第三話

「じゃあ、案内するから、ついて来て」

「はい」

「……」


 背の高いイケメンな先輩に先導されながら、俺はヘッドホンを付けた無口な女子と一緒にスピーカーを運んでいる。


「いや~エレベーターが故障なんてまいっちゃうよね」

「そうですね」

「……」


 数分前に出会った、イケメン先輩は屈託のない笑顔を向けてくる。

 どうしてこんなことになったのか。俺は鈴葉のライブを見に来たはずなのに。

 遡ること三十分前。

 俺はホームルーム終了と同時に、校舎と併設するように建てられた巨大な鳥籠のような建物へと向かった。

 本校の名所とされている音楽堂。

 なんだかんだで楽しみにしていた俺は、興奮気味で向かうと、丁度エレベーター故障のトラブルで終わっていない機材運びに出くわしてしまったのだ。

そんな状況に出くわして


――俺は施設を見学してますんで、頑張ってください――


なんて言えるわけがなかろう。こうして今に至るわけである。


「でも、共同作業だからそんなに大変じゃないよね?」

「ま、まあ」

「……」


 結構、重いんですけど。 

 自分から手伝いますと言ってしまった手前、あまり弱音は吐けない。


「このスピーカーいっぱいつまみがついてますね」

「これはアンプと言ってスピーカーとは少し違うんだよ」

「へー、アンプですか」


 鈴葉がそんなことを言っていたような気がする。


「これかなり高価だから壊したら弁償だよ」


 脅してくれますね。

 ところで、どうしてあなたはそんな軽そうな荷物なのかと問いただしたい。

 一緒にアンプを運ぶ女子は表情を一切変えずに、一定のリズムと一定の歩幅で淡々と歩いている。機械の様に隙のない動きは話しかけることも憚られた。それにヘッドホンしてるから聞こえてるかも曖昧だし。


 ゆるふわショートが与える和やかさを台無しにしている。全体のパーツも悪くないし、笑ったりしたら可愛いんじゃないだろうか。


「あれ? 小ホールを使うんですか?」


 壁に貼られた案内板には進行方向に向かって矢印が伸び、そこに小ホールと書かれていた。


「そうだよ。大きい方は吹奏楽部の所有物みたいなものだからね」

「へーそうなんですか」


 きっとこれは皮肉を言っているのだろうがその辺の事情には疎いので、適当に笑って帰すしかなかった。


「ここから階段だから、踏み外さないように気をつけて」


 そう言って先輩は俺たちの前を先導するように、ゆっくりと降りはじめる。

 足元が見えづらく、おまけにバランスもとりづらい。踏み外して落とすことがあればにこやかに笑う先輩ごと下まで落としてしまう。張り付けたような笑顔が無言のプレッシャーとなっている。

 無事に地下の小ホールまでアンプを運び、ホールで待機していた部員に引き渡す。


「ごめんね。いきなりこんなことさせちゃって」

「大したことないですよ。普段から鍛えてますから」

「頼もしいね。そういえば自己紹介がまだだったね。僕は第三軽音楽部所属の亀田仁(かめだじん)と言います。よろしく」

「同じく、戸神彰保(とがみあきほ)。よろしく」


 共同作業の相手は与える印象とは異なる、ソプラノ寄りの可愛らしい声の持ち主だった。てっきりこのまま無言で押し通すと思ったので少々面食う。


「速水大海(はやみひろみ)です。今日は鈴葉に誘われて来ました。三軽ってことはお二方とも鈴葉と同じ部活なんですね」

「そうだよ。鈴ちゃんならあそこ」

「これは三番に繋いで、こっちは四番。それから――」


 鈴葉は舞台で的確な指示をだして、準備を進めている。のんびりとしている普段の印象とは違っていた。


「張り切ってますね」

「そうだね。若干空回りしてる所もあるけど良くやってるよ。一軽と二軽に声かけて小ホールまで借りてさ」


 まるで他人事とでも言わばかりの台詞だった。


「これって毎年やってるんじゃないんですか?」

「新しい取り組みなんだよ。部活の垣根を越えた新入生勧誘ライブをしましょう。って鈴ちゃんが企画してさ」

「そうなんですか……」

「ベースアンプは? 時間押してるよ。それから……あ、先輩。こっち手伝ってください」


 こちらに気付いた鈴葉が俺には目もくれずに先輩を呼ぶ。


「今行くよ。じゃあ僕とあきちゃんは鈴ちゃんを手伝うから。ヒロくんはロビーに運ぶものがないか見て来て。なかったらそのままこっち来て良いよ。特等席用意しておくからさ」


