6.本音
「聞いてたんですね……」
さすがに教室の入り口で言い合いをしていたのだ。伊予もミコトが居たことに気づいて、トコトコとこちらにやって来た。
しかし、責められていた割には幾らかさっぱりとした顔である。
「ごめん……本当は盗み聞きなんてするつもりじゃなかったんだ……」
バツが悪そうにミコトは頭をポリポリと掻く。
これには伊予はもちろん、傍らにいた八雲も目を丸くする。
だって、学園内で『狂犬』の異名を持つ程に恐れられているミコトである。そのミコトが事もあろうに弟と同学年の後輩に対して素直に謝ったのだ。
ミコトがこんな性格になってからというもの、八雲はこの様なミコトの姿を見たのは初めてだった。
伊予にとっても意外だったのだろう。寧ろ慌てて、
「そんな……ミコト先輩が謝る必要なんて無いです! わたしの方こそ、すみませんでした!」
などと、何で謝っているのか知らないがペコペコと頭を下げる有り様。
そして顔を上げると、屈託ない笑みを見せた。
「寧ろ、ミコト先輩がわたしの事を擁護してくれたの……すごく嬉しかったです」
「そ、そりゃまあ……聞いてて、あたしも納得出来なかったからな……」
ちょっぴりはにかみながら、それでも満足げに笑う。
弟子入りの話はともかく、ミコトにしてみれば可愛い妹が出来たような気分だった。
「まあ、あの姉貴が相手じゃ、伊予が強くなりたいって言うのも分かる気がする。まったく……自分のこと棚に上げて、何が独善的だ!」
「ちょ、ちょっと……ミコト……。その雲辺寺花蓮の妹が目の前にいるんだから少しは遠慮ってものを……」
雲辺寺花蓮の事となると、例え誰の前であろうとミコトも自然と辛辣になるから一緒にいる八雲はハラハラして仕方ない。
それでも伊予はやや困ったような笑顔で、
「いえ、良いんです……」
と、飽くまでミコトをフォローした。
本当に良い子だと思う。
「でも……ちょっと違うんです……。わたしは別にお姉ちゃんの事を見返したり、反抗する気は無いんです」
「ん?」
そう言われてミコトは首を傾げた。
だって、伊予が「強くなりたい」というのは、あのキツイ姉に対して毅然とした態度でいたいからだとばかり思っていたし、それ以外に理由が考えられなかった。
しかし、伊予はまたしても言いづらそうに俯いて口をもごもごとさせている。
「何だ? どうも要領を得ないな……」
ミコトは焦れて腕組みしながら、片足でパタパタと床を叩いている。
別に威圧している訳ではないのだが、ミコトのそういう所作というのはどうにも迫力が先立ってしまって、気弱な相手ほど怖がらせてしまうから困りモノだ。
そんな訳だから、八雲がここにいる。というよりも、ミコト自身、自分の悪い癖を認識していたから、その歯止め役として八雲を一緒に来させたのだ。
「ミコト……」
彼はミコトの肩を叩いて静かに首を振った。
「あ……うん……」
伊予が怯えてしまっている事に気づいて、腕組みをやめる。そして適当に空いてる席に腰を下ろして伊予の口から言葉が出て来るのを辛抱強く待った。
やがて……。
「わたしのうちは……色々と複雑なんです……。ある事件をキッカケに……お姉ちゃんはわたしに辛くあたる様になってしまったんですけど……それでも、お姉ちゃんがそうなってしまった気持ちも分かるんです」
(あ……京華が話してたアレか……)
事前にミコトは雲辺寺家であった事を京華から聞かされていたし、本来ならば、しっかりと話を聞いたうえで何かしらアドバイスなり発破をかけるなりしてやりたいと思う。
しかし、そんなナイーブな内情を既に知っているなどと口が裂けても言える筈がない。
今はただ、伊予の口から出て来る情報が全てであるかのように装うしかあるまい。
「わたしがもっとミコト先輩のように強くて明るい人間なら……そんな事件だって起こらなかったと思うんです。だから全ての原因はわたしにあるんです」
(それは違う!)
ミコトはそう言ってやりたかった。
それでも、そう言ってやれないジレンマ。こんな事なら京華から聞かなければ良かったとさえ思う。
「すみません……。こんなこと言っても訳が分からないですよね……」
口もとでは微笑を浮かべているが、その目はどうしようもない程に哀しげであった。
ミコトだって、出来る事なら力になってやりたいと思う。けれど、自分が首を突っ込んでどうにか出来るようなものだとは思えないし、それほどに根の深い問題である。
(悔しいけど……雲辺寺花蓮の言う通りかもしれないな……)
他人の家庭事情に首を突っ込むなどおこがましい。身も蓋もないが、言われてしまえば確かにその通りではあった。
同時に第三者がどうこう出来るものでも無ければ、そんな権利も無い。
「それじゃあ……それじゃあ伊予は……あたしに弟子入りすれば、それが解決出来ると思ってるのか?」
「それは……」
伊予もそんな事で全てが良い方向へと向かうなどとは思えなかったのだろう。あの花蓮の反応を見れば分かる事だ。
良い方向へ向かうどころか、ますます姉妹の心は離れて行くに違いない。
今にも泣き出しそうな自分を抑えるかのように、伊予は目を閉じる。
その時である……。
——ビリリッ!
ミコトの尻尾に電流が走るような痺れがあった。
あやかしが直ぐ近くにいる時の反応だ。
それも驚くべき事に、ほんの僅かな妖力ではあるのだが……ミコトの目の前から発せられている。
(な……んで……?)
ミコトの脳裏に最悪の事態が
八雲の身に起こった、あの出来事を連想させる。
負の感情によって伊予の身にもまた同様にタタリモッケのような禍々しいあやかしに飲まれてしまいつつあるのではないか……と。
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