5.すれ違う者

 まだ校内に残っていればの話ではあったが、ミコトは伊予に会って、あらためて話を聞いてみるつもりでいた。

 しかし、まだ伊予が自分の教室に残っていたのは良いものの、そこにはミコトが決して顔を合わせたくない相手……伊予の姉でもある雲辺寺花蓮の姿があった。


「あいつ……何でこんなとこに……」

「そりゃまあ、姉妹が直接会っててもおかしくないとは思うけど……」


 八雲の的確なツッコミにミコトは振り返って彼の顔をキッと睨みつける。

 口には出さなかったが「うるさい!」という意思表示だった。

 どうも最悪のタイミングで来てしまったようだ。

 ミコトと八雲の二人は教室の戸口から僅かに顔を覗かせて様子を窺う。ようは盗み聞きだ。

 見れば花蓮が何やら伊予を責めているような雰囲気だ。


「どういう事なのか説明する義務があるわ。言いなさい、伊予!」

「そ、それは……」


 叩きつけるような強い口調に伊予は畏縮している。反論など出来る余地も無さそうだ。

 そういえば怒鳴られているリュウトもあんな感じだったと、ミコトは自分と弟のやり取りを振り返る。

 しかし、ミコトの目から見れば、ミコトとリュウト姉弟と花蓮と伊予姉妹のやり取りには決定的な違いがあるように思えた。


(あいつの目……本当に妹の事を忌み嫌ってる目だな……)


 ミコトもリュウトに対して辛くあたってはいるが、少なくとも忌み嫌っている訳じゃない。現に「あたしの弟に手を上げて良いのはあたしだけ。もし他の誰かが弟に手を上げたら、そいつの事は地獄の果てまで追い詰めてでもぶっ飛ばす!」などと公言している程だ。

 表向きは乱暴な態度であっても、ミコトにはちゃんとリュウトを思いやる心がある。

 けれど、花蓮には伊予に対してそういった心が無いという事をミコトは二人の様子を見て直感した。


「答えられないのかしら? あなたが筑波ミコトに近づいた理由を……。仮にも私の妹であるのなら、あの女には近づかないでもらいたいものね。雲辺寺の恥になり兼ねないわ」

「そ、そんな事……」


 思わず反論しようとするが、やはり冷たくも威圧的な花蓮の瞳に気圧され、伊予は押し黙ってしまう。


「あいつ……」

「ま、待って、ミコト! 落ち着いて!」


 込み上げてくる怒りに任せて踏み込もうとするミコトの手首を掴んで、八雲は必死に止める。


「ここでミコトが飛び出して行ったら、ややこしくなるだけだろ?」

「うう……」


 納得していないという顔ではあったが、八雲が止めるから渋々といった感じである。

 雲辺寺姉妹がこちらに気づいていないのであればと、もうしばらく様子を見る事にしてみた。


「言いなさい、伊予! あなたが筑波ミコトに接近した理由を!」

「わ、わたし……」


 伊予は何度か言い淀むも、蚊の鳴くような声で、


「ミコト先輩のように明るくて強くなりたい……から……」


 ミコトに伝えた事と殆ど同じ理由を述べた。

 しかし、ミコトとは犬猿の仲たる花蓮がそれで納得する筈もなかろう。彼女は目を細め、冷ややかに言い放つ。


「あなたが何に憧れて何を目指そうと知った事じゃないわ。けれど、筑波ミコトだけは認めない。あんな独善的で『正義』という言葉を笠に着て傍若無人な振る舞いをする女など風紀を乱す元凶でしかないわ。あなたはあの女を美化しているだけよ」

「そ、そんなこと……」


 否定しようとしたのだろう。が、言葉が続かなかった。

 伊予の「明るくて強くなりたい」という言葉の源泉は恐らくそこから来ているのではないかとミコトは思った。

 言いたい事も満足に言えない。自信が無く、立場も弱いから、ただ圧力に屈するしかない今の自分が嫌なのだろう。そんな弱い自分を払拭したい……その為に、それとは正反対に映るミコトの姿が眩しく見えるのだ。

 ミコトも決して自惚れるつもりは無いが、少なくとも今の伊予とは正反対な姿だと自負している。

 もっとも、クズはミコトの事をそうは見ていないし、八雲も「伊予ちゃんはミコトの本当の姿を知らない」と思っているが……。


 言いたい放題言われている事に歯噛みしながら、今にも飛び出して行こうとしているミコトを八雲が必死になだめている中、


「とにかく……今後、筑波ミコトに近づく事は私が許さないわ。それをよく肝に銘じておきなさい」


 花蓮はそう吐き捨てて足早にミコト達の隠れている戸口へ向かって来た。そして……。


「あら……」

「む……」


 ミコトと八雲の姿に気づくも、あまり驚いた様子も見せなかった。

 冷酷な目で見下ろす花蓮に対し、ミコトは鋭い眼光で花蓮の顔を見上げる。

 その後ろで八雲は「あ〜あ……」とばかりに額に手を当てて、無念さをあらわにしていた。


「こんなところに隠れて盗み聞きとは、なかなか良い趣味をしているわね」

「フンッ! 本人のいないとこで言いたい放題に陰口叩いてるヤツよりはマシだ」


 対峙する二人の間に静かに火花が散る。

 八雲に言わせれば二人の言い分なんて、「どっちもどっち」なのだが変に口を出せば火に油注ぐようなものだ。大人しくしていた方が身のためと、口を挟まないで沈黙を守る事にした。


「陰口を叩くつもりなんて私には毛頭ないわ。貴女の前でだって同じ事を言うでしょうし」

「そんな事はどうだっていい……」


 ミコトは怒っている。怒ってはいるが……しかし八雲も意外に思えるほど冷静であった。

 今までのように感情に身を任せているミコトとは違う。

 実に静かに、その怒りをぶつけていた。


「あの子の自由を奪う権利はおまえには無いだろう? 二人が姉と妹であっても……例え……個人の自由を奪う権利なんて誰にも無い筈だ……」

「貴女が何をどこまで知っているかに興味は無いけど、これは家庭の事情でもあるのよ。他人の家庭の事情に関して首を突っ込む事が貴女の振りかざす『正義』というものなのかしら? おこがましいにも程があるわね……」


 そう言い放つとミコト達の脇を通って去って行こうとする。が、何かを思い出したかのように立ち止まり、


「そうそう……浅間八雲くん……」


 背を向けたまま八雲に声をかけた。

 虚をつかれたのは八雲だ。


「え……?」


 と、振り返る。

 それでも花蓮は八雲に背を向けたままだ。しかし、そんな彼女は意外な事を言い出した。


「貴方はそちら側に居るべき人間だとは思っていないわ。お友達はよく選ぶ事ね」


 それだけ告げると何事も無かったかのように去って行った。

 ミコトは……一度も振り返ることなく、人気のない廊下に響く花蓮の足音が聞こえなくなるまで、ただ俯き加減に黙っているだけであった。

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