 そう言って先輩は戸神を連れて舞台の方へ行ってしまった。

 俺のあだ名を知っていた。あの人、初めから俺の事知ってたんじゃないだろうか。

 確かめようのない事を考えても仕方ないので、言われたとおりロビーに戻ることにした。

 鈴葉は天然でアホな子に見られがちだが、一度決めたことは何があっても曲げない芯の強さを持っている。きっとこのライブを企画した、明確な理由があるんだろうな。

 俺をこのライブに強引に誘ったということは何かを伝えたい事があるという事だろう。得られるものがあれば良いのだけれど。


「何だろう。これ」


 階段の踊り場で可愛い猫のイラストが刺繍された革袋を拾う。

 巾着にしては小さすぎるし、中身が入っていない。だが、こんなに立派なものを捨てるとは考えにくい。一応、届けておくか。

 届けることを決意し、階段を上りきろうとしたところで、俺の時間は停止した。

 上げた足を下すことも、吸った息を吐くことも、瞬きをすることも、その全てが目の前にいる女の子によって妨げられた。

 目の覚めるような金色の髪を愛らしいツインテールで纏め、天窓から降り注ぐ日差しは彼女のミルク色の肌を一層際立たせる。全体的に小さな身体はか弱さを演出し、こちらの保護欲をどうしようもなく駆り立てる。彼女の周りに妖精が舞っていても何ら不思議ではない。異界から逃れてきたお姫様。そんなフレーズがぴったりはまってしまうほど彼女は異質だった。

