7.特殊な存在

 ミコトは血相を変えて席を立った。その弾みで椅子が大きな音を立てて倒れる。

 そして一歩、二歩と後ずさった。

 ミコトが顔色を変えて、ほんの僅かではあるが伊予から離れようとした事で、伊予は不安げに「ど、どうかしましたか?」と尋ねる。

 が、直ぐに何かに気づいたのだろう。


「あ……!」


 焦り気味に後ろを振り返り、自分のお尻に目をやった。

 そして何事も無いと知るや、ホッと安堵の息を漏らす。


「ミコト……この娘……」


 クズが何かを言いかける。

 何を言わんとしているのか問い質したいところだが、八雲はともかく伊予はクズの存在を知らない筈……。迂闊に問いを投げかける訳にも行かない。

 が、ミコトは何となくそれだけで伊予自身が普通と異なるという事を察していた。

 ならば……と、


「伊予……ここに何か見えてないか?」


 そう言って少しだけ伊予にお尻を向けて尻尾を振ってみる。

 ようはカマをかけた。


「え……?」


 何を言っているのか分からないとでもいう素振りではあったが、明らかに伊予はミコトの尻尾の動きを目で追っていた。


「はぁ……」


 ため息をひとつ。そして伊予の瞳をジッと見つめると、


「やっぱり見えてるのか……」


 落胆したような、安堵したような……複雑な面持ちで、目を閉じ、口もとだけで微笑を浮かべた。


「あ……う……そ、その……すみませんでした……黙っていて……」


 伊予は瞳を潤ませていて、今にも泣き出しそうである。

 それだけで悪意の無い事は分かった。


「別に謝らなくたって良いんだ。でも、あたしの尻尾が見えてるって事は、あやかしも見えるって事だな。あたしの事……どこまで知ってるんだ?」

「えっと……神様に近い高位の霊狐が宿ってる事と……以前、学園内で起こった異変をその霊狐と一緒に解決したという事は何となく……」


 学園内で起こった異変というのは、つまり八雲の一件だ。

 それを聞いて、八雲はどこか居心地悪そうな困り顔をしている。


「そっか……それならあたしも無理に隠す必要は無いな」


 目を開くとスゥッと息を吐き出し、花蓮と対峙していた時のような鋭い目つきになる。

 一瞬、ミコトの厳しい目つきに怯えた表情を見せた伊予であったが、ミコトは何も伊予に鋭い眼光を放っている訳ではなかった。


「おい! クズ! 中途半端に話を止めるな! 今し方、何か言いかけただろ! 分かるように最後まで説明しろ!」


 ミコトが内に宿っている狐に発した言葉だというのは伊予にもすぐに理解できたが、まさか神に近い存在を「クズ」などと暴言にも等しい呼び方をするとは思っていなかったようで、さすがに呆然としていた。


「はぁ……おぬしもその娘も納得尽くのようじゃし、仕方あるまい……」


 面倒臭さそうな口振りにミコトは少々イラッとする。

 しかしまあ、ここでまたぞろ文句を言っても話が進まないので、グッと堪える。


「普段は人と変わらぬ姿で妖気も外に漏らさないようにしておるようじゃから、ワシも気づかなんだが……どうやら、その娘はあやかしの血を引いておるようじゃな」

「え? あやかしの血を引く???」


 ミコトは目を丸くする。

 だが、それが図星である事はミコトの言葉に反応して悲しげな顔をしてしまった伊予を見れば一目瞭然だった。


「何者であるのかは直接本人に訊いてみるのじゃな。今ならおぬしにも打ち明けてくれよう」


 知っているのか、それとも知らないのか……此の期に及んで、やっぱり勿体つけた言い方をする。

 クズのこういうところはつくづく面倒臭い奴だと思う。


「伊予……教えてくれるか? おまえが何者なのか……」

「……はい。でも、まずはその前にこれを見て貰えれば……」


 そう言うと伊予は「ふんっ!」と可愛らしい声で息む。

 すると泡が弾けるようなポンッという音を立てて、ミコト同様に伊予のお尻から尻尾が生えた。

 それは茶色い、やや丸みを帯びた尾で、先の方が黒っぽい毛になっている。


「その尻尾……」

「はい……。わたしは化け狸と人間のハーフなんです。遠い先祖は通称、屋島やしまの禿げ狸と呼ばれる太三郎狸たさぶろうだぬきだと聞いています」


 これにはクズが「ほほう!」と驚きの声をあげた。


「随分と大物の名が飛び出したのう」

「クズ、知ってるのか?」


 ミコトには心当たりがない。

 そもそも化け狸に色々と名前があった事すら知らなかった。


「屋島の禿げ狸なら、僕も少しだけ話を聞いた事あるなぁ」


 そう言い出したのは八雲だった。

 何となくミコトとしては、これが悔しい。

 幼い頃、妖怪に興味があった事に加え、最近は少しずつ民俗学研究家でもある祖父から話を聞いて、そっち方面の勉強もしているつもりだったのに、その自分が知らないで、あやかしなどに殆ど興味の無い筈の八雲が知っていたという事実が納得いかないのだ。

 だから、ライバル心剥き出しの目で、


「何で八雲が知ってんだ」


 と、口を尖らせた。


「た、たまたまだよ、たまたま! 確か……傷を負ったタヌキが平重盛に助けられて、そのタヌキは平家を守護するようになったんだよね。で、そのタヌキの子孫が屋島の禿げ狸で、平家が滅んでからは屋島に住みついて、屋島寺の守護神になったとか……。自分が若い頃に見た源義経の八艘飛びなんかを幻術で見せて語り聞かせたり、変化の術も巧みで、四国の狸の総大将にもなった程の有名なタヌキだよ」

「うむ……大方その通りじゃ。しかし、太三郎狸の末裔に人と交わった者が居たというのは、ワシも初耳じゃのう。正直、驚かされたわい」


 何となくミコトだけ蚊帳の外に置かれている気がしてならなかった。

 それにしても疑問が残る。


「どうして急に妖気が漏れ出したんだ? 尻尾にビビッて来たから、すぐに分かっちゃったぞ?」

「そ、それはその……わたし、気が弱くて……妖力を抑える力も弱いから……心が動揺したりすると妖力を抑えられなくなっちゃうんです……」


 伊予は頬をピンクに染めて、どこか気恥ずかしそうにしている。


「太三郎狸の血を引いているという事は、潜在的な妖力もかなり強いものじゃろうからな。不動とも言えるほどに強い精神を持っておらねば、些細な事ですぐに妖気が漏れ出してしまうじゃろ」


 なるほど、それで合点が行った。

 ようするに伊予がミコトのように明るく強くなりたいという思いには、自身の中に隠れている妖力をしっかりと制御できるようになりたいという事でもあったのだ。


「でもさぁ……あやかしを感知できる人間なんて殆ど居ないんだろ? 尻尾が見える奴だって。だったら別に妖気が漏れ出すくらい、そんなに気にする事でも無いんじゃないのか?」

「それが……わたしのお姉ちゃんなんですけど……わたしの正体は知らないですし、尻尾を見るだけの力は持ってないんですが……妖気を感知する力は多少持ってるんです……」


 それを聞いてミコトはあんぐりと口を開き、その場に固まってしまった。

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