マイ・フェイヴァリット・シングス

第一話

勢いのまま入手したベースを翌朝教室に持っていくと、甘い匂いにつられた虫のようにクラスメイトが集まってくる。幸い怪我のおかげで「弾いてみせろ」などと入れずに済むだろうが、こいつがベースである事を理解できている人間はどれだけいるのだろうか。

「モテたいのか?」

「ヒロは水泳の方が似合ってと思うぞ」

「わかる。水属性って感じだよな」

「勝手に属性つけるな。それに俺はモテるために始めたわけじゃないんだよ」

『いやいやいや』

 一同そろっての否定は何なんだ。

「高校生がバンドを始める理由にモテたい以外の何があるんだよ」

「なんでもあるだろう。そんなもん」

「ないね。格好良い事言っても実はモテたいが為に始めたっていうのが真実さ」

「そんなことないだろう」

 そもそもバンドやってるやつがモテるなんて誰が決めたんだか。真摯に向き合っている姿が格好いいのであって、弾いてる姿が格好いいわけじゃない。

「ところでどこに入った? 一軽? 二軽?」

「いや、三軽だけど」

 興味津々だった取り巻きの表情が一瞬にして凍りつく。それと同時に一歩俺から距離をとった。

 おいおい、なんだよ。触れちゃいけないものに触れちゃった。みたいな雰囲気は。

「冗談はよせよ」

「本当だから。水泳部を休部してあそこに入るって決めた」

「今からでも遅くないから水に戻れ。肌が乾いたら死んじまうぞ」

「俺は河童か!」

「ジャズなんて古臭い音楽やって、おまけに変人しかない。あそこは音楽の墓場って言われてるんだぞ」

「ちなみに……」

 取り巻きの一人が俺の耳元に近づき、声を潜めながら窓際の席を指差す。

「戸神さんも三軽らしいけど、明らかに普通じゃないからな」

 指された席を肩越しに見ると戸神は席に座ってヘッドホンで音楽を聴いている。曲に合わせてなのか右脚が規則的なリズムで床を打っていた。

 今日も健気なゆるふわショートで髪を整え、クールよりも冷たいコールドな雰囲気を醸し出している。

 確かに普通とは少し違う。というより同じクラスだったことに驚いた。

「三軽にはあんなのがごろごろいるって噂だ」

「そんな魔窟みたいな言い方」

「いやいや、あそこは魔窟だぞ。それに文化連と何度もトラブっているらしい」

 文化連の噂は体育連にも届いている。

 実績の伴わない部や幽霊部員のいる部は即廃部。例外は一切許さない。

 アイドル研究会の友人が学校活動にそぐわないとかで潰されたと嘆いていた。

 火のない所に煙は立たぬというし、何かがあるのは確実だな。

「お前あれだろう。あの有名人が目当てだろう」

「有名人?」

「とぼけるなよ。久瀬カノンのことだよ。あれはマジでやばいぞ。勢いで告った奴が何を言われたかしらんが一週間寝込んだ挙句、もう恋なんてしないって言ってたから」

 どんなふり方をしたのかは容易に想像ができる。お気の毒に……気にするなと言ってやりたい。カノン本人もそこまで傷つける意図があったわけではないだろう。

「悪い事はいわないから。無難に二軽にしとけ」

「音楽の墓場じゃモテるどころか学校生活が終わるぞ」

「ヒロがどんな変人になろうとも俺は友達だからな」

 思い思いに言いたいことを言って席に戻って行く。

 俺は入る部活を間違えてしまったのだろうかと思うのと同時に、俺がどれだけ世間に疎かったのか実感する。それと音楽の墓場ってどういう意味だろう。

 もう一度、戸神を見たが俺たちの会話なんて聞こえているわけもなく、今にも寝てしまいそうな顔で右脚は床を打ち続けていた。

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