 壁にかかった写真を物憂げに見つめていた彼女はふと、頬を緩めて髪を揺らす。


「すみません! 通りますっ!」


 彼女に見とれていた俺は、急いで荷物を運ぶ生徒の邪魔になる。そんな俺に気づいた彼女は飴を溶かしたような琥珀色の瞳をこちらに向けた。


「あっ!」


 一泊の沈黙の後、悲鳴にも似た声を上げて彼女は駆け寄ってきた。


「返して!」


 困惑する俺から革袋を乱暴に奪い取る。

 あれ? 様子がおかしい。

 琥珀色の可愛らしい瞳は人を射殺すための道具と化し、俺をその場に張り付けにさせる。


「えっと……」


 戸惑う俺を尻目に彼女は革袋の中身を確認する。拾った相手に対して失礼極まりない態度だった。

 イメージはドミノ倒しのように崩壊していく。


「ない……」

「俺は何も取ってないぞ」

「別にあんたが取ったなんて誰も言ってない」


 言ってない割には態度や視線が俺を責めている。

 彼女は身を屈めて至る所を探し始める。ベンチの下、自販機の下の隙間、ゴミ箱の中まで。


「どうしよう」


 耳当たりのいい柔らかな声が震え、今にも泣きだしてしまいそうだ。


「探すよ。物は何?」

「別に良い。自分で探す」


 半泣き状態で言われても迫力なし、それに素直に従うほど俺は薄情じゃない。

 とりあえず何かわからないけど床に手をついて這うようにして探す。

 革袋の中に入れていたのなら近くにあるはず。

 それは直ぐに見つかった。

 蛍光灯の光を反射する漏斗のような何か。それが何なのか俺にはわからない。

 階段の踊り場に降りて、蛍光灯を反射するそれを拾おうと身を屈めると、


「さわらないで!」


 勢いよく踊り場に飛び降りた彼女によって蹴り飛ばされ床に倒れ込んだ。


「何すんだよ」

「汚い手でさわろうとするからよ」

「自分の手だって同じくらいに汚いだろうが。さっきゴミ箱あさってたし」

「私は良いのよ。私のなんだから」


 蔑むように見下して吐き捨てる。少し外見が良いからって、中身を疎かにしすぎだろう。やっぱり神は二物を与えなんだな。しゃべらなければ可愛いのに。


「でも、一応はお礼を言っておくわ……ありがとう」

「そんな悔しそうな顔してお礼言う奴、初めて見た」


 思わず笑ってしまう。性格は曲がっているかもしれないが、悪くはないのかもしれない。


「どうして笑うの!」

「何となく笑いたかったから」

「あなた生意気ね。なかなか面白いわ」


――小さいくせに態度はでかい。生意気はそっちだろ――


 そう言い返すつもりだった。しかし、雲の切れ間から覗いた日差しのような微笑みに見惚れて固まってしまう。

 飴と鞭、天国と地獄、ギャップ萌、そんな言葉が宙を飛びかい、彼女を見つめた状態で固まっていた、その時だった。


「うわあっ!」


 彼女の後ろ、上階からさっきよりも一回り大きいアンプを運んでいた男子生徒が、段を踏み外し抱えたアンプを放り出してしまう。


「あぶない!」


 咄嗟に彼女の華奢な身体を引き寄せ後ろに回す。突然の事でバランスを崩した彼女は尻餅をついて小さな悲鳴を上げた。

 それに気を取られ、正面で受け止めるはずだったアンプを右腕で受けてしまう。かなりの衝撃と共に右肩と腰に感じたことのない激痛が走り抜ける。

 無音の一拍をおいてから、辺りにどよめきが起こる。


「大丈夫ですか」


 慌てて男子生徒たち駆け寄ってくる。


「平気、平気、普段から鍛えてるから。それより機材は壊れてない?」

「つなげて見ないと何とも言えないですけど……」

「本当に身体の方は大丈夫なんですか?」


 男子生徒二人は血の気が引いて真っ青になっている。


「本当に何ともないから。はやく運んだ方が良い。開始時間に間に合わなくなるよ」

「ありがとうございます」

「すみません。失礼します」


 男子生徒二人は深々と頭下げて慎重に運んでいく。騒ぎにならないように出来るだけ平静を装った。そのおかげか周囲の動揺もすぐに治まり各々の仕事に戻って行く。


「大丈夫か?」


 尻餅をついたままの彼女に手を差し伸べるが、彼女は差し伸べられた手を無視して自力で立ち上がった。


「別に……」


 彼女は拾った漏斗のような物を固く握りしめて、俺の顔から目を逸らして言う。


「助けてくれなくてもよかった」


 強がりだとか、そういうことではなく本気で彼女はそう思っている。一瞬だけ見せた儚い表情が物語っていた。


「なんだそれ。まるで死にたいみたいな言い方だな」

「別にそんなんじゃない」

「どっちだって良いが、自分のことも大切にできないから、大切なものを失くすんだ」


 彼女が握りしめている物を指さしながら言ってやる。

 どうして俺は出会ったばかりの彼女にそんなことを言うのか、自分でもよくわからなかったが、きっと同族嫌悪みたいなものな気がする。彼女も何かに行き詰っているように見えた。


