プロローグ

平穏な日常?

 幼馴染みの八雲に憑いていたタタリモッケを元居た地獄に押し返し、騒動が落着してから三週間近くが過ぎただろうか。

 相変わらず筑波家では母、静江に頭の上がらないミコトがいて、ミコトに頭の上がらない弟のリュウトがいて、それらを俯瞰している祖父、平造がいる。ご近所で囁かれている「筑波さんの軍隊一家」は健在であった。

 そして例の一件でタタリモッケを地獄へ押し戻す為に一緒にこの世から消えた筈の白狐、葛の葉ことも、ひょっこりミコトの体に戻って来て、ミコトのやる事にあれこれ口やかましくしながら居座っている。

 他方、母親を失った悲しみから抜け出せずにいた事でタタリモッケにつけ入られていた八雲も今ではすっかり元気を取り戻し、明るく冗談を言い合えるような本来の八雲に戻っていた。

 全てが在るべき日常に戻った……と言って良いものかどうかはミコトに聞いてみないと分からない。

 何せ、ミコトに取り憑いているキツネに対しては——一度は別れを惜しんだものの——戻って来てからは以前同様に悪態をついているミコトである。

 クズもクズで、『狂犬』の二つ名が健在であるミコトの振る舞いにはチクチクと針で刺すように苦言を呈している。


「相変わらずおぬしという娘は……事あるごとに手が出るのう。少しは成長したと思ったのじゃがなぁ……」

「うっさい!」


 こんなやり取りの毎日。

 そんな二人のやり取り……とは言っても、クズの声が直に聞こえている訳では無いのだが、八雲は微笑ましいといったふうに見守っている。

 もちろん……ミコトの中に白狐が居座っている事実を知っているのは八雲だけだ。他の誰にも知られていない事だし、ミコトのお尻から狐の尻尾が生えているのだって誰にも見えていない。

 八雲はというと……あの一件以来、あやかしの姿を見る事も出来るようになってしまったし、ミコトの尻尾だって見えている。

 クズ曰く、「長い時間、八雲の中に力の強いあやかしが宿っていたからじゃろう」との事だったが、その特殊な力がいつまでも残っているというのはクズにとっても予想外であったらしい。


「まあ、後遺症だと思って諦めるのじゃな」


 結局はそんな投げやりな言葉で片付けてしまうのだった。

 人間とは異質な存在……それこそ神に近い存在のクズであるから、思考といい言動といい、どうもミコトたち人間と感覚がズレているところがある。初めのうちはそんなクズののらりくらりとした態度に翻弄されていたミコトだったが、今ではすっかり慣れっこになっている。


(慣れって怖いな……)


 時々そんなふうに思う事もあった。


 そんな今まで通りの日常を取り戻した空梅雨のある日——


「むむむぅ……」


 何やら難しい顔をして、ミコトは通学路を学校へ向かって一人歩いていた。

 数日前、ニュース番組のお天気コーナーでは関東地方の梅雨入りを発表していた。だというのに連日、青々とした空を拝んでいて一向に雨の降る気配は無い。

 もちろん、ミコトが難しい顔をして唸っているのは連日の天気と一切関係無い。寧ろ、これで鬱陶しい雨でも降ろうものなら、一層険しい顔になるに違いない。


「あ、ミコト。おはよ」


 突然、背中の直ぐ後ろから声をかけられ、ミコトは間髪入れずに振り返り、声のヌシをキッと睨みつける。

 まるで殺伐とした『だるまさんがころんだ』でもやっているかの様だ。


「なんだ……八雲か……」


 自分の背後に居たのが八雲だと分かると、ミコトはプイッとそっぽを向いて再び歩き始める。


「なんだ……はご挨拶だなぁ……」


 不器用な彼女ではあるから、こんな調子なのは日常茶飯事だが、さすがに朝初めて会ってこの態度には八雲も苦笑い。


「うっさい……」


 ミコトは八雲に顔を合わせようともせず、ちょっぴり遠慮がちに悪態をつく。

 最近はずっとこんなである。

 どうもミコトはタタリモッケの騒動が解決して以来、八雲と目を合わせないようにしている事が多くなっている。

 八雲の事を意識すると調子が狂うというか……何か自分らしさを失ってしまうような気がしてならない。


 とは何か……。

 狂犬の異名を持ち、完全無欠の絶対王者を自負するミコトの絶対的なプライド……。

 自分ではキャラを演じているつもりは無いのだが、八雲を意識する事で、自身の根幹を成しているそれが脆くも崩れ去ってしまいそうな……そんな不安が日に日に増していたのだ。


——弱みを見せてしまった。


 タタリモッケを祓ったあの日の彼とのやり取りが、これまでミコトが持ち得なかった……いや、正しくはミコト自身が気付いていなかった感情を目覚めさせてしまった事によるのは明白である。

 それでもミコトには、まだ十分に理解出来ていない感情なのだが、圧倒的威圧感と誰にも負けない実力を誇示し続けているこれまでの自分の在り方に綻びが生じてしまいそうで怖かったのだ。


 そのミコトの複雑な心情を察してか、それとも知らずに天然でそうしているのか、八雲は必要以上に踏み込まないようにはしている。

 ただ、それでも朝から不機嫌そうにしているミコトの事が気になったのだろう。この日はあらためて質問を投げかけて来た。


「どうかしたの? 朝っぱらから便秘に悩んでるような顔してさ」

「おまえ……いつからそんなにデリカシー無くなったんだ?」


 本来なら今のような発言で容赦無く鉄拳制裁を見舞っているミコトではあるが、八雲相手となると、どうもそこまで出来ず、ただ果てしない脱力感に襲われて、がっくりと項垂れるだけにとどまった。


「まあいい……。それより……何だか妙な視線を感じるんだけど、八雲は何か気がつかないか?」

「視線?」


 辺りを見回しても自分達と同様に登校中の生徒がチラホラいるだけ。普段と変わった様子はない。


「なんかな……ここ最近、誰かに見られてる気がするんだ」


 なるほどミコトはあからさまに振り返ったりキョロキョロ見回すといった行動はしていないものの、目だけを忙しなく動かして辺りを警戒している。

 自然と目つきも鋭くなっているから、不機嫌そうに見えるのも、この為だ。


「特に怪しい人影みたいなのは無さそうだけど……もしかして……」


 八雲は急に小声になって、


「あやかし?」


 他の学生にこんな事を聞かれてもマズイ。

 一般的にあやかしなど架空の存在だと思われているのが当たり前だし、冗談として取られれば良いが、真面目に話してると見られれば「変な奴」と思われかねないからだ。

 だが、ミコトは先ほどと同様に再び「うう〜んむ……」と腕組みをして唸る。


「そうなのかなぁ……?」


 あやかし路線でも考えている。

 でも、近くにあやかしの存在があれば、ミコトの尻尾がビリビリと電気が走ったように反応する筈だ。


「例のおキツネさんは?」

「それが……あいつ昨日から寝てるんだ。相談しようと思った時に限ってコレだ! ホント、役立たずで困る!」


 怒りや苛立ちの矛先はこうやって、いつもクズへ向けられる。

 霊力回復の為に三日起きて二日眠るというクズのサイクル。大抵は口うるさい古狐が静かになってくれるからありがたいと感じている事の方が多いのだが、いざという時に眠っていられると頼りにならない。

 それこそタタリモッケの時と同様に、厄介なあやかしであったらミコト一人では対処しきれないのだ。

 しかし、八雲は「ミコトにつきまとっているとしたら人間だろうなぁ」と思っていた。


(こう見えてミコトの隠れファンって結構いるみたいだし……)


 体は小さいものの、黙ってさえいれば可愛いミコト。だから密かにファンクラブなどというものが存在しているそうだが、実態は八雲も知らないし、ミコトに至っては自分が陰でモテている事すら知らない。


(そういう手合いじゃないのかねぇ……。まあ、どのみちミコトの後をつける様な命知らずもそうそう居ないと思うけど)


 しかし、ミコトも八雲も気づいていなかった。

 今、こうして並んで歩いている間にも、郵便ポストの陰から二人の姿をジッと見つめる者の姿があった事を……。

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