第二話
鈴葉と一緒に楽器店に行く約束をしたのだが、鈴葉はクラスの用事があるらしく待っている間、部室で時間を潰すことにした。
音楽の墓場について詳しく知りるいい機会だろう。
その前に勢いで入部すると言ってしまったがジャズなんて敷居の高い音楽が俺にできるのだろうか。まあ、音楽は初心者なんだしジャズもロックも関係ないと言われればそれまでだけど。
部室棟の三階に上がり閑散とした廊下を歩く。
昨日は気が付かなかったが、部室棟三階に部室を持っているのは三軽だけだった。三階の部屋はどれも空きばかりで足音が反響するほど物静かだ。これも墓場と言われる所以だろうか。
「失礼します」
「待っていたよ。ヒロ君。ベースはそこに置いて」
「お待ちしておりました。どうぞ。こちらへお掛けになって」
部室に来てみればそこには亀田先輩と、昨日笑い転げていた小川(おがわ)さら先輩しかいなかった。
誘導されるがまま用意された椅子に座り、昨日は見る余裕がなかった部室の内装を見回す。
広さは普通教室の半分くらいといったところ。しかし、ドラムセットやピアノ、ギタースタンドなど音楽団体特有のものが置かれており、お世辞にも広いとは言えない。そして何より大量の楽譜類が床や机、ピアノの上にまで散乱している。潔癖症でなくとも、この部室に長居したいとは思わない。
「どうぞ。わたくしのオリジナルブレンド茶ですの。お味は保障できませんが」
小川先輩は丁寧な所作で小洒落たカップにお茶を注いでいく。
口調からして何やら企んでいる事は明白だが、無下に断るのも悪い気がして土色の液体が注がれたカップに口を付ける。
「……全体的に渋いですけど何故か喉をすんなり通って行きます」
「お口に合って良かったわ。ふふふ」
笑う所作も口調も上品に振る舞っているが小川先輩が本来そういった人物でないことは昨日の事で知っている。しかし、そこに触れては負けな気がする。
「その辺の雑草で淹れてみましたが、平気みたいですね」
「保証できないのは味だけじゃない!」
無視すると決めたのに思わず突っ込んでしまた。何とも言えない敗北感。
「ふふ、大丈夫よ。死にはしないから」
大丈夫の基準が低すぎる。どこまでが本気なのかわからないが、さすがに雑草のお茶は冗談だろう。
キャラが濃すぎる。さすがカノンや鈴葉といた人たちを束ねる部長というべきか。
「ところで他の部員の方はどこに?」
小川先輩では話になりそうにないので、一歩離れて見守っていた亀田先輩に訪ねる。
「鈴ちゃんは何か用があるから遅れるって。カノンちゃんは防音室、あきちゃんはバイトだと思うよ」
「いえ、そうじゃなくて。他の」
「部員はそれだけだよ」
「え? だって昨日のメガネかけた」
「あの子は吹奏楽部の部長で唯敷律希(ただしきりつき)さん」
「ちなみに一緒にいたゲス野郎は吹奏楽部兼文化連合会の顧問よ」
会話に割り込んだ小川先輩は一族郎党の敵の如く吐き捨てる。
「ゲス野郎は言いすぎだよ。向島(むこうじま)先生の言っていることは一理あるんだし」
「そんなこと仁に言われなくてもわかってるわよ。だけど、何かにつけていちゃもん付けてくるし、あいつの上から目線の態度が気に食わないの。この前なんてOBが起こした問題を掘り出して、ねちねち……ねちねち」
「何があったんです?」
「屋上から無許可で部員募集の垂れ幕を下したのよ。屋上の閉鎖はそれが原因って言われてるわ。だけどそれは私たちが生まれる前の話。そんな大昔のことの責任なんて時効に決まってるじゃない」
「その時から部員は少なかったんですね」
「ロックに比べたら、ジャズは敷居が高いし、素人には手を出しにくいジャンルだよ」
亀田先輩の言うとおり、ジャズは素人にはとっつきにくい。熟練のおじさんたちがやっているイメージだ。
「そういえば、友人がここの事を音楽の墓場って言っていたんですけど、どういう意味ですか?」
俺の質問に部室の空気が一気に張り詰める。聞いてはいけない事を聞いてしまったのかもしれない。