「その通りかもね」


 彼女はふと儚い表情を見せる。正しい事を言ったはずなのにどうしてかこちらの心が少し傷んだ。


「君、名前は?」

「私の名前知らないの?」

「知ってるわけないだろう。初対面だし。俺は超能力者じゃない」


 至極当然のことを言ってやると、鼻を鳴らして顔を逸らした。


「ふんっ、人に名前を聞くならまず自分から名乗るのが礼儀でしょ」


 いちいち鼻につく言い方をする。争っても仕方ないのでこちらが大人になることにする。


「俺は速水大海。で、そっちは」

「ヒロミ……あなたってもしかしてヒロ?」


 自分の名前を名乗らず彼女は俺のあだ名を口にする。


「そう呼ばれてるけど俺のこと知ってるの?」

「すずの話でよく出てくる」


 すずとは鈴葉のことだろう。ということはこの子も三軽なのか。


「ふーん。思ってたより普通ね」


 なんだその感想。どっちの意味で思っていたのか気になる。

 俺の名前を知った途端に少しだけ警戒レベルが下がる。値踏みするように見つめる彼女はいくらか頬を緩め、それに合わせて周りの明るさも華やいだ。


「それで君の名前は?」

「カノン……久瀬(くぜ)カノン。まさか、こんな短期間で二回も助けられるなんてね。またどっかで会いましょ」


 少しの躊躇いを混ぜて彼女は名乗ると慎重な足取りで階段を降りていく。


「あの……久瀬さん」

「なに? もう用は済んだでしょ。お礼は今度ちゃんとするわ」

「そうじゃなくて」


 彼女は俺の数段下で不遜な態度で腕を組む。


「治療費、後で払うから」

「は?」

「強がってもばればれ。早く病院に行かないと、どうなっても知らないから」


 彼女は俺の嘘を簡単に見抜いていた。


「それはお互い様だろ」


 聞こえないように彼女に向けて呟く。きっと倒れた時に挫いたのだろう。隠そうとしているが少し足を引きずっていた。


 濃厚な数分間が嵐の様に過ぎ、彼女の姿はどこにもない。まるで幻だったかの様に跡形もなく、あるのは身体の内側から響く悲鳴だけ。


 人目に付かないところを探してトイレに逃げ込む。個室に入ったところでようやく一息つくことができた。


 腰の方は痛みからしてそこまで問題ではない。市販薬を塗って安静にしていれば二、三日で治る。問題なのは右肩の方だった。先ほどから垂れ下がった状態で力が入らない。呼吸をするたびに右肺に刺さるような痛みも感じた。


 この事が公になれば主催した鈴葉に迷惑がかかる。

 鈴葉には悪いが用事ができたと嘘をついて帰ることにしよう。早く病院にも行った方が良いし。


 痛みが多少引いてきたところで小ホールに向かう。

 重たい防音扉を開くとすでにライブは始まっていたようで、身を震わす程の爆音が轟いた。

 照明と聴衆の視線を一点に集めたボーカルが、煽るように声を張り上げV字型のギターをかき鳴らす。

 ステージ際まで押し寄せた聴衆達はそれに合わせて腕を上げて飛び跳ねている。百人以上を収容できる広さがある小ホールが熱気に包まれていた。

 一心不乱に演奏する彼らに身体の痛みを忘れて見惚れてしまう。映像で見るのとは全く違う臨場感。音や空気が形となってこちらにぶつかって来る。


 これがライブというやつなのか……

 唐突に鳥肌がたち、息をのむ。


 聴いたことのない曲で、言葉の意味も理解できないが、音が俺の中に入って暴れまっている。

 ジャンルは全く異なるが、この感覚はあの曲に出会った時と似ていた。

 上手いのか、下手なのか、素人の俺には分からない。

 だけど純粋に音楽を楽しんでいる彼らが強烈に焼き付いた。

 演奏の余韻をかき消して、割れるような歓声が沸き起こる。


「ヒロ君じゃないか。どこに行っていたのさ。ほらステージの前に行こうよ」

「いえ、俺は、ここで」


 俺を見つけた亀田先輩はテンションマックスの聴衆の中へ引き込もうとする。俺もあの中に入って楽しみたいと思うが、とてもじゃないが混ざれる状態ではなかった。


「そうか……君もそっち側か」


 言われて辺りを見渡してみると、壁にもたれかかって聴いている人がちらほらといた。

 その中の一人におさげの三つ編みを前に垂らし、見るからに優等生な女子を見かける。

 あんな子でもこういう音楽を聴くのだな。


「まあ、ステージの演者と一体になって盛り上がるのもよし。後ろから純粋に演奏を見て聴くのもよし。楽しみ方はそれぞれだよ」


 演奏が再開し、自分の声さえ聞こえないほどの爆音がホールを包む。


「あの」

「え! 何!」

「鈴葉! 見ませんでしたか!」

「鈴ちゃんなら! 舞台袖でPA!」

「じ~ん~、早く~」「こっちで盛り上がろうよ!」

「今行くよ!」


 言い終えるのと同時に先輩はギャル二人に連れられて聴衆の中に消えていった。

 PAの意味がわからなかったが、どちらにせよ舞台袖にいるのでは声をかけることはできない。メールを入れてこのまま帰ることにした。


 小ホールを出ると中の騒ぎが嘘のように静けさが漂っている。

 それにしても、いつも鈴葉の喫茶店で聴いている音楽とのギャップに驚かされた。

 鈴葉がステージ上で、はじけるような笑顔で音を出しているところを想像する。まさかカノンもあんな風に……


 静けさが耳に刺さる校舎であの曲が頭の中で鳴りはじめる。

 あの曲を演奏していたあの人も幸せな顔をしていた。桜が春風に乗って舞う空をバックに金色のトランペットを吹いて。

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