2.おっとり娘は忙しい?

 この日の朝は珍しく登校中にミコト、八雲、京華、瑞木が揃った。

 別に事前に約束を交わしていた訳では無いが、偶然にも橋に差し掛かったところで全員が顔を合わせたのだ。


「今日、英語の小テスト有るって話だけどさ……やって来た?」


 京華の言う「やって来た」というのは、もちろん小テストに向けた予習の事だ。

 鉄平ほどでは無いにせよ、京華もあまり成績の良い方ではない。その所為か、テスト前になると必ずといって良いほど同じ質問をしてくる。


「そんなの当然だ」

「僕もそれなりに……」

「ウチもやれるだけやったよぉ?」


 成績トップのミコトはともかく、八雲や瑞木も平均以上ではあるので、大抵はこういった返答になる。

 もっとも、瑞木の場合はその天然ボケ属性が災いしてか、たまに全く関係無い範囲を勉強して来て、泡を食う事もあるらしい。


「アタシ、全然やって来なかったんだよねぇ」

「うん、知ってる」


 これがいつものパターンであるから、ミコトもわざわざ告白されるまでも無いと思っている。

 そして前置きの後に必ず京華が言う事は、


「ミコトォ〜。ノート見せてくれない?」


 このお願いをする為の前置きなのである。それも猫なで声で……。


「何で毎度毎度、あたしのノートなんだ」

「だってさぁ〜。ミコトのノートってツボ押さえてて、付け焼刃でもそれなりの点数取れるからさぁ〜」

「自分で付け焼刃とか言ってる時点でやる気の無さが前面に出てるな……。ある意味、清々しいまでの潔さだ」


 とは言っても、ミコトはジト〜っとした目つき。ただの皮肉である。


「その潔さに免じてさぁ〜。頼むよ〜」


 などと言って手を合わせるが、毎度毎度、拝まれたところでミコトは別に神様仏様になったつもりも無い。

 これまでは渋々見せてやっていたが、そろそろ厳しい態度で突っぱねてやらないと、京華がますますダメになる……と思った。


「テスト勉強なんてものは自分でやるもんだぞ。要点をまとめるのだって、本当は自分でやらなきゃ意味が無い。だから、あたしは京華の為を思って、今回ばかりは心を鬼にする!」

「心が鬼なのは今に始まった事じゃないでしょうに……」


 聞こえないようにボソッと呟いたつもりだったようだが、ミコトはキッと睨む。

 しかし、ミコトが折角、愛の鞭のつもりで言ったにも拘らず、その意図を察していない瑞木が、


「だったらウチのノート見せてあげようか?」


 などと言い出したから、ミコトは危うく前のめりにズッコケそうになった。


「み、瑞木ぃぃ! それじゃあ、あたしが何のために……」


 苦笑いを浮かべて瑞木に懇切丁寧に解いて聞かせようとするも、京華の「ええ〜」という、疑念と不平混じりの声がそれを遮った。


「瑞木って、たまに見当違いなこと書いてるからなぁ。信用していいの?」

「ひどいよぅ……」


 あまりに理不尽な物言いに瑞木は泣きそうな顔だ。

 しかし、さすがに京華も悪いと思ったらしい。背に腹はかえられぬといった様子で、


「う、う〜ん……じゃあ見せてもらうわ」


 とまあ、渋々ながらも承諾する。


「じゃあとは何だ! じゃあとは!」


 何故か上から目線の京華にミコトはすかさず突っ込むが、当の瑞木は「ホント⁉︎」と今泣いたカラスがもう笑うといった具合に満面の笑顔。


「「何だかなぁ……」」


 奇妙なやり取りについて行けないミコトと八雲は声を揃えて、そして同じように頭をポリポリと掻く。

 なんとも息がぴったりな二人だ。


「小テストって午後一でしょ? じゃあ昼休みに見せてもらうわ」

「あ……昼休みはちょっと……」


 瑞木は申し訳無さそうに言い淀む。都合が悪いらしいが、どうも様子がいつもと違う……。ミコトはひと目でそんな気がした。


「そういえば瑞木って、ここ最近、何かと忙しそうにしてるな。昼休みに気づいたら居なくなってたり、帰りもあたし達に何も言わずに姿を消してたりさ」

「え? ああ……うん……」


 まあ、帰りが別々になるのは部活に参加している瑞木の事だから、よくある事なのだが……。それにしては妙でもあった。

 瑞木は天然キャラで抜けたところのある子だが、ミコト達のグループから少しの時間であっても離れる際には、必ずと言って良いほど行き先や用向きを告げていたのだ。

 それこそミコトなどは「律儀過ぎやしないか?」と直前、瑞木本人に言った事もあるくらいである。

 それがここ最近は、いつの間にか姿を消している事が多い。


「ごめんね……」

「ああ、いや……別に責めてるわけじゃないんだ」


 沈んだ顔で謝られてしまうと、こっちが悪い事をしている気分になる。

 いつも優しい瑞木を責めるような真似はした事も無いし、する気にもなれない。

 それ故、自分の言った事で瑞木に落ち込まれてしまうとミコトならずとも京華だって八雲だって、あの鉄平ですら慌ててしまう。

 ただ、ミコトとしては瑞木の事が少し心配になっていただけなのだ。


「困り事でも有るのかと思ってさ……。言えないような事情が有るんなら、無理に聞こうとはしないけどな」

「う、うん……大した事じゃないよぉ。でも……今はちょっとゴタゴタしてるから……話せる時が来たら話すよぉ」


 その様子だと、どうやら部活などではないようだ。

 気にはなったが、あまりお節介を焼こうと踏み込み過ぎて大失敗をした前例がある。

 八雲を元気付けようと無理矢理お好み焼きパーティーを開いて、かえって溝を作ってしまったような、あの過ちは繰り返したくない。

 それなりにミコトもあの苦い失敗から学習していたのだ。


「そっかぁ……昼休みに勉強できないとなると……やっぱりミコトのノート見せて」

「結局、そう来るのか!」


 京華は甘える猫のように体を擦り寄せて来る。

 いやもう、気分によって態度をコロコロ変えるのが京華という女であるから、猫そのものと言って良いかもしれない。


「まったく……八雲に見せて貰おうって発想は無いのか?」


 すると京華はミコトの肩に手を回したまま、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてミコトに顔を近づける。


「だぁって……ミコトの邪魔しちゃ悪いじゃない?」

「はぁっ⁉︎」


 ミコトは目を白黒させる。

 京華がミコトの耳元で囁いたのは、そのひと言だけであった。恐らく、八雲や瑞木には聞こえていないだろう。

 が、たったそのひと言でミコトの「愛の鞭」という牙城は脆くも崩れ去った。

 心を鬼にしたつもりが、相手の心はそれを上回る鬼神だった……とでも表現すれば良いだろうか?

 所詮はノートを見せてやるという程度の事である。それと引き換えに、これ以上、ミコトと八雲絡みの話を膨らませてはいけない……そんな気がしたのだ。

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