5.広報担当の素甘さん

 午前十時には広報担当の素甘さんとやらがミコトの家に迎えに来るとの話であった為、ミコトは庭先で十分ほど前から待っていた。

 八雲もそれより二十分ほど早くにミコトの家を訪れて待機している。

 八雲は紺色の七分袖ジャケットにベージュのクロップドパンツという出で立ち。

 一方のミコトは黒のパーカーに丈の短いデニムスカート。首から自分の名前が刻まれたドッグタグを掛けている。

 年頃の女の子である割には、休みの日でもミコトはメイクなど殆どしない為、準備は非常に早い。

 雨の降りそうで降らない曇天模様。

 一応、二人とも傘は持って出てはいるが、ミコトにとって、そんな事よりも重大な問題が発生していた。

 いや……日数を計算しておけば、あらかじめ分かっていた筈なのだが、連日、色々な事があり過ぎた為にすっかり大事なことを失念していたのだ。


「クズが寝に入っちゃった……」


 玄関先で待っていた八雲のもとへ来るなり、寝起きのような不機嫌面でそうこぼした。

 化け狸と話をするのに、肝心のクズが居ないのでは話の内容によってはミコトの手に負えないかもしれない。いや、そもそもミコト達にはちんぷんかんぷんかもしれないのだ。


「いつもいつもいつもいつも! 肝心な時にぃぃぃ‼︎」


 ミコトは地団駄を踏む。が、無い袖は振れないわけで、今日は専門家無しにあやかしから直接話を聞くより他にない。


「それにしても……素甘さんって、どうやって来るんだろう?」

「ん?」


 八雲の素朴な疑問にミコトはふと考える。

 言われてみれば、その疑問ももっともだ。


「そっか……んだから、本来の姿で来られても案内には向かないし、半獣の姿じゃ人目につくし……」


 人やその他の動物、器物に化けるのには高度な変化へんげの術が必要だと言っていた。

 後で聞いたところ、簡単な作りの器物や複雑でない植物程度であれば多くの化け狸が化ける事も可能だそうだが、いずれにしても案内をするのには適していない。


「その点はご心配なく」


 二人がそんな会話をしているところへ、いつの間に筑波家の敷地内に入って来たのか、一人の女性が現れた。

 縁なしメガネをかけた三十代前後の女性。上下ともにグレーのフォーマルスーツを着ていて、頭はアップヘアという、どこかの社長秘書のような生真面目そうな雰囲気を漂わせている。


「あの……どちら様で……?」


 初対面の大人の女性が相手であるから、さすがのミコトもいつものような尊大な態度は鳴りを潜めている。


「お初にお目にかかります。私、関八州八百八狸広報担当の素甘アリアズナと申します。本日は伊予お嬢様のお達しでお二人をお迎えに上がりました」


 秘書風の女性は慇懃に一礼した。


「素甘……アリアズナ……? え……?」


 ミコトも八雲もポカンとして言葉を失った。

 だって、伊予の言っていた「素甘さん」とは化け狸だった筈だ。それが目の前に現れたのは、どう見たって普通の人間。

 だが、素甘アリアズナを名乗った彼女は、二人の反応で察したようで、


「ああ……人の姿をしているので驚いてらっしゃるのですね? では……」


 と、目を閉じて軽く息を吐く。

 するとポンッと音を立てて、彼女のお尻から伊予が見せてくれたものと同じような尻尾が生えたではないか。


「これでも私は変化の術を極めておりまして、普段は素甘アリアズナという日本人とロシア人のハーフという設定で人間社会に溶け込み、大手広告代理店に勤務しております」

「は、はあ……」


 またもや新事実だ。

 伊予のような半人半妖の者であればともかく、純粋なあやかしである化け狸が、まさか人間社会に溶け込んでいるとは思わなかった。

 クズだってそんな説明まではしてくれなかったし、まるで某有名アニメ映画のような話である。

 俄かには信じられないが、ここまで見事に人間に成りすましているところを見せつけられてしまったら、信じるより他にない。


「でも……何でまた日本人とロシア人のハーフなんて、そんな複雑な設定に……」

「設定が複雑であれば、それだけ人間の目を欺けるという事です」


 彼女は平然と言ってのけるが、ミコト達にしてみれば、あれこれツッコミたい気持ちでいっぱいである。


「ご心配には及びません。これでも私はコルホーズでソフホーズなペレストロイカですから、ロシア人の血を引いてると欺き切れる自信はあります」

「いや……聞き齧っただけの単語を適当に並べてもダメだぞ」


 相手が化け狸と分かるや否や、ミコトはいつもの口調になっていた。

 それにしても、この素甘さんの根拠のない自信はどこから来るのかと不思議に思える。

 その辺り、やはり人とは異なる異形のモノであるからか、どうしても感覚がズレているようだ。


(そういうところはクズも似たようなもの持ってるよなぁ……)


 クズもあやかしでは無いとはいえ、やはり人とは違うから、ミコトたち人間とはどこかズレた感覚を持っていると感じる事が多い。

 そんなクズと話していると疲れる事の多いミコトであるから、この化け狸との会話もまともに取り合っていては身がもたないであろう。

 なかば呆れているミコトをよそに、素甘さんは、


「これからとある寺へ向かいますが、そこまではこちらで車を用意しております」


 と、通りへ二人をいざなった。

 そこには黒塗りの高級車。まるで新車のようにピカピカに磨き上げられており、おおよそ筑波家の前には似つかわしくない。


「では、どうぞ」


 ミコトと八雲は後部座席へ。

 妙な妖術を用いたのではないかとミコトは勘繰っていたが、クッションの効いた革製の座席は座り心地抜群で、そんな疑いは直ぐに晴れた。

 しかし、運転席には誰もいない。

 まさか……とは思う。

 いや……ここには自分と八雲、そして化け狸の素甘さんしか居ないのだから、それは必然と言えよう。


「では、行きましょうか」


 案の定、ミコトの不安は的中した。

 運転席に乗り込んだのは化け狸の素甘さんである。


「あ、あのさ……おまえ、運転できるのか?」

「もちろんですとも。これでもちゃんと人間達の自動車教習所へ通って免許も取得したのです。心配ご無用ですよ」


 素甘さんは淡々と述べ、エンジンをかけるとアクセルを踏んだ。

 しかし、彼女の言う経歴には続きがあった。


「まあ、本試験では十八回落ちましたけどね」


 何食わぬ顔で彼女は信じられない事を口にしたが、ここはもう走り出した車の中で既に逃げ場の無い状態。ミコトと八雲は言葉を失い、二人して後部座席で凍りついていた。

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