5.焦れったい

「ミコト……あんた、本当に気づいてないの?」


 扉が開きもしない屋上前の階段など誰も来る事は無いが、一階まで続く階段であるから声は響く。自ずと京華の声も抑え気味であった。


「気づいてないって……何が?」

「はぁ……呆れた……。ここまでとは重症ね……」


 京華の顔には失望の色が浮んでいた。

 一方、ミコトは本当に分からないらしく、何度も何度も首を傾げている。その様子はまるで無垢な幼児のようだ。


「さっき八雲が雲辺寺花蓮に何を言われて、どう答えたか……」

「京華、聞こえてたのか⁉︎」


 閉め切られたドアの外側で中の様子を窺っていただけだから、ミコトには八雲たちの会話など殆どが不明瞭で何を話しているかなど想像もつかなかった。

 あの会話が聞こえていたのであれば、京華はどこかに盗聴器でも設置していたのではないか……と疑いたくなる。

 しかし、京華の答えはミコトの考えているような如何わしい方法でも何でも無かった。


「そんなわけ無いでしょ。断片的に聞こえた声と花蓮が立ち去る前に言ったひと言で大体想像はつくわよ」

「んん? そう言えば、あたしの事を羨ましいとか言ってたな。あいつ……まさか妹と一緒で、あたしに憧れてるのか⁉︎」


 ミコトはブルッとひとつ身震いさせる。雲辺寺伊予が自分の事を憧れているのなら可愛いものだが、いつも目の敵にして突っかかって来る姉の雲辺寺花蓮が自分に憧れているというのは考えただけで気色が悪い。

 だが、「何でそうなるのよ」と京華にチョップを食らった。

 そうでは無いらしい。


「さっき八雲はね……雲辺寺花蓮に告白されたのよ」

「ああ、なるほど……告白だったのかぁ……って、はぁぁぁぁぁっ⁉︎」


 思わず素っ頓狂な大声をあげる。

 京華は「大声出すんじゃないの!」と再びミコトの頭にチョップを食らわせた。

 さすがに休み時間も終わり、既に次の授業が始まっている頃だ。こんなところでサボっているところを誰かに気づかれてはマズイ。


「やっと飲み込めたようね。それで八雲は断ったから花蓮は去り際にあんな事を言ったわけよ」

「え? ええ? どうしてそこで、あたしが羨ましいなんて事になるんだ?」


 すると京華は三度みたびミコトをチョップ。

 その度にミコトは「オウッ!」という悲鳴をあげる。


「あんた……とことん鈍いわねぇ……。鈍重にも程があるわ。脳みそに甲冑でも着込んでるんじゃないの?」

「酷い言い種だな……」


 ミコトは苦笑いを浮かべる……が、確かにこの時点でも理解し切れていない以上、それ以上の反論は出来なかった。


「八雲はね……まあ、いいわ。そこはアタシの口から言うような事じゃないし……」

「何だよ。思わせぶりな」

「八雲の断った理由よりも、今はミコト! あんたの事のが大事よ!」


 そう言って人差し指をミコトの鼻先にズイッと突きつける。

 ミコトは銃口を向けられた者よろしく、僅かに両手を挙げて上体を反らせた。


「あ、あたしの事って……?」

「好きなんでしょ? そろそろハッキリ結論出しなさいよ!」

「は、はあっ⁉︎」


 またぞろ一階まで聞こえんばかりの声をあげる。

 ここへ来て、ようやく察した。

 これはミコトの恋愛話だ。同時に八雲は雲辺寺花蓮に対して「ミコトがいるから」と断ったに違いない。

 それだから花蓮は「筑波ミコトが羨ましい」と言い残して去ったのだ。

 ミコトの頭の中でようやく全てが繋がった。繋がったのは良いが、その途端、頭が沸騰しそうな程に熱くなる。


「ば、ば、馬鹿な! な、なな、なに言って——」

「今さら否定したって無駄よ。あんたが八雲の事を好きなのはとうにお見通し。あんた達と何年付き合ってると思ってるのよ」


 からかうような皮肉めいた笑みを浮かべている京華にミコトはもはや、ぐうの音も出なかった。


「何があったか知らないけど、最近のミコトを見てると焦れったいのよねぇ。八雲の事大好きオーラ出しまくってるのに、一歩も先に踏み出そうとしてないって言うか……。ウブな小学生か! って言いたくなるわ」

「小学生はあんまりだなぁ……。てか、そんなオーラ出してるか?」

「そりゃもう露骨なくらいにね」


 知らぬは本人ばかりと言ったところであろうか。

 それでもミコトは僅かに顔を紅潮させながらも、どこか浮かない表情を見せる。

 自分でも戸惑いがあった為だ。


「正直に話すとさ……あたし自身、よく分かってないんだ。こんなこと言うと幼いとか思われそうで嫌なんだけど……こ、恋とかいう感覚がどういうものなのか……イマイチ分かってないって言うか……」


 照れ臭そうに階段の下を見つめつつ、ミコトはギュッとスカートの裾を握り締めている。

 これがミコトの本音であった。

 自称「完全無欠」のミコトではあるが、内面的な幼さはクズに言われた通りであるし、自分でも少しは気にしているところである。

 恋人同士がどういう事をするかなどは、さすがに頭では分かっているものの、その前提にある恋愛感情というものが、この年になってもまだ分かっていないというのは、自分でもどうなのかと思っていた。


「でも、八雲の事を考えてるとドキドキするんでしょう? 意図的に目を逸らしたりしてるしさぁ」

「ま、まあ……それはそう……だけど……」


 徐々に声がか細くなって行く。

 普段のミコトならば逆上して真っ向から否定していそうなものだが、ここに居るのは自分の事を最も理解している親友の一人。そんな親友の前では『狂犬』も大人しく素直に認めるしか無くなっていた。


「ミコト……その気持ちが恋心ってヤツよ。だから今日の帰りにでも思い切って一歩踏み出しなさい! アタシ達は別々に帰って二人っきりにしてあげるからさ!」

「ちょ、ちょっと待て! え? き、今日の帰りになのか⁉︎ いくら何でも——」


 もじもじおたおたするミコトだったが、またもや京華が鼻先に人差し指を突きつけた事で、神経の凝結した顔のまま固まってしまう。


「あんた、そうやって先へ先へ延ばしてたら、八雲に別の彼女が出来ちゃうよ⁉︎ それでも良いの⁉︎」

「あ……うう……。そ、それは……困る……かも……」

「だったらモタモタしてないで即実行! いい? これはミコトに課せられたミッションだよ!」


 京華の剣幕に圧倒され、結局は頷くしかなかった。

 明日には結果を聞くと言うし、これはもはや逃れようも無い。


(えらい事になった……)


 ミコトが今まで生きて来た中で、最も難題であり窮地であろう。少なくともミコト本人はそう思っていたし、考えれば考えるほど気が重くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る