第4話 鳴かぬ蛍が身を焦がす

1.おキツネさんはご立腹

 その日は朝から晩まで雨が降り続いていた。

 予報では夕方頃から晴れ間が覗き、月が見えるなどと言っていたが、夜八時を回ってもシトシトと一向に月が顔を見せる気配は無い。

 もっとも、この町は大きな都市部からは随分と外れた山間の県境だから、ニュース番組のお天気コーナーで言われる予報などは、あまりあてにならない。

 とはいえ、雨天の割りには気温が高く、家の中に居てもベタベタとしていて、不快指数の高さだけは我慢し難いほどである。

 夕食後、早々に入浴を済ませたミコトは部屋のベッドに仰向けになって天井を見つめていた。

 別に天井に何があるわけでも無く、特に意味があって見つめているのでも無い。

 ただの考え事である。

 暑苦しいので掛け布団も剥いで、胸に『Honolulu Police』と入った紺色のTシャツ一枚に、下は下着姿といったあられもない格好であった。


「ミコトよ……。状況はわかったが……何故なにゆえ、ワシにひと言も相談無く安請合いしてしまうかのう……」


 クズは怒っているような呆れているような、そんな口調であった。

 あれから丸二日が経過し、クズが目を覚ましたのは夕食前の事だった。

 伊予と化け狸たち、そして取り壊しの危機に瀕している廃寺に関しては、入浴中にクズに伝えた。

 が、さすがに「あたしに任せろ」と伊予に言ってしまった事を述べると、これまでに無いくらい厳しい言葉を浴びせられ、こうして今に至る。


「やはり此度は関わらぬ方が良い。おぬしには荷が重過ぎる」

「今さら、そんなこと言ったってさぁ……」


 あそこまで大見得切って「やっぱり無理だからゴメン」などと言える筈もない。

 さりとて、あの場で「自分には何も出来ない」と言えたかというと、伊予のあの様子を見ていて見捨てるなんて事、ミコトの性分からしてあり得ない事だ。


「大体、おぬしはいつも軽率なのじゃ! 後先を考えずに見栄を張るから、こういう事になる! その辺りは少しも成長しとらん様じゃな!」

「だぁぁぁ! うるさいうるさいうるさぁぁい! だったら、おまえには頼らないから黙ってろ!」


 枕をひっ掴み、飛び回るハエでも追い払うかのようにバタバタと振り回す。

 けれど内心はクズにそっぽを向かれては困るのだ。困ると分かっているのに、意地っ張りなミコトは「ごめん」のひと言が言えない……いや、言うタイミングを逃してしまっているのである。


「黙れと言うのであれば黙っておるがの……」

「う……」


 ミコトの性格を熟知している所為か、こういう時のクズは容赦が無い。内面的に幼いところのあるミコトだから、まるで駄々っ子と大人である。

 どうせ妙案が浮かぶ事など無いと分かっているから、敢えて放任しているのだ。

 結局、困るのはミコト自身である。


「ああぁぁぁ! こう暑っ苦しいと考えも纏まらん!」


 エアコンは室外機にカバーが掛けられている為に、まだ使用できない。

 仕方なくベッドを下りて窓を開けてはみたが、風とともに雨が吹き込んで来るので、すぐに閉めた。

 諦めてドスンとベッドに腰を下ろす。

 その間にクズが何か言ってくれないかと期待して黙っていたが、クズはミコトに言われた通り、あれっきり沈黙を守ったままだ。


——ピロン!


 その沈黙を破るように机の上に置いてあったスマホが鳴った。SNSの通知音である。

 手に取ってみると八雲からのメッセージが入っていた。

 八雲のアイコンは大きな杉の木。一昨年に屋久島へ行って来たそうで、その時に撮った屋久杉だとの事だが、いかにも森林浴好きの彼らしい。

 ちなみにミコトのアイコンは、今にも襲いかかって来そうな顔をした熊の頭がデコポンになっている『デコポングリズリー』というシュールなキャラクターである。


[廃寺と化け狸のこと、おキツネさんに話した?]


 八雲もクズの寝起きサイクルを知っていたので、そろそろ目を覚ます頃だろうとメッセージを送って来たのだろう。


[うん。一応は…(˙-˙)]


 ミコトはそう返信する。

 するとすぐに八雲からのメッセージが届いた。


[どうするって?]


 まさか喧嘩して力を貸してくれそうも無いなどとは言えない。


[今一緒に考えてる(˙-˙)]


 八雲に嘘をついてはいるが、あまり正直に書く訳にも行かないし、本音も言えない。どうせチャットだからクズもミコトの視覚を通して、このやり取りを見ている筈だ。


[なかなか難しそう?]


[うん。しばらくかかりそうだけど心配するな(˙-˙)]


[そっか。また明日、時間があれば学校で話し合おうよ]


[そうだな。そうして貰えると助かる(˙-˙)]


 あとは互いに「お休み」と挨拶をして終えた。

 クズが知恵を貸してくれないとなると、あとは八雲だけが頼りだ。「そうして貰えると助かる」というのは、思わずミコトの本音が出てしまったものだった。

 とは言ったところで、ミコトと八雲の二人で思案しても、状況は先日、化け狸たちから話を聞いた時と何も変わらない。

 ミコトはスマホを元の位置に戻すと、深いため息をついた。

 ふと、窓の外に目をやると、月こそ出てはいないが、ようやく雨も上がったようだった。


「やっとか……」


 窓を全開にすると心地良い夜風が頬を撫でる。

 立ったり座ったりで僅かにずり下がってしまったパンツを指でクイッと上げると雲に覆われた夜空を見上げて、


「さっきはごめん……」


 ポツリと言った。

 意地を張っていても仕方ない。頭を冷やした事で少しだけ……ほんの少しだけ素直になれた気がした。

 そんなミコトにクズは「フフ……」と小さく笑うのだった。

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