3.天敵の密談

 午前の授業終了を知らせるチャイムが鳴る。


「じゃあ、24ページにある計算問題の1と2は宿題にするぞ」


 数学の男性教師は教科書を開いて宿題として出した部分をパシパシと手で叩く。

 大した量では無いので、数分もあれば終わりそうな課題だ。


「羽黒ぉ! 忘れずにやって来いよぉ!」

「なぁ〜んでオレを名指しにしますかねぇ」


 鉄平は口を尖らせて不服を述べるが、それは仕方ない……と、誰もが思った。


「中等部の頃から見たって宿題やって来た時より、やって来てない時の割合のが多いだろ」


 ミコトが教科書、ノートを机の中にしまいながら後ろの席にいる京華に囁いた。

 京華もそれには同意見のようである。


「ニワトリと一緒なのよ。数歩歩いたら忘れる。だから自覚が無いんでしょ?」

「言うねぇ……」


 京華はこのように時としてミコト以上に手厳しい。

 まあもっとも……小テストの勉強をまるでやって来ていないのだから、京華も鉄平もどっこいどっこいだとは思うのだが……。


 そんなこんなで昼休みである。

 瑞木は今朝言っていた通り、昼食を取りもせずにそそくさと教室を出て行ってしまった。


「瑞木のやつ……近頃どうしたんだ?」


 ミコトと京華のもとへ鉄平がやって来て訊いた。

 彼もまた瑞木の様子がおかしいと感じていたようだ。

 もっとも、鉄平は頭こそ回らないが、元来さっぱりとした性格であるから、他人の抱える問題や悩みといったものに必要以上に踏み込む事はない。余計な事をして話を複雑にしてしまいかねない事を嫌って、本人が相談を持ちかけて来でもしない限りは、自分はあまり首を突っ込まない方が良いという事を本能的に分かっているのだ。

 その辺り、自分というものを最も理解しているのはメンバーの中でも鉄平が随一と言えるかもしれなかった。

 それでもミコト達にそれとなく訊いて来たという事は、鉄平自身、よほど不審に思ったのだろう。


「何だか忙しいみたいよ。理由は話せる時が来たら話すってさ」

「ほ〜ん……。じゃあ、しょうがねぇな」


 やっぱり、これだけで納得してしまう。鉄平とはそういう男だ。

 考えていないように見えて、実はちゃんと信用しているのだろう。だから必要以上には突っ込まない。そういうものだ。

 さて……瑞木の事は置いといて、これから教室を出て適当な場所で昼食を取ろうとミコトが席を立った時である。


「あれ? そういえば……八雲は?」


 八雲の席を見ると、いつの間にか彼の姿も無くなっていた。

 机の上に、中途半端に口の開いた鞄が置かれており、ミコト達を差し置いて昼食を取りに出た……という訳では無さそうだ。

 几帳面な八雲の事だから、そのまま鞄を机の上に放置して出るという事は無いのだ。

 それが慌てて出て行ったかのように、鞄を放置して忽然と姿を消している。


「小便でも行ったんじゃないか? あぎゃっ‼︎」


 ミコトは少しだけ頬を赤らめ、鉄平にローキックを見舞った。


「おまえ……もう少しデリカシーってものが無いのか!」

「そうだよ? アタシはともかく、ミコトも乙女なとこは有るんだからさ」


 ヘラヘラと笑っている京華にミコトは口をへの字にして不満を露わにする。

 妙に引っかかる物言いというか、どこか小馬鹿にされている気がしてならない。


「まあ、いいや。先に例の場所行って、八雲にはあとで通知入れとけば来るだろ」


 ミコトの言う「例の場所」とは、最近よく昼休みに使っているグラウンド隅にあるプレハブ小屋の裏だ。

 あまり人気ひとけのない穴場なので、他の生徒達がいる場所で大っぴらに言いたくないがゆえ、「例の場所」などという隠語を用いているのだ。


 仕方なくミコト達は三人で教室をあとにする。

 廊下に出て校舎の裏口手前に普段は使用されていない多目的ルームと称された空き教室がある。そこはもっぱら使われていない机や椅子などが置かれた、いわば物置代わりとなっているのだが、その多目的ルームに今日は珍しく人の気配があった。

 まあ、別に誰か用事があって使っているのかもしれないから、ミコト達は特に気にするでもなく、その前を素通りしようとする……が、チラッと横目で教室内を覗いて「あっ!」となった。


「ん? どうしたの?」


 急に先頭を行くミコトが立ち止まったので、すぐ後ろを歩く京華と鉄平は危うくぶつかりそうになる。

 ミコトは教室の中を窺いながら、口もとに人差し指を立てて「シッ!」と京華達を黙らせた。

 そして小声で、


「八雲がいる……」


 そう伝えた。

 よく見れば、それだけじゃない。


「あれ……雲辺寺花蓮じゃない? 二人で何してんだろ?」


 ミコトの位置からはすぐに分からなかったが、京華の言う通り、八雲と向かい合うような形で、積み上げられた机の陰にミコトの天敵である雲辺寺花蓮の姿が見て取れる。

 花蓮は潤んだ瞳で八雲を真っ直ぐ見据えていた。その顔はミコトの前では決して見せる事の無い、優しくもどこか哀しげな顔……。

 一方の八雲は少し困ったような顔をしている。


「なに話してんだ?」

「さあ……よく聞こえないな……」


 教室の戸が閉まっているから、中のやり取りは聞こえたり聞こえなかったりと不明瞭である。


「……には……がいるから……いんだ……。ごめん……」


 八雲が何やら花蓮に謝っているらしい事は分かった。

 すると花蓮は俯き加減に「そう……」とだけ答えて、八雲の傍をすり抜けると、ミコト達の立っている入り口へ近づいて来るではないか。


「わっ! ヤ、ヤバイ!」


 慌ててミコト達はその場から離れると、すぐ近くにある校舎の裏口を出て、その陰に隠れて息を潜める。

 幸い、花蓮はミコト達の存在に気づいてはいないようだ。

 彼女は多目的ルームを出るなり、顔だけ中の八雲に向けるど、


「筑波ミコトが羨ましいわ……ホント……」


 それだけ言って、ミコト達の隠れている裏口とは反対の方向へと去って行った。

 何があったのか……八雲に何を言われたのかは知らないが、花蓮の後ろ姿はどこか寂しげであった。


「どうしたんだ? あいつ……」


 ミコトは首を傾げる。

 だが、ミコトのすぐ後ろに身を潜めていた京華は何かを察していたらしい。


「そういう事か……。ミコト……あとで話があるから」

「はあ? 話があるんなら、今だって良いじゃないか」


 しかし、京華は焦れたように語気を強め、


「あんたと二人っきりで話さなきゃいけない事なのよ! ほんっと……どこまでも鈍チンなんだから!」


 吐き捨てるように言うと、さっさとグラウンドの方へと歩いて行ってしまった。

 一方のミコトはまるで分からないといったふうにキョトンとしている。そして「どういう事だ?」とでも言いたげに鉄平の顔を見上げるのだが、鉄平も「さあ……」とお手上げポーズをするだけであった。

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