「他の部に居場所がなくなって、それでも音楽を諦めきれない人が最後に辿り着く場所。故に音楽の墓場。初めからこの部に入ってきたのは君だけだよ」
ということはカノンも何処にも居場所がないという事だろう。昨日見たカノンの顔を思い出す。悲しい顔をするのは一人で演奏しているときだけなのだろうか。
「お二人もそうなんですか?」
「そうだよ。みんな色々あってここにいる。まあ所詮、高校生バンドなんだし気楽に行こうよ」
いつも爽やかな亀田先輩らしからぬ冷たい笑いを浮かべながら、他人事のように話す。
それが気に食わなかったらしい小川先輩は亀田先輩に食ってかかった。
「何が所詮高校生バンドよ。本気でやっちゃいけない理由になってないんだから。部活は仲良しクラブじゃないの。間違ったところを間違ったままにして恥をかくのは自分じゃない。バンド全体が恥をかくの。それをわからない奴らが多過ぎ。下手くそなくせに他人の批判は一人前にして……あー何かむかついてきた! 仁、鎌出して。野草刈ってくる!」
「ほどほどにしなよ。用務員さんが僕の仕事が取られたって嘆いてたから」
亀田先輩はいつものことの様に鍵の掛かったロッカーから草刈り用の鎌を取り出す。小川先輩はそれを乱暴に受け取ると部室を出て行った。
ここが墓場と言われる理由と変人しか集まらない理由がなんとなく理解できてしまう。となると俺も周りから変人だと思われるのかな。しかし、そんな事はどうでもいい。
「後悔してるでしょ?」
「全くしてないです」
ふと、どこからかトランペット音が漏れ聞こえて来る。窓の外に視線を逸らすと、向かいに見える防音室にカノンの姿が見えた。まるで鳥籠の檻に囚われた小鳥の様
で、檻から出してくれる誰かを待っているように見えなくもない。
「カノンはどうしてこの部に入ったんでしょうか」
「それは本人しかわからないよ。だけど初めからあんな風だったわけじゃないんだよ。去年に色々あってね」
「色々ってなんですか?」
「それは僕が言う事ではないかな。そういえば、そのお茶。本当に雑草のお茶なんだけど大丈夫?」
「今のところは……」
本当に雑草のお茶だったのか。後で腹痛に見舞われないだろうか。
「ところでヒロ君はどうするの? それ」
壁に立てかけたベースを指す。ソフトケースに入れらたベースはひっそりと眠るように壁にもたれている。
「迷ってます。昨日、色々調べてベースが重要なのはわかりましたが、実感がないので何とも、でも外見は気に入っていますしできればこいつを弾いてみたい気持ちもあります」
「こいつを弾いてみたいか」
俺の言葉を復唱して笑みを浮かべた亀田先輩はて紙コップにお茶を淹れる。
「なかなか良い感性をしているかもね」
「感性、ですか?」
「所詮、楽器は音を出すための道具に過ぎない。だけど、ヒロ君はそのベースの事を物とは思っていないんじゃない?」
言われてみれば確かに、初めから道具として接した覚えはない。これから苦楽を共にする相棒のような感覚だった。
「でも、地味……ですよね」
派手さを求めているわけではないが、俺はカノンの隣で音を奏でていたい。音楽の根底を支えるベースにその役割があるのだろうか。
「ベースは地味ではあるけど、どの音にも寄り添うことが出来る必要不可欠なパートだよ。それがわかっているからカノンちゃんは昨日わざと地味なんて言葉を使って、遠ざけたんだよ」
亀田先輩は不敵な笑みを湛えながらお茶を口にする。
促されても。二つ返事をすることができなかった。必要不可欠なパートだからこそ、初心者の俺がやって良いものなのか。という迷いもある。
「ヒロくんお待たせ」
「言われた通り持ってきた? お年玉貯金」
「持ってきたけど、そんなに多くないぞ」
「大丈夫だよ。そこまで高いのは買わないから。早く行こっ」
駆け入るように部室にやってきた鈴葉は遠足前の小学生のようにはしゃいでいる。
ベースをやるかどうか悩んでいることは言える雰囲気ではなかった。
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