからかっているカノンは楽しそうだった。悪趣味だと思う反面、いつもこんな風にしていれば周りも胆を冷やさなくて済むだろうにと思ってしまう。


「なあ、音楽やってて楽しいか?」


 唯敷さんに聞いたことと同じ質問をする。浮かんだまま沈んでいかない考えの答えを求めていたのかもしれない。帰ってくる答えはわかっている。俺はそれを変えたくてベースを弾くと決めたんだ。


「考えたことない。そんなこと」

 予想していた答えと違っていた。楽しくない。もしくは唯敷さんと同じでそんな次元にはいない。とはっきりとそう答えると思っていた。

 カノンは微かに流れてくる吹奏楽の演奏を聴きながら空の彼方を見つめる。世界に溶け込んで消えてしまいそうな危うさを感じさせた。


「なあ、一緒に演奏」

「嫌よ。どうして下手くそに付き合わなきゃいけないのよ」


 次の瞬間にはいつもどおりのカノンに戻っていた。


「その言い方は酷くないか。お互いに影響されて良い事があるかもしれないだろ」

「だから何? 基礎も出来てない下手くそに影響も何もないわよ。それに私がヒロに影響されたら下手くそになるじゃない」


 全くの正論なので返す言葉がない。下手くそを連呼され、土深くに潜ったような暗い気分にさせられる。


「大体、そのベースが初心者向けじゃないのよ。初心者が気安く触ってい代物じゃない」


 ええ、知ってます。初心者が弾くべきじゃないことも、高校生が買えるレベルの楽器でないことも。おかげで楽器店での労働奉仕が決定したわけだし。


「でも値段と難易度で言えばそっちの方が高いだろう? どうしてトランペットなんだ?」

「……私のことはどうでも良いの」


 視線を逸らして話をたぶらかす。俺のことは根掘り葉掘り聞いて来るくせに自分のことは全く話そうとしない。ずるいだろう。そんなの。


「ヒロはベース弾いて楽しいの?」

「もちろん楽しいに決まってる。昨日出来なかったことが今日できたりすると最高に気分が良いね。昨日の自分を超えられたって感じがしてさ」

「いかにも体育会系、脳筋の返答ね」


 ものすごく興味がなさそうに答えてから、カノンは俺の前に置かれた楽譜を手に取り何かを書き込んでいく。

 しばらく鉛筆と紙が擦れる音がした後、一息ついてカノンは再び楽譜を俺の前に差し出した。


「なにこれ? 落書き?」


 脛を蹴られた。結構強めに。冗談の通用しないやつめ。


「挙げたらきりがないけど、これくらいはできないと話にならないから」


 差し出された楽譜には所狭しと注意が書かれていた。五線譜の上にまで書かれている丸い字に紛れてゴシック体のコードが見え隠れしている。


「これが出来るようになったらセッションしてくれるの?」

「その頃には……ここにいないわよ」

「ここにいない?」

「100年くらいはかかるって言いたいの。理解しなさいよ」


 カノンは俺が何かを言い出す前に部室から出て行った。

 ここにいないって言うから、深刻なのかと思ったのにただの嫌味かよ。だが、プラスに考えればこれが出来ればセッションしてくれるという事だ。

 改めて楽譜を見直す。心を打ち砕く辛辣な言葉の数々に、ストレス解消に使われたんじゃないだろうかと思ってしまう。しかし、


『テンポは安定している。メトロノームなしで基礎練習すること!』


 タイトルの下に控え目で丸い文字でそう書かれていた。素直じゃない奴だ。

 言われた通り、気を取り直してメトロノームを動かさず蟹奏法を始める。遠い彼女の背中に一歩ずつ近づくように